今日はなんだか インタネ
(© 安野モヨコ)気分ではなかったので、本を読んでいました。読み疲れて感想を書くのも億劫なので、面白かった箇所を引用してみます。
その本の中で、私は本物の鳥を巣から飛び立たせ、本物の花にとまった本物の蝶を追いかけた。人間も獣も、そのもの自体としてそこにいた。挿絵は彼らの肉体であり、説明文は彼らの魂、彼らの特異な本質だった。戸外では、原型に多少近づいてはいても完全さに到達することのない、漠然とした彼らの素描にしか出会わないだろう。ブーローニュの森の動物園で見る猿は猿らしくなく、リュクサンブール公園の人間たちは人間らしくなかった。
ジャン=ポール・サルトル『言葉』(白井浩司・永井旦・訳、人文書院・刊、福本和夫・著『私の辞書論』(河出書房新社・刊)からの孫引き) より
わたしはじっと彼の言うことを聞いていた。そして、女衒が娘を誘惑する場面を彼が演ずるにつれて、私は二つの正反対な衝動のために心を突き動かされ、思いっきり笑っていいのか夢中になって怒っていいのかわからなくなった。わたしは困ってしまった。いく度も、爆発しそうになる怒りが爆笑のためにおさえられ、いく度も心の奥からこみあげてきた怒りが終りには笑いの爆発に変わった。わたしは、これほどの慧眼と卑劣、これほど正しい考えと交互に現れる誤った考え、これほど全面的な感情の堕落、完全な破廉恥とたぐいまれな率直さのために、頭がこんぐらかってしまった。
ドゥニ・ディドロ『ラモーの甥』(本田喜代治・平岡昇・訳、岩波文庫・刊) より
「なんだ、まだつとむは生きているじゃないか、落ち込むことはないぞ!」
なんだか自分の中で元気な力が甦ってくるのが感じられた。するとベンチの脇の茂みから五、六人の若者たち(十代前半と思われる)が鉄パイプを手にして現れた。一見して、この若者たちにはフレッシュ・ジェネレーションという名称がふさわしいと感じた。リーダー格の男の合図で一斉に鉄パイプがつとむに振りおろされた。そして一瞬で血だるまに…。この時代のときめきを代表するような若者たちの登場に拍手をおくりたい。
中原昌也『マリ & フィフィの虐殺ソングブック』(河出書房新社・刊) より
こうして並べてみると、妄想によって行間を埋めることで、ひとつながりのお話のような気がしてきました。というか、そういう風にしか本を読むことができない…。