昨晩は、日記を書いた後、会社のブログ向けに長々としたエントリの草稿を書き、四方田犬彦さんの『すべての鳥を放つ』を読んだりしていて、3時頃まで起きていた。

今朝は8時半頃に起きることになり、やや睡眠が足りない感じ。それから、来年のことについてあれこれ議論するミーティングがあったり、ブログを手直ししてリリースしたり、午後は研究所のメンバーや新しく入ったエンジニアとの1 on 1をしたりして、夜は来年入社のメンバーたちを歓迎する飲み会。例によって、お酒は飲まず、お茶のみ。料理にもあまり手をつけず。帰宅すると、Kに「顔が疲れている」といわれる。

すべての鳥を放つ』の続きを読み、読了。なんだかよくわからない小説だったのだが、肯定的に語られているわけではないとはいえ、この世代の文化的な華やかさみたいなのには、当事者たちは空虚感をことさらに語るものの、いまではもうありいそうにもない状況への憧れ的な思いを、いまだに感じることはあるのだなあと、読んでいて思ったりしていた。かつて熱心に読んだ四方田犬彦さん「ガロ」に連載していた日記(のちに『星とともに走る』)や、80年代の文化的立役者への皮肉な目線という意味で金井美恵子さんの目白四部作を思い出す。

若い頃になにも身につけないまま今に至ってしまったという思いを、数年おきに軽い後悔の気持ちとともに感じるのだが、すぐに忘れてしまって、次の数年後に至る、というのをもう20年ぐらい繰り返している。これからもそうなんだろうという気もするし、今度こそ、と思いもする。自分が本当にやるべきだったのは、たとえばフランス語なりなんなりを若い頃にちゃんと地道に勉強して、今頃はフローベールなりなんなりに特になんの意味もなく単純に楽しみのために耽読するみたいなことなのでは?みたいなことを思ったりする、みたいな、くだらないことだったりするのだけど。

このひと月弱ほど、お酒をまったく飲まず、入院時に体重が7kgほど落ちたのをきっかけに食べる量もだいぶ減らして、とはいえ運動をする気力もないのだからそれから体重が減るということもなく、なんとか維持しているという状態なのだが、そういう生活をしていると、気分が非常にフラットなまま保たれている。それがいいことばかりだとは思えなくて、単に飲み食いしないせいでテンションが上がらないということであり、活力が失われているといういことかもしれないとも思うし、そう思うのは、長年の飲酒による強力なバイアスのせいであって、これが普通なのかもしれないと思いつつ、しばらくお酒を飲むこともないし、減量も続けると思う。

気分的にフラットであるとはいえ、身体的には明らかに疲れやすくなっていて、急激な筋力の衰えによる体力低下だと思うのだが、まだジムに行こうという気にもなれない。しかし、いつまでもそうしてはいられないので、少しづつでも運動を再開しないとなあと思いつつ、いつになるやら……とも思っている。まあ、飲酒の習慣を停止し(やめたわけではない)、減量を試みているところにあれこれつっこんでもなにもものにならないという気もするので、気分が乗るのを待つほうがいいのではないかと思いもする。