Month: January 2020

2020年1月11日

JAISTの試験のために、品川の東京サテライトへ。しばらく待った後、試験会場へ。まずは事前に提出した小論文に基づいて用意したスライドで発表。その後、口頭試問。プログラムを量化する手法について問われて、うまく答えられず。OSSとセキュリティというテーマについて研究計画の概要を提出したのだが、どうもストレートに受け取られなかったようで、研究というよりはビジネスへの応用という関心にのみフォーカスしてるのでは?という話になる。そういうことではないのだが、と思いつつ説明をしたのだが、わかってもらえたか不明。 勉強をする気があるのか、これまでしてきたのかという文脈で、学部時代(20年前!)の研究テーマについて話すようにいわれ、岸信介について話す。正直言って、これからやろうとしていることを話そうとしているのに、そのテーマを深堀りするわけでもなく過去のことばかりきくことについて不快感を持ったが、できる限り話をしてみた。結果がどうなるかはわからないが、とりあえず待つほかなかろう。なんか、アカデミズムとの相性がよくわからんが合わないのだろうか?と感じる。6年前にMBAを受験して不合格だったのだが、その時の感じが蘇るなあ。 ともあれ、自分が問われることに対して防衛的な態度を思わずとりがちであることにあらためて思い至る。自分の成り立ちというか、自我みたいなものへの問いかけに対して、壁を作ることによって自己を防衛しようという機制があるのだろうと思う。そういうのは普段はださないように心がけているつもりなのだが、心がけているというその事自体が、防衛機制の存在を明かしだてることであろうと、あらためて感じる。競争的な環境においてはいい面もあるだろうが、一般論としてそういうのは疲れるだけだし、関係性を損ないかねないだろうので、コントロールしたい。 帰宅して、本の続きを読んだあと、しばらく眠る。夕方、起きて恵比寿へ。moffoomへ。本の続きを読む。その後、代官山蔦屋書店に行き、本物色。濱田裕史さんの写真集『Primal Mountain』とFoamの最新号を買う。あと、そこで観た本のKindle版『オールドレンズ実写図鑑[雑誌] エイムック』、『カメラとレンズのしくみがわかる光学入門』を買う。ジョージアのワインを買って帰り、帰宅して本を読みながら飲む。

2020年1月10日

月いちルーティンのミーティングのあと、出社して面談等。その後、鹿児島オフィスの新メンバーらと、昨日に引き続き飲み。まずは六本木に行き、松屋でご飯。松屋は、14日からジョージア料理を取り入れるということで、そのもの珍しさから、注目すべき状況にある。その後、North Villageでおしゃべり。さらに麻布十番まで歩き、Zenobia Cafeでシリア料理。シーシャもあるのだが、ここでは吸わず。アラビアコーヒーが美味しい。さらにカルロス・ゴーンも住んでいた元麻布ヒルズを眺めて、今回の歩行のテーマはカルロス・ゴーン。

