• 読み返してみたら意味不明だったけど眠いので放置、な日記。もう 11 月かぁ…。

    Robocode 楽しい。くるくる動き回ったりできるようになった。結果、昨日は勝てなかったロボットに勝てるようになったりもしたけれど、1 対 1 で勝っても意味ないよなぁ。ある特定のロボットへの対策を考える、というよりもむしろ、一般的な戦法を考えなければならないのかしらん。とすると、フィールド上での位置とか敵の数とかその他たくさんの考えるべき状況があって、一挙に難しくなるなぁ…。

    …てな感じで疲労困憊の身ではついていけなくなってきて、結局はあやや PV をぼけーっと眺めていたのですが、今日は「 LOVE 涙色」のリズムが身体にすわわぁぁっと入ってきてヤバかった。そういう状態になるとリズムが勝手に自分の中で動き出すので、時々松浦さんはリズムをはずします。というか、僕がひとの道をはずしています。

    全然関係ないですけど、お仕事の関係で博物館の倉庫へ入る機会がありました。そこには、遺跡から発掘されたいろんなものが解析を待ちつつ保管されているのです。コンビニとかに搬入されるパンや弁当などを入れるカゴみたいなケース(名称がわからない…)がずららららぁぁっと積んであり、その中には遺跡を掘りおこした土をふるいにかけて残ったものが入っていて、その数は数百あまり。カゴのひとつひとつの表面に謎の数字や記号が記された一枚の紙片が置いてあって、なにかと問うと、遺跡の表面を区割りした位置、かつ、その深さを示すものであるということで、どれぐらいの深さまで掘っているのかわからないですが、ともかくとんでもなく膨大な作業なのでしょう、気が遠くなってしまいました。

    そんなわけで解析が終わるのにあとどれぐらいかかるか不確かであるようなのですが、現時点においてすら、南島界隈にて夜光貝を媒介としたかなり広い範囲の貿易が行われていたことがわかったりしてるみたいで、歴史研究におけるまさに宝の山である発掘物の解析・研究がこれからもどんどんすすんでいくことを期待しております。僕もそういう本質的な仕事をしたいものだなぁ。

    …とか書いていたら、松浦亜弥はかわいいなぁほんとに素晴らしいなぁあり得ないよなぁ、などと呻きながら 2ch を見て回るだけの僕の生活態度に本当に心の底から嫌気がさしてきたのですが「まぁ無才は無才らしくおとなしくしていよう」と糞スレ立てるのを思いとどまったりしたのでよいいちにちでした。

  • Robocode

    今日はなんか一日中眠くて眠くて、帰宅後 Robocode でロボット(名前はとりあえず Ayaya )制作の続きをはじめるつもりだったのですが、気付いたら夜中の 1 時。なにがおこっているというのか。いまのところ、サンプルとして提供されている SittingDuck という、なんにもしないで佇んでいるだけの木偶の坊ロボットにしか勝てません。

    というか、Phoenix 0.4 Oceano はよいですね。さらに軽快になっている感じがします。楽しいね。

  • 地獄

    以前にも書いたことがあるような気がしますが、僕はユーロビートや有名歌手のトランス・リミックスの音・リズムが大の苦手で、ちょっとでも聞こえてくると文字通り体が「ビクーン!」とし気持ち悪くなってくるので、心の底からそういう音楽を憎んでいるのです。とはいえ、それが悪いことだといいたいわけではなくて、音楽をエクストリームという観点から評価するという立場にいったん立ってみれば、それらのキチガイ音楽は本当に素晴らしい。大きな古い時計がなんとかいう歌なんてなんの刺激もなくてつまんないしね。

    というか、CLUB Hello! TRANCE REMIX を帰宅した瞬間からいままでずっと聴いているのですが、もう、これ、本当にすごいですね。真顔では聴けないですよ。3,000 円で買うことのできる、この世界でいちばん深い地獄。延々続く理不尽な責め苦に身悶えしまくってます。リミキサーたちはこの世の中にどんな悪意があって、こんなにもひどい嫌がらせを次から次へと繰り出してきやがるのだろうか。耐え難い喧噪の中にずたずたに切り裂かれたモーニング娘。の姿がなんともいえず不思議な感じがして、もうなにがなんだかわけがわかんなくなっています。

    なかでも「ちょこっと LOVE 」がいちばんすごかった。

  • 教育の行方

    まぁなんというか、先行きが不安な感じですね。

    すでに「情報」の授業を実施しているという神奈川県立大岡高校では、キーボード操作からはじまり、暑中見舞いはがきやポスターの作成、インターネットを活用した情報の検索に習熟するようカリキュラムを組んでおり、一方、神奈川大学附属中・高校においては、それら一般的な技術を身につけた後、ウェブサイト・コンテストへの出品を生徒にすすめているということです。

