21 世紀になっちゃってさ、もう ’50 ? ’90 年代っていう 10 年毎の区切りがさ、完全にひとかたまり、というか、それぞれ 10 年毎のファイルになってて、それがひとつのフォルダにまとめて収められている感じがするんだよね。時系列はもう消去されてて、そのなかからどれを選んでも自由、みたいな。

“PLUG” 00 菊池成孔の発言 より

歴史感覚がないし、なくていいことになてるよね。「歴史の終わり」だとか、すべてがアーカイブになっていると東浩紀なんかがいうわけだよね。20S のロシアも 2 ステップもアクセスは等価に行なえると。だけど前に 20S から現在まで機械的に一年一曲ずつ選んだテープを作って、しばらくして忘れた頃に聴いてみたらやっぱりヴェンチャーズ・ショックはあるんですよ。

“STUDIOVOICE” 2003/01 三田格の発言 より

たとえばセックス・ピストルズを聴いてパンク・ファッションを作ったって何の意味もないわけです。だけど自分だけができる解釈っていうのがテクノやハウスには残ってるし、そこに独自のファッションみたいなものもないし…。特にエレクトロニカには今ないと思うんですよ。

(中略)

都会生活者にとっての洋服の機能としていちばん重要なのは、第三者にどう見られるかってこと。それは、ぱっと見られてヒップホップな人とか、ロックな人ととかわかりやすいもんじゃなくて、もっとあやふやなもので…。しかも、渋谷のレコード屋廻って、その日のうちに気が向いたら、タイユバンとか高級フレンチにもはいれるようなファッションが、都会にとって必要な機能だと思うし、それを追求してるんです。

“PLUG” 00 2003/01 黒田雄一の発言 より

いま必要な、<ラジカリズム>は、八〇年代の反動であってはならない。反動であることは、その底辺を漂う、「暗いまなざし」にとらえられるだけのことだ。しばしば起こりがちな。硬直から注意深く遠ざかり、かといって、戦略的な戯れにも頼らない。この困難な道を行くのは至難の業だが、だからといって、「問い」を放棄すれば、八〇年代を反覆するだけのことだ。それはきっと、「ただ立っている」というありかたでしかない。

『牛乳の作法』(宮沢章夫・著、筑摩書房・刊) より