ハイ・フィデリティ

むやみやたらと観客に語りかけてくる ジョン・キューザック。それだけで普通はこの映画を失敗作であると断じたくなりもするのですが、そこはアレ、30 過ぎてもレコードヲタっぷりを改める気配なんてさらさらなく、ショボい恋愛を繰り返しふられては叫び散らし「なんで俺はふられなければならなかったのか?」なんつって妄想の日々、つまりはそれがリアリティ、身に染みざるを得ないのです(僕はそんなんじゃないですけどね)。

「悪趣味は罪だ」などといって気にくわない客には商品を売りもしない、なにかあると TOP5 で世の中を秤にかける気色の悪いデブ(ジャック・ブラック)、ショルダ・バッグをストラップ短く肩から下げてなよなよと、グリーンディ関連の蘊蓄で以て趣味嗜好が似たような女と懇ろになりもするある意味うらやましくもあるハゲ(トッド・ルイーゾ)といった面子、そんな盆暗どもが働くレコード・ショップの経営者は、彼らとのいい年こいてモラトリアムな生活ぶりにうんざりしつつも「あるひとの評価を決めるのは性格や職業ではなく、そのひとがなにを好むかだ」といいながら趣味のエリート気取りでいるうちに、同棲していた恋人(イーベン・ヤイレ)に逃げられてしまうのです。笑えますね。思い当たる節、ありまくってますね!

…というように、この映画を見た者はついつい糞ッタレな思い出に沈み込み「あのときの俺といまの俺は違う…いまならもっと素晴らしいベスト 10 テープを作ることができる!」と、依然としてまるで変わることのない精神貴族ぶり(年収は浮浪者なみだけど)を晒してしまいもし、それでもやはり時は経ち分別もついて齢をとるもので「いつまでも清き青少年の気持ちのままではいられないぞ。映画に自己を投影する時代は終わった。鑑賞するのだ、断固として冷徹に、批評的に」と決意するものの、イーベン・ヤイレの口元の目眩く表情の変化を眺め「あぁ、素晴らしいなぁ」と、夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく。

原作 をずいぶんまえに読んだときにも思ったことですが、恋人の気持ちの変遷ぶりがいかにも唐突な感じがして、有り体にいえば御都合主義なんじゃないかとも思うのですが、ラストへ収束していくあたり、皆がポジティヴに変わっていき、精神の世界で疲れ果てることを止め、実のある世界でそのポジションを獲得していく様は本当に素晴らしく、涙が出るのです。僕の大きなお友達、つまり君らはこの映画を観て旅立っていくといいと思うよ。僕はずっとここにいるから。