    まぁそのこと自体はおおいに結構なことだと思います。しかし、やっぱり気になることが…。

    家庭にパソコンがあれば生徒の習熟度も高くなり、個人差がつきやすい。従来の教科ではあまり起きないことであり、家庭の経済事情が成績に影響する可能性も出てくる。

    上に引用した見解について、神奈川大学附属中・高校の先生は コンテストに入賞してもその結果自体は、成績には一切反映させない。あくまで生徒の動機付けとして利用している と、大岡高校の先生は 課題を家に持ち帰ることは禁止。すべて授業時間内に完成させることを原則としている 家でやるのも自由だが、授業内で終わらない課題は出さない とこたえていますが、どうなんでしょう? いつまでもそういう方針でことを進めるわけにはいかなくなるのではないか。

    さて中学(高校)に入学した子供のためにパソコンを購入しよう、となれば 10 ? 20 万円ほどの出費を要するわけで、それって平均的な経済状況にある家計にとってそんなに負担になるようなことでもないのでしょうか。少なくとも容易なことではないでしょう。となれば、学力を金で買うという状況が本格的に目に見えるものとして到来しつつあると考えることが、それほど妄想じみたことではなくなってきているように思えます。

    といったからといって「情報」なる科目を新設することに僕が反対しているというわけではなくて、「教育」というものがこれからどのように位置づけられようとしているのか、先行きが不透明だなぁと思っているのです。10 ? 20 万円程度の機械を購入できない貧民は、相当の先天的な能力と努力を以てせねば低い成績に甘んじなければならない科目を新設しようとしている、つまり「国は教育にはできるだけ関与しませんよ。学力は金で買え」という方向へ進んでいるかのように見える(「ゆとり教育」もその一環でしょう)一方で、中央教育審議会は「愛国心」云々という経済とも学力ともまったく関係のない思いつきを推し進めようとしている、その辺の折り合いをどのあたりでつけようとしているのかなぁ。

    個人的には、学力を金で買わねばならないような世の中は望ましいものであるとは思えないですが、いいたいのはそういうことではなくて、筋を通せ、ということです、あくまでも。

  • ひねもす呆けて

    インリン・オブ・ジョイトイ」という存在を知らぬ間に脳裏に刷り込まれており、今日になって思い立ち検索してみるまでずっと、またぞろフジテレビが呼んだサーカスかなんか(サルティンバンコとか)なのだろうと思っていたのですが、こういうひと であるようです。まったく文脈がつかめません。おそらく有名なひとなのだろうけど(100 万 hit とか書いてたし)。

    まぁそんなことはどうでもよくて、three blind mice から 12 月 8 日に高柳昌行 ’82 年録音の「ロンリー・ウーマン」がリリース(初 CD 化)されるという情報を得、いまから待ち遠しくてなりません。最近になってようやく高柳を聴くようになった身としては(「解体的交感」等の阿部薫とのセッションは聴いていましたが)「ロンリー・ウーマン」は是非聴きたい 1 枚なのです。

    …とかいいつつ今日やったことはといえば、ごまっとうのシングル、シングル DVD & 「 松浦亜弥の LOVE GIFT 2003 」を予約し、いまだにハマっているダフト・パンクのライブ盤を購入 & 聴き狂うという、なんというかアレな感じにダメな状況…。しかし、元気な曲を聴くのも疲れてきたので、ヴァレリー・アファナシェフ奏する「ブラームス:後期ピアノ作品集」に埋没しております。つまり、果てしなくやる気がなく、今日もやっぱりひねもす呆けていたということですね。

  • 新スタ beauty(手抜き

    大変申し訳ないのですが、スタイルシートが適用されていない場合は、上のメニューをぐりぐりしてボタンをぽちっと押していただけますでしょうか。

    新スタを書き始めたはいいものの、ここのところ続いていた頭痛のせいでなんだか体力というか気力が減耗しているみたいで、結局は中途半端なまま投げ出してしまいました。理想としては「読みやすくユーザビリティに優れてもいるけれど、なんの意味も主張もないデザイン」を目指したいなぁ。

  • 多忙のヒッキー

    今日は、市長の選挙があったり、散髪にいったり、友人とご飯を食べたりして、休日ヒッキー的には大変に多忙な一日でした。昨夜も焼き肉を ビールで一気に流し込 んだというのに、ここ二日というもの食ってばかりで体重が心配です。しかし、前述の通り散髪したのでかっこよくなったというかかわいらしくなってしまい、僕の性的アッピールはプラスマイナスでいえばプラス推移なわけで、「そろそろおまえもモテといたほうがいいんじゃないか」なんていわれても 僕に彼女がいないのは、好きな女の子がいないからだ と心の底から自信を以てこたえることができるというものです。仕事したくないです。てか、それは関係ない。

  • 美しい

    類似品にご注意を!

