昨日、僕にとって韓国は、アメリカのことはどうでもいいや、という意味でどうでもいい国なんですけど
と 書いた ことに対して、DAC’s Collection Of Texts の 6 月 23 日の DAC 日記 で、思ったままを正直に言い放てられれば樂だ。なかなかかうスツキリ本當に思ふところを言へないものだ。俺は、感心しつつ同感する
、とおっしゃっていただいたのですが、ちょっと補足を。
ワールドカップのごたごたのことで「韓国は云々」というのは別にそれはそれでかまわないと思います。個人的には馬鹿げていると思いますが、「一国の代表」同士が争う場であるわけだから、なんかあるとすぐに国全体へ評価が及ぶのはまぁしかたないのではないかと。なんでそんなことを書いたかというと、6 月 21 日のねこめしにっきに、今回の共催は、パンピー日本人の眠ってた嫌韓感情を掘り起こしまくってしまった感があるですな
、と書いてあったのを見て、う?ん、なんだかな?、と思ったからなのでした。
嫌韓感情、ってのが僕にはよくわからないんですよね。真っ先に思いついたのが、2 ちゃんねるの韓国や北朝鮮が嫌いであるらしいひとたちのことなのですが、おそらく 10?20 代のひとたちがああいう風に朝鮮半島の国々を嫌うようになるってのはなんなんでしょ?ネタもあるのでしょうが(民族性を面白がるという意味で)、本気なひともいるわけですよね。また、”GO” という映画で、窪塚洋介と柴崎コウがホテルで事におよぼうとしたときに、窪塚が実は在日朝鮮人であるということを明かされた柴崎が、中国人や朝鮮人は血が汚いから付き合っちゃダメだとお父さんにいわれた、などといってふたりの仲が壊れる、というシーンがありましたが、ああいうのも「?」という感じです。
とはいえ、自分や自分の身の回りにそういう発想がないからその問題と僕とは関係がない、といいたいわけではありません。事実としてそういう感情があってそれが社会的な影響力を持つ以上、ちゃんと考えなければならないことだと思います。しかし、僕が興味を持ったのは、なぜそのような荒唐無稽な発想が社会的な影響力を持ち得るのか、ということのほうであるわけです。だって、「嫌韓感情」なんてなんの根拠もない思い込みが幅をきかせているってのはかなり不可解ですよ。