僕も京王線沿線にまつわる思い出話を。

僕が通っていた学校は、京王相模原線の南大沢というところにあって、最初の 2 年を学内の寮で、その後の 3 年をふた駅先の多摩センターというところで過ごしました。それほど長い間住むことになった京王線沿線というか大学の近辺ですが、最初の印象は「こんなところに住むことになってしまったのか」というものでした。受験会場の下見にでかけようと、宿泊先の三鷹(叔父さんの家があった)から JR と 京王井の頭線を経て向かった南大沢。窓外を見ればどんどん寂れ果てていき、見渡す限りの野原が広がる風景に出会して絶望的な気持ちになったりもしたものでした(青葉台近辺のことですね。いまは開発が進んでそうでもないのかもしれませんが)。田舎から東京に出るとあっては、やっぱりそれなりに過大なイメージを抱いて張り切るものですから。

とはいえ、もとよりやる気を以て物事に当たるタイプの性格ではなかったので、程なくして、授業にはまったく出席せずにひねもすサークルの部室でだらだらするか図書館で本を読む生活にひたるようになりました。そういうふうに怠惰にというよりもむしろ茫洋として暮らすには南大沢というところは最高の環境で、遊ぶところなどどこにもなかったし(駅前のカラオケぐらい)、昼間、そこらを自転車で散策しているとあまりの閑散ぶりの清潔さに身が引き締まる思いがして、いろんなことを「そんなことはどうでもいいじゃないか」とすっきりくっきり考えることができたものです。

野猿街道沿いの DORAMA というレンタル・ヴィデオ店には古本や CD も置いてあって、まぁそういう店なのでゴミ本ばかりなのですが、しかし時にはデニス・クーパーの『フリスク』なんてとんでもない小説が落ちていたりしてそこそこ楽しめました。また、京王相模原線の終点である橋本に住んでいた友人がお隣の堀之内に越してからは、BOOK OFF や博蝶堂書店、ブックセンターいとう東中野本店へも足をのばすようになりました。というか、それらの書店を巡回した後に友人の部屋へ行き、買った本やその他のあれこれについての他愛のないおしゃべりに夜通し打ち興じたりするのが日課となりました。

僕は自分の無教養ぶりに毎日々々呆れ果てて暮らしているのですが、そんな僕に少しでもなにごとかに対する定見というものがあるとすれば、それは先に挙げた書店で出会った書籍たちによるもので、「僕らは BOOK OFF の 100 円コーナーで教養を培った最初の世代だ」と愚にもつかない冗談をいってみたりもしたものでした。「最初の世代」かどうかはともかくとして、実際僕の知識なんてその通りに安いものです。

2 年経つと寮を放逐されてしまうので新たな住処を多摩センターに定めました。その頃には京王相模原線沿線の澱んだ清潔さに我慢ならなくなっていたので、吉祥寺か下北沢に住みたいなぁと思い部屋を探したりもしたのですが、家賃が高いのでそれは無理だったし第一そんなところに住んでしまうと、ただでさえ授業に出ないのに学校にすらいかないという事態になってしまうだろう、奨学金だけが頼りの身の上ゆえ留年することは許されないので、とりあえず学校に近いところに住んでおこうという判断だったのですが、当然のように授業には出ずに本を読んでばかりの日常が続くのでした。

朝起きると近所の西海ラーメンというとてもおいしいラーメン屋で 480 円のラーメンを食べ、ジョージアのエメラルドマウンテン・ブレンドをぐびぐび飲みながら住宅街を通り抜け、やけに設備の整った市立豊ヶ岡図書館でめぼしい本を物色し、その裏手の獣道のようなところを降りたところにある公園で放し飼い(?)の鶏と互いに威嚇しあったりしつつ本を読むのでした。またある時は、朝起きてイトーヨーカドーの向かいのマックでフィレオフィッシュ・セットを買い、もぐもぐ食べながらパルテノン多摩の階段を登り、裏手にある公園で僕と同じように茫洋と生きているひとたちに無言で連帯の挨拶を送りながらベンチに腰かけ本を読むのでした。

ところで、京王相模原線沿線のその他の駅について僕はあまり知りません。永山には健康ランドがあって暇なときには友人たちと賭けボーリングに興じ、稲城にはそのうちのひとりの友人が住んでいたので 2,3 度いったことがありますが、その程度なのです。だから、この文章はいまや当初の思惑を大きく外れて南大沢?堀之内?多摩センターという局地についてのお話になってしまっています。

しかしその多摩センターにもとうとう我慢ならなくなって、僕は部屋に帰らずに総武線の平井という町に入り浸るようになりました。そこでは、朝起きると同居人を駅まで見送り、e駅前のパン屋で買ったネギパンをじゃりじゃり食べつつ方々に寝そべっている犬や猫をからかったりしながら歩き、荒川の河川敷でやはり本を読むのでした。試験期間ということで学校にいかなければならないので多摩に帰ると、放置していたので当然なのですが、電気もガスも水道も機能しないのです。そこで、その単位を落とすと卒業できなくなってしまうという国際法の教科書(とんでもなく分厚い)を蝋燭の灯りで必死に読みました。

久しぶりの多摩は相変わらず薄ら明るくて、軽いめまいを起こしながらそれを楽しんでいました。とはいえ僕の心はすでに荒川河川敷の薄ら寒さのほうに移ってしまっていたので、試験が終わると平井へと帰るのでした。そこには、多摩センターにはなかったおいしいコーヒーとフレンチトーストを出す店があったし、毎日遊び合っているかわいい猫たちがいたからです。その猫たちを写真におさめることができなかったことが残念でなりません。

その後、まともに働くのが面倒なので BOOK OFF やレンタル・ヴィデオ店でアルバイトをしているうちにいろいろあって生活が立ち行かなくなったので実家に帰りました。それからまたいろいろあっていまこうしてこんな文章を書いて暇をつぶしているわけですが、どこでこのサイトを知ったのか、例の堀之内に住んでいた友人からメールが届きました。曰く ネットを5時間ほどやり、テレビを見て、ゲームをし、読書をし、数時間の散歩をし、たまには多摩に行ってあのドラッグのような風物を愛でたり、巷のおっさんや可哀想な人を観察したり、といった具合に、基本的に一人で呆然と過ごしているね、と。

彼がどう思っていたのか知らないけれど、学生時代を過ごしたあの多摩の絶望を僕は心から愛していました。あんなに心地のよい時期は二度と訪れることはないでしょう。