    本物はこちらです

    …まぁこんな顰蹙を買いまくりそうな小ネタはどうでもいいとして、いまさらながらダフト・パンクにハマりまくり。マジかっこいい。なぜかいまになって彼らのよさがわかりました。例の松本零士による PV とかも好きだったけど、肝心の曲はといえば、当時はよさがあんまりわからなかった。彼らの曲で踊り狂いたいなぁ。でも、ダフト・パンクをかけるフロアになんていきたくはないですが。それはまた別の話。

    ところで、数日前の memo でリンクを張った 奥菜恵の新・写真集のお話 のことですが、今月号の “FRaU” にて奥菜恵インタヴューとともに写真が数カット掲載されていたので思わず購入 & フライングで新スタ制作中です。本当に素晴らしい。美しい。

  • 朦朧

    頭痛いよぉ(>ω<)と一日中泣き暮らしていたわけですが、しかし、頭痛で死にそうなときの方が仕事がはかどるということがわかりました。痛みを忘れようといやでも作業に集中するし、なんか朦朧としている間に手だけぽこぽこ動いていつの間にかお仕事終了。その間の記憶はほとんどなし。そんなことをしていたらやっぱり耐え難い状態になっていたので、定時にささっと帰宅。

    買ってきた DVD を観たり、頭痛薬を規定量の 3 倍飲んだり(意味ない?)、それでもやっぱり痛みが鎮まらなくて気を失ったりしてたら、いまはもうほとんど痛くありません。多分、マヒした。原因はおそらく眼精疲労と肩凝りにあって、「それがわかってるならどうにかしろよ」という感じなのですが、まぁ無理。いまの生活ではどうやっても頭痛からは逃れられないのだなぁ…。

    というか「最近元気ないね」といわれることが頻繁にあるのが気になるところ。話しているときの声に覇気がなかったり、いつもムスッとした面を晒して早足で歩いていたりするのは以前から変わらないつもりなのですが。あぁ、そうだ。ここ数ヶ月ほど散髪にいってないので髪が伸びきっていて相当鬱陶しいことになっているんですけど、それが一因になっているのかもなぁ。というよりもむしろ、余計なお世話だ。無駄に元気な奴、むかつく。うるさい。

    とりあえず明日は散髪にいってきます。

  • 文章の書き方

    昨日・今日と頭が痛くてなにもやる気が起きず、だらだらとあちこちをふらふらしていました。

    まともじゃない文章とはなんぞや?

    1. 全体的にやたら長い。センテンスが無駄に長い。句読点滅茶苦茶。ダラダラ。
    2. 主述修飾接続滅茶苦茶。
    3. 感嘆詞を多用している。無駄に強調が多い。筆圧の強さばかり目に付く。
    4. レトリックを多用しているが、使い方が頓珍漢。
    5. 結局何が言いたいのかわからない。

    “Demagogie” 02/10/24 より

    あはははは。まるっきり僕の文章そのものという感じだなぁ。主述修飾接続滅茶苦茶 にならないようには気を遣っているつもりなのですが、ちゃんと推敲しないとすぐ間違えてしまう。その他は弁解の余地なし。

    でもまぁこの日記が一般的な見地からいって読みにくいところがあったとしても、それは僕がこの日記を一連の文芸作品として書いているつもりであるからなのであって、それらは全て意図されたものなのであります。結局何が言いたいのかわからない という感想を読者がお持ちになった場合、僕に詩の女神が降臨した結果そのようなことになっていると思っていただけるとありがたいですね。

    …なんてな与太はどうでもいいのですが、どういう文章がいい文章か、というのはなかなかに難しい問題ですね。「てにをは」がむちゃくちゃなせいで読んでて気持ちが悪くなるような文章なのになぜか面白くて惹かれてしまうものもあるし、きっちりかっちり書いてあっても面白くない文章もあるし。もちろん書いている内容にもよるわけですが。

    というわけで一概にどのように書けばいい文章なのかということはいえないのですが、僕が文章を書く上で気を遣う点はといえば句読点をどのように使用するかということで、一度アップした文章を句読点を追加したり削除したり位置を変更したりといったことで何度も訂正するのは、「てにをは」がおかしいということがなければ、たいていの文章は句読点の使い方が適切かどうかでいい/わるいを判断することができるのではないかと考えているからで、へたくそながらできるだけ読みやすい文章を書こうと日々努力してはいるのですが、そこはアレ、無才ゆえ読者に負担を無理強いしてしまっているのが悲しいところ。

    …というような無駄に長いセンテンスはよくないですね、という見本。

    他にできるだけ気をつけるようにしているのは、これは高橋源一郎太宰治の小説を引き合いに出してよく書いていることですが、文末の音を耳にここちよく響かせるように文章を工夫するということです。早い話が「?た。?た。?た」というような単調な感じにならないようにしたいということなのですが、これはかなり難しいです。特に日記というフォーマットにはかなり制限があるのでなかなかうまくいかなくて、目下のところ、この点で(これだけではないけど)僕の文章は腐っていると思います。