昨夜は打ち上げで遅いKを待ちながら本を読んでいて、3時過ぎまで起きていた。しかし朝は普通に起きて仕事。月いちルーティンのミーティングをしたり。また、研究計画のレビューをしてもらって、昨晩さっと書いたものの論理的な誤りを正してもらって助かった。結果を反映して、少し手直しをする。その後、出社して面談や研究会、ミーティングなど。夜は、鹿児島の新メンバーを歓迎する会を「ハヌリ」で。肉をたくさん食べる。その後、チルインでおしゃべり。

創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで (講談社選書メチエ)』を寝る前に読んでるのだが、とてもおもしろい。プラトンから始まって、哲学において狂気と創造性の関係がどう語られていたかという歴史を語る本。その目的は、20世紀に統合失調症がある種の特権的な病として語られていたのはなぜか?という問いにこたえること。著者が千葉雅也さんと対談していた時(『思弁的実在論と現代について: 千葉雅也対談集』所収)に、神経症の19世紀→統合失調症の20世紀→自閉症の21世紀的な図式を示唆していたのだが、実感としてもそういう感じがする。

著者の本は他にもあれこれ読んでいたのだが、この本は「精神看護 2020年 1月号 座談会 ロビンソン・クルーソーは無人島で誰に最初に出会うのか 統合失調症から自閉症へ 特集 患者さんと医療者の意向が異なる時のコミュニケーション技法LEAP」の座談会で、統合失調症から自閉症へのモードの変化において、前者をあとづけたものと著者が紹介していて、じゃあ読んでみないととおもって買ったのだった。著者の『症例でわかる精神病理学』が出た時、自閉症への関心からなんか書かれてるか買って読んだのだが、その方面についてはそういうアングルでは書かれていなかったのだが、自閉症について中心的に述べた本(『〈自閉症学〉のすすめ:オーティズム・スタディーズの時代』)も出ているようで、注文した。ただまあ、かといって自閉症を今度は特権化する動きもありそうで、それはそれで20世紀と同じことを繰り返している感じもする。

これは全然整理されていないなんとなくの連想だが、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』におけるシチズンシップとアイデンティティや、ハンス・ウルリッヒ・オブリストのいう均一化としてのグローバリズムとそれへのカウンターとしてのナショナリズムみたいな話などと、なんか関係しているのかいないのか?みたいなことも考えたりしているところ。いずれにせよ、自分としてはローティ的な「トロツキーと野生の蘭」、カスリス的な「インティマシーとインテグリティ」のWhichevernessってところに落ち着くのだが。でも、そういう「未決定の宙吊りに耐える」的なポストモダニズムみたいなのはイマっぽくないとも思うんだけど、でもねえ、という感じ。