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『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』

『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』を、訳者のひとりである秋草俊一郎氏よりご恵投賜わりました。ありがとうございます。

瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集

瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集

ロシア革命の混乱期に作家としてデビュー、モスクワにて諸芸術を教える講師をしたり、演劇や映画の脚本を書いたりするなど、領域横断的な活動をしつつも、綱領に沿わないその作風により、ペレストロイカ期にいたるまで、書籍としてその著作が日の目をみることのなかった「幻の作家」シギズムンド・クルジジャノフスキイ。近年、その文業が再評価されているとのこと。

本書は「クヴァドラトゥリン」「しおり」「瞳孔の中」「支線」「噛めない肘」の5つの短編から成っている。全体的に、当時の世相を反映したのだろう重苦しい雰囲気が、ある時は理不尽に、またある時は突拍子もないファンタジーへと展開していく。哲学や文学についての深い知見を思わせる効果的な取り込みと言語遊戯的なテキストの奔流は、特にラストの「噛めない肘」のスラップスティックな文体もあって、かつての筒井康隆氏の作風を思い出し、おおいに楽しんだ。

テーマはもとより、いわゆる「奇想」の細部にも、折りに触れ読み返すと新たな発見があるだろう「噛めば噛むほど美味しい」タイプの作家であるよう見受けられる。とはいえ、そのような「文学的」なことだけでなく、「瞳孔の中」などは、男出入りの激しい恋人に対する男性の嫉妬を、過剰な華麗さで描いた世話物のようにも読めてしまって、面白い。たとえばナボコフがそうであったように。

しおりは引き出しの黄色い底に横たわり、この前会ったときのように、色あせた絹の裳裾を気取って伸ばし、皮肉で待ち侘びるような表情がその模様に針で刻まれていた。私はしおりに微笑んで、もう一度引き出しを閉めた。今度は長く待たせはしない。
(中略)
ノートができたとき、ふたたび、青い絹の孤独なしおりのいる牢獄の扉を開けた。そしてわれわれはふたたび、ノートの中の行から行への旅を再開した。

「しおり」本書p85 – 86

この、語り手を目眩く思考(妄想?)の奔流に導いていく青いしおりは、別の場所で再び青い姿をまとって現れ、物語をドライブしていく。

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どっと入りこんできた青白い空気に長されて車両に迷いこんだ蝶が一頭、しわがよった翅を頭上の網棚にぶつけていた。クヴァンティンはその鱗粉の模様を知っていた。学名ウラニア・リペテウス。緯度20度を超えて飛来することのない、亜熱帯に生息する種だ。

「支線」本書p149

その正体不明の蝶を、たとえば右図のような姿なのではないかと空想してみるのも、楽しいことである。

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