するりと指先をコップがすべりはじめる。
ああ、マズいな、と思いつつもガラスがすぅっとのこしていく指先の感触がなんだかとても貴重なものに思えてうっとりしていた。いまやコップは完全に僕のもとから離れ落ちてしまっている。
机の上にすとんと落ちたコップの転がるさま。わずかに残ったミネラルウォーターのやや青みがかった切れ端を数滴ばかり散らしながら。僕は目がまわっている。光がガラスに反射してぱらぱらとあたりに降り注いでいるのだ。
コップが宙へと飛躍した。
このままではコップは床に落ち、割れてしまう。ガラスの割れる音。そのときなにかが変わってしまいそうな気がする。あれはなんだったろう? 日常は深窓の令嬢なのだが鏡が割れると、「不良少女」へと変貌してしまう女の子の話…「ヤヌスの鏡」ってそんな話だったろうか…たぶんそうだ。ガラスを割ってしまったことと「ヤヌスの鏡」をからめて今日の日記のネタにしてしまおう。書き出しはこんな感じ。
するりと指先をコップがすべりはじめる。
ああ、マズいな、と思いつつもガラスがすぅっとのこしていく指先の感触がなんだかとても貴重なものに思えてうっとりしていた。いまやコップは完全に僕のもとから離れ落ちてしまっている…
まだ書いてもいない文章を <blockquote> でマークアップするのはやはりまちがっているのだろうか? 間違いだとしたら、他に方法があるのか。
きらきらと軌跡を描いてコップが落下していく。いまならもしかしたらつかめるかもしれない。
こんなことをぼんやり考えている場合ではないのではないか。コップが割れてしまうとかなり面倒な事態になるだろう。後片付けをしなければならなくなる。多分僕は面倒臭がって、あるいは面白がって、砕け散った破片を放置し、眺め、もてあそぶうちにきっと指先から血が流れることになるだろう。
そういえば、BBS でふにさんと kina さんが「音そのものの速さ」についてそれぞれ見解を述べてらして、とても興味深いのだが、いまこの瞬間、虹色の空間、「速さ」そのものが具現している時間をうまく伝えたいけれども、たぶん僕には無理だ。
風が吹いている。
速さ。多分いま僕が考えていることをそのまま文章にしたら、なにごとかを伝えることができるかもしれない。とはいうものの、こういう手法は僕のオリジナルではなくて、『東京大学物語』において江川達也が編み出したものだ。主人公の村上直樹がテンパっていることを表現する際、背景に文章をしきつめ、終わりに(0.1 秒)などとすることによって、つまり空間の密度を徹底的に高めることによって、速さを表現した。
落ちていく。
しゃんしゃんと音を立ててコップは砕けた。
(約 3 秒)