仕事中、突発的にお腹がいたくなったのでトイレに駆け込んだのでした。ふたつある個室はどちらも空いていたしトイレット・ペーパーもちゃんと予備の分まであったのですが、なんとなく奥の方に入ります。たとえどんなにヤバい状況にあろうとも、その辺のチェックを怠ってはなりません。前のひとのうんこがこびりついている便器は汚らしいですし、用を足した後に紙がないことに気づくという愚を二度と犯すまい!!!

ズボンを下ろし便座に腰掛けたところで、ばたばたばたーっと駆け込んでくる足音がする。最高にお腹がアレなことになってるので、あ! イクよ 1・2・3! てな勢いでいたところ、足音の主がどうも挙動不審な感じ。隣の個室にいったん入ったかと思いきやすぐさま外に出て、引き続き乱暴に足音を響かせてそこらをうろうろしている。先に確認したとおり隣の個室には特に不具合はないはずなので、ぴんときました。彼はキチガイです。

とりあえず便意を押さえます。しかし勢いをつけた手前、そうそう簡単に収まる腹ではないのです。僕が苦しんでる中、彼はさらに足音高くばたばたと歩き回っています。いよいよおかしなことになってきた。と、突然こちらへとほとんど駆け寄ってくるというスピードで以て彼が近づき、「来たぞ!」と思うや否や、個室のドアがドガンドガンドガン!!! と叩かれました。様子をみてみます。彼はなおも叩き続け、その勢いは強まるばかり。拳で以て叩くばかりか、足で蹴りを加える等のより攻撃的な手法で以て、なにごとかのメッセージを発しているようです。ものすごい音が鳴り響いています。さすがに僕の便意もおさまっていました。

これは紛う方なきキチガイの所行です。「おいおい…職場でうんこしてたらキチガイに襲われるって…。勘弁してくれよ…」と、すでにズボンを上げベルトを締め直してのんびり構えていたのですが、その時、ズガッという音とともにドアの上部をつかむ彼の手が見えました。ドアをよじ登ろうとしているのです。ガガガッと揺らしながら彼は懸命にドアにしがみついているようでした。いったんあきらめたかと思いきや、おそらく助走をつけて再度ズガンッという音を立ててドア上部を彼は掴み、どうあってもよじ登ってみせるという心意気であるようです。

これは少々マズいことになったなぁとうんざりした心持ちで、相手はもしかしたらナイフ等の危険な武器を携帯している虞があるので、鉄製の汚物入れを手にして迎撃の体勢を取ることにしました。もしナイフを持っているとしたらそれを投げ入れてくることも考えられるので、できるだけ端っこに身を寄せます。すると、ドアの隙間、数ミリのところから彼が中の様子を伺おうとしているのが見えました。おそらくは大丈夫だと思いましたが、顔を見られたりすると後々困ったことになりそうなので、端っこへ退避することをあきらめ、真ん中の壁に身を寄せて、いつなにが来てもいいような体勢を取ることにしました。

その後も彼は二度、三度となく助走をとってはドアをよじ登ろうとします。少しおかしな気分になってきました。多分、彼は体力的に劣った、わりと高齢のキチガイなのではあるまいか。そうこうするうちにドア越えを諦めたのか、また手や足で以てドガンドガンドガン!!! と音立てて攻撃するという手法に切り替えたようです。今度は前にも増して執拗です。相手はキチガイなのでこんなことを思ってもしかたがないのですが、ちょっとあんまりなのではないかと思いました。これが映画「シャイニング」ならそろそろドアが叩き破られて、ジャック・ニコルソンが例の「ニヤ?ッ」という顔を突き出してくる頃です。それぐらいの勢いなのでした。

とはいえ、こちらからはなにもしようがないので静観するのみです。けたたましい音が鳴る中で、「あー、こんな安給料で仕事しててキチガイに殺されたりしたらほんと悲惨だよなぁ」などと考えます。「これで殺されたりなんかしたら ZAKZAK あたりが喜んでネタにするのではないか」などと思い、少しいやな気持ちになりました。また当然のことながら「これは日記に書かないわけにはいかないよなぁ」とも思ってもいるわけで、「しかし、こいつはオチをどうつけようというつもりなのか、まだ叩いてるよ」とやや飽き飽きしてもいるのでした。

数分間、ドアを叩き続けた後、いったんその場を離れて外に出たかと思いきや舞い戻ってはドンドン叩いたりばたばたと歩き回ったりした後、こちらの反応がないことに彼も飽きたのか、去っていったようでした。個室を出て、となりを覗いてみる。特に問題になるような不具合はやはり見つかりません。紙はちゃんとあるし、うんこがこびりついているようなこともない。純粋に気が狂った方(おそらくはオッサン)が、なんかのきっかけで愉快な精神状況に陥っていたのでしょう。まぁ、特になにかされたわけでもないので、そういうこともたまにはあるだろう程度の感想を抱いただけなのでした。

トイレから出たら、ややもすると外はキチガイによる殺戮の結果、血みどろの大惨事になっているのでは? と少し戦慄的な気分になっていたのですが、そんなことはまるでなく、いつも通りの見慣れた職場の光景なのです。彼の姿はどこにも見当たりません。なにか悪い夢でも見た後のような気分になりました。また、オチがないのは例のキチガイに奇想の才がないせいで、断じて僕の文章力の無さに起因するものではありません。