8時過ぎに起床。メディテーションを15分。今日はちょっとうまくいかなかったなあ。
ヴィパッサナー瞑想のやり方の本を読むと、必ず「慈悲の瞑想」というのが出てくる。その中で、嫌いなひとを思い浮かべて、しかしそのひとが幸せであるようにと念じるという節があるのだが、僕には「嫌いなひと」というのが存在しないので、どうしたものかと思いつつ、スキップしている。
まあそれはそれでいいことではあるのだろうけど、嫌いなひとがいないというのは、通常有り得べき数の人間たちと、通常有り得べき質の関係を取り持てていないということなのではないだろうか?ということを、ついついメディテーション中に考えてしまって、集中が乱されるのだった。
今月は評価の時期なので、業務時間中はひたすら面談。話すのは楽しくもあり、それを評価としてアウトプットするのは大変でもありという感じ。あまり先をみてもしかたないので、こういう時は超短期的に目の前のことを淡々と行うモードに気持ちを切り替えて、瞬間々々を一生懸命やるしかない。これもまた、瞑想のおかげでそういう考えになったことかも。
帰宅して夕食をとった後、「「言文一致運動」の展開に見る日本・中国の相違」という論文(?)を読んでいたのだが、いろいろ引っかかって困る。以下にツイートだけ貼っておく。
「「言文一致体」は言文一致ではないというのが前節の結論であり、本稿の最終的結論である」って、何を意味してるんだろうか。
— あんちぽちゃん (@kentaro) January 5, 2016
その後、『自分で訳す星の王子さま』をちょっと読み始めたり、公開されたばかりの『概念分析の社会学2─実践の社会的論理』のページを読んだり。
I must admit that I felt definitely envious when the spouse mentioned one, in some trivial conversation, with whom she used to be in a relationship. I had never had such a feeling until the time. Did it indicate an intimacy had just emerged whereat?
I remembered, at the same time, a phrase in Le Petit Prince, “You must be responsible forever for one whom you tamed”. Was I into a true feeling about what the relationship should have for the first time? I just realized “an important thing” after I wandered around The Universe, right?
昔に比べて、自分の考えというものがないのは同じだけど、判断力は向上した、つまり条件の把握とそれを元にした結論の導出は速くなったと思うけど、それはそれで考え方が固着してる気もするから、アンラーニングしたいと思う昨今。変化しないのはよくない。こわい。