昨日は、日記を書いたあと、撮った写真を整理したり、プリントアウトしたりなど。あと、しまってあった絵を出してきて、飾ったりなどもした。

今日は久々にずっと外に出ずに一日中うちにいた。起床して、『〈自閉症学〉のすすめ:オーティズム・スタディーズの時代』の続きを読み、読了。生物学の章でいろいろこわいことが書かれており、身につまされる。続けて、『聖なるズー (集英社学芸単行本)』。こちらは、動物性愛の話。ズーたちの話は理解できるところもあるが、人間側の解釈に過ぎないだろうなあというものでもあり、それで幸せならよいのかも、と思う。しかし、人間の営みもまた、彼らの関係性とそんなに変わらないことかもしれないとも思う。

出張からKが帰ってきた。『1兆ドルコーチ――シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』を読んでいたのだが、お腹が空いてきたので、近くの中華料理屋さんへ。初めてのところだったのだが、とても美味しくてよかったなあ。帰宅して、よみさしてあった『旅の時間 (講談社文芸文庫)』の続きを読む。やはり、青木保さんの『エドワード・ホッパー ―静寂と距離―』でも紹介されていた「航海」のセリフに感銘を覚える。

「こうして段々日が暮れて行く訳ですが、」と老人が言った。「夕方っていうのは寂しいんじゃなくて豊かなものなんですね。それが来るまでの一日の光が夕方の光に籠っていて朝も昼もあった後の夕方なんだ。我々が年取るのが豊かな思いをすることなのと同じなんですよ、もう若い時のもやもやも中年のごたごたもなくてそこから得たものは併し皆ある。それでしまいにその光が消えても文句言うことはないじゃないですか。そのことだけでも、命にしがみ付いている必要がないだけでも爽やかなもんだ。」

吉田健一『旅の時間』(講談社文芸文庫)pp.257-258より

見事だなあ。その通りだろうと感じる。老年をこのように豊かに過ごせるよう、知恵と教養を身につけたいものである。