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憎悪と頽廃と

ようやく極貧生活から脱することができたので SPANK HAPPY のアルバム “COMPUTER HOUSE OF MODE” を買うことができました。DCPRG も好きですが、こっちは鬼気迫る感じというか、もうめろめろになってしまいます。

コンセプチュアルな薄っぺらさ/壮大さ。何で何で何で傷つけるとときめくの?/お薬を飲んだ後抱きしめる男の子たち 黄昏の資本主義ハウスミュージックでな 好きなモノは全部中毒にしなくちゃ意味がない彼女の心は/言葉は キスは セックスは しかし全部ノイズだった なんてフレーズたちの例えようもない美しさにうっとりとしてしまう。ここに聴かれる頽廃は、そこここに垂れ流されている音楽を充たすあの貧しい自堕落などでは断じてなく、とすれば不意に田口賢司の『boys don’t cry』(角川書店・刊、1988)を思い出したこともあながち的はずれではないような気がします。

福田和也はその小説についてこのように書いています。

田口氏の作品を覆っているのは抑制ではなく、一種の憎悪、あまりにも激しいために傍からは凍り付いた無感動のように見える憎悪なのである。ニル・アドミラリは昔からダンディズム第一の戒律だが、田口氏は生々しい快楽や歓びを禁じられながら、毎夜毎夜、情事を行い、パーティーに赴く人々を描く。氏の小説は、憎悪に支配された、放蕩者たちの強制収容所なのだ。そこでは、もはや「なぜ」私たちは遊ぶのか、と問うことさえ禁じられている。

甘美な人生』所収「放蕩小説私論」ちくま学芸文庫・刊、p.105-106 より

憎悪と頽廃を徹底することしか、僕らに生きる術は残されてはいなかった。香水を振りかけて。汗もかかずに踊り 続けるしか。

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