2020年1月9日

昨夜は打ち上げで遅いKを待ちながら本を読んでいて、3時過ぎまで起きていた。しかし朝は普通に起きて仕事。月いちルーティンのミーティングをしたり。また、研究計画のレビューをしてもらって、昨晩さっと書いたものの論理的な誤りを正してもらって助かった。結果を反映して、少し手直しをする。その後、出社して面談や研究会、ミーティングなど。夜は、鹿児島の新メンバーを歓迎する会を「ハヌリ」で。肉をたくさん食べる。その後、チルインでおしゃべり。 『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで (講談社選書メチエ)』を寝る前に読んでるのだが、とてもおもしろい。プラトンから始まって、哲学において狂気と創造性の関係がどう語られていたかという歴史を語る本。その目的は、20世紀に統合失調症がある種の特権的な病として語られていたのはなぜか?という問いにこたえること。著者が千葉雅也さんと対談していた時(『思弁的実在論と現代について: 千葉雅也対談集』所収)に、神経症の19世紀→統合失調症の20世紀→自閉症の21世紀的な図式を示唆していたのだが、実感としてもそういう感じがする。 著者の本は他にもあれこれ読んでいたのだが、この本は「精神看護 2020年 1月号 座談会 ロビンソン・クルーソーは無人島で誰に最初に出会うのか 統合失調症から自閉症へ 特集 患者さんと医療者の意向が異なる時のコミュニケーション技法LEAP」の座談会で、統合失調症から自閉症へのモードの変化において、前者をあとづけたものと著者が紹介していて、じゃあ読んでみないととおもって買ったのだった。著者の『症例でわかる精神病理学』が出た時、自閉症への関心からなんか書かれてるか買って読んだのだが、その方面についてはそういうアングルでは書かれていなかったのだが、自閉症について中心的に述べた本(『〈自閉症学〉のすすめ:オーティズム・スタディーズの時代』)も出ているようで、注文した。ただまあ、かといって自閉症を今度は特権化する動きもありそうで、それはそれで20世紀と同じことを繰り返している感じもする。 これは全然整理されていないなんとなくの連想だが、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』におけるシチズンシップとアイデンティティや、ハンス・ウルリッヒ・オブリストのいう均一化としてのグローバリズムとそれへのカウンターとしてのナショナリズムみたいな話などと、なんか関係しているのかいないのか?みたいなことも考えたりしているところ。いずれにせよ、自分としてはローティ的な「トロツキーと野生の蘭」、カスリス的な「インティマシーとインテグリティ」のWhichevernessってところに落ち着くのだが。でも、そういう「未決定の宙吊りに耐える」的なポストモダニズムみたいなのはイマっぽくないとも思うんだけど、でもねえ、という感じ。

2020年1月8日

朝起きて、たまっていたイシューにコメントしまくり、その後はずっと面談。評価シーズン。途中から出社して、また夜まで面談の続き。終わって、昨日社内向けにリリースした文書に関するフォローアップをしたり、それに基づいて新しい取り組みについて検討したりなど。思考が活性化されてきたようで、いろいろやりたいことが見えてきたように思う。いま取り組んでいることに加えて、他のこともどんどんやっていきたいなあ。時間をもっとうまく使っていかねば。 食事をしたり飲みに行ったりした後、帰宅して、土曜日のJAIST受験のための資料作成。7分間で、願書提出時に同梱した小論文についての発表をすることになる。ちょっとした研究計画の概要のようなものを書いたので、その内容を簡単にまとめてスライドにした。社内向け文書作成に時間をかけていて研究の方に取り組めていなかったので、またあらためて思い出してやっていかねば。少しずつでも時間をとって進めていこう。

2020年1月7日

ここひと月弱ほど断続的に取り組んでいた社内向けの文書を、さっさと仕上げて出そうと思って、まとめあげる作業。最終的になんとか形のあるものに仕立て上げて、社内向けに公開。Google Documentで60ページほどあってかなり長いのだが、それだけ書いておきたいことがたくさんあったということで、できるだけ多くの人に読んでもらって、実践していきたいものだなあと思う。今後は、そういうドキュメントをもっと書いていこうという気持ち。 夜はCTO協会の白書作成班のミーティング。ちょっと頭がぼんやりしてしまっていた。こちらの方にももう少し効率的に時間を使えるようにして、アウトプットもどんどん出していかないとなあ。ミーティングが終わって、参加メンバーと近くのお店で夕食。あれこれとおしゃべり。面白い。帰宅して、Kの最近の仕事について話したりなど。最近熱心に取り組んでいた件がもうすぐリリースされるので、そちらも楽しみ。 ハンス・ウルリッヒ・オブリストが影響をうけまくっているエドゥアール・グリッサン、エッセイや評論は日本語に翻訳されているものが多いけど詩は訳されておらず、小説はいくつか。影響の大きさのわりに必ずしも紹介が進んでいるわけではないようなので、訳されていないものをがんばって読んでみようかなあという気持ち。フランス語の勉強もがんばらないと。いまのところ「まいにちフランス語」を聴いているだけなので、読む能力は全然向上していない。その辺もやろう。

2020年1月6日

今日から仕事始め。まずは、すぐに評価シーズンなのでその日程調整をするところからスタート。来週はまるごと福岡出張に行くので、その準備なども。その後、グループ全体での新年会。挨拶をしてまわったり、あれこれおしゃべりしたりなど。その後、North Villageへ行き一服。昨日観たハンス・ウルリッヒ・オブリストの講演からインスパイアされて、こんなことを考えた。 ハンス・ウルリッヒ・オブリストのDo Itプロジェクトの意図する、アートをデリダ的な意味で散種し、グリッサン的なアーキペラゴ状の受容を作り出していく試みは、たとえば各地で行われている対話型鑑賞のような、中心のない活動における思い思いの鑑賞と対話による感じの共有もそのひとつであろう。美術館における展覧会という制度をボリス・グロイスのいうようにアートの価値を保存し、そのことで新しさの基準を逆説的に作り出すという逆説的な意味で評価することに同意しつつ、しかしネットでいくらでもコピーが観られることの僥倖を最大限活用して、勝手に鑑賞のネットワークを作り出すこと。 ディスプレイをたくさん買い込んで適当なスペースに設置し、そこに話のネタにするための絵を映しておいて集った人々とお酒でも飲みつつ鑑賞しながらおしゃべりする会などを企画・開催するら等の活動を行いたい。そして、そのような散発的な活動の模様をアーカイブしておくプロジェクト。ディスプレイというかタッチパネルに映し出すようにして、思い思いに拡大したりできるようにするとなお良さそう。拡大した動きとその時に話された内容をマッピングして、後から再現できるようにもしたい。アーカイブしているWebサイト上で、その再現の様子を再現して眺められるようにする。 さらに、2ヶ月ほど前に三軒茶屋に移転していたことを知ったライアーへ。1Fと2Fがあって、1Fはだいぶカジュアルな感じで驚く。ご主人がでていらして、しばし歓談。しかし、飲みすぎた……。

2020年1月5日

朝、やや頭痛。Kは出勤していったが、まだしばらく寝る。起きて、文章の手直しの続き。最後までやり通して、いったんこれで完成。疲れてきたのでベッドに入って、ここしばらく読んでいる松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで (講談社選書メチエ)』の続きを読む。先日「精神看護」で読んだ、統合失調症から自閉症へという流れの前提として、20世紀に統合失調症が「特権的」な位置付けにあったのはなぜかということを哲学の歴史から解き明かしていく本。解説が平明で読みやすい。鎮痛剤を飲んだこともあり、読んでいるうちに眠くなってきて、2時間ほど寝る。 起きて、恵比寿へ。ヴェトナム料理屋でフォーを食べたのち、モフーム。Twitterを見ていたら、これからハンス・ウルリッヒ・オブリストのレクチャーが東京藝大であるという。以前、ニコラ・ブリオーがやった時に見に行ったシリーズだ。当然のように満席だったのだし、もし空席があっても間に合わないのだが、ネット中継があるということで、ありがたくiPhoneでずっと見ていた。彼のこれまでのキュレーションを総括しながら、グローバリゼーションに対して第三の道を提示したいという話が印象に残った。また、以前著書で書いていたエドゥアール・グリッサンからの影響がここでも強調されていた。 NADiff a/p/a/r/tへ行く。先日写美で見た齋藤陽道さんの個展が行われている。新刊の『感動、』とその前編から撮られた写真による構成。ただただきれいだなーという写真もあれば、ぞっとするような感じを覚えるようなのもあるし、様々な人々がいい顔で写っている写真もある。掲げられていたステートメントも含めて、なんかもっと世の中を広くみていかないとなーと思っていたところだったりしたので、感銘を覚える。彼の『異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)』を買った。また、先日の写美の展示はあらためてよかったなあと思い、カタログを購入した。 帰宅して、買ってきた本を読み始める。夕食を食べた後、齋藤陽道さんの本を読む。

2020年1月4日

昨晩、乾燥により喉を痛めてしまったところから、鼻水やくしゃみがでるようになってしまった。だいぶひさしぶりに風邪っぽい感じになってしまった。それで昼頃までごろごろしていたのだが、だいぶよくなってきたのででかける。渋谷へ出て、スクランブルスクエアやPARCOを見て回る(PARCOは2回目)。その後、North Villageへ行き、文章書きの続き。とりあえず書く分は書けたので、頭から見直していく作業。一区切りついて、丸善ジュンク堂へ寄り『ART SINCE 1900:図鑑 1900年以後の芸術』を買う。オクトーバー派の批評家たちによる20世紀美術史。 帰宅して夕食を作った後、文章の手直しの続き。体調が万全ではないので、風呂につかった後、早めに寝る。

2020年1月3日

起きて、日記を書いたりFacebookに年始の挨拶を書いたりなど。その後、North Villageへでかけ、「精神看護 2020年 1月号 座談会 ロビンソン・クルーソーは無人島で誰に最初に出会うのか 統合失調症から自閉症へ 特集 患者さんと医療者の意向が異なる時のコミュニケーション技法LEAP」を読む。先日目を通した座談会も再読したのだが、あらためて得るところがいろいろあった。類似的他者という概念は面白い。いわく、自閉症の人々も、そうした他者ならば社会的関係を取り結ぶことがあり得ると。そういうことは、自分の観測範囲においてもあるような気もしている。人間の基底としての自閉症的なあり方としてドゥルーズを読むこともまた、理論的な可能性のあることだと思える。その他、Listen-Empathy-Acknowledge-Partner=LEAPという実践についての解説も面白い。さらに、吉田健一『旅の時間 (講談社文芸文庫)』の続きを読む。 スーパーで食材とワインを買って帰宅。ラ・スピネッタのシャルドネ。旨い。食事と合わせて飲むはずが、Kを待ちながら仕事始めの書き物をしたり、写真について昨日から考えていたことをまとめてたりしているうちに、くいくい飲んでしまう。 広角で高精細に撮られた風景写真をうっとりと眺めながら写真によってしかなし得ないこのような細部の写り込みをどのように扱えばよいのだろうかと考えながらたとえば絵画のような形式にはあり得ないいつかたまたま見いだされるかもしれない細部に時間が畳み込まれるように凝縮されているさまを見ているのだ。そのような写真は写真家が意図するかどうかに関わらず否応なく記録的価値をはらんでしまいそのことはいまここでそれを観ているわたくしに対してもっとあとで観るならばより大きな印象を与えるかもしれないという未来への無限後退を強いることもまたありえアートとしての現在的な価値を毀損しかねない。 録音された自分の声を聴く者が一度は感じる「自分はこんな声をしていない」という驚きは録音機の持つ音響的現実と自意識との乖離から発生するのだが写真にもまた光学的現実と自意識との懸隔がありたとえばセルフィーを撮るものは何度も撮り直すことでその懸隔に対して折り合いをつけようと試みる。マイブリッジやマレーの写真が示した光学的現実を自意識に対する身体性としての視覚的無意識ととらえ自足的な自意識を内破する契機と評価するロザリンド・クラウスのようにあるいはもっと奔放なロラン・バルトのようにプンクトゥムを見出してまわることで写ってしまう現実から可能性を引き出すこと。 片手で持ったコンパクトカメラで撮りまくったスナップショットであっても三脚を使って入念に構図を作って丁寧に撮られた一枚であっても撮影環境がどうあれよくわからないものが必ず写り込んでしまい記録的価値を孕んでしまう写真の制約を未来の価値を現在に畳み込む装置としてとらえるとどうだろうか。しかしそうした記録的価値はアートといかなる関係を持つのかと自問するといくつかの考えが思い浮かんできてたとえばアートであるかどうかはどうでもいいという投げやりなのもあればそこに何を見出すかという撮影者と鑑賞者の無意識のぶつかりあいに可能性を見出すという穏当な回答が出てきもする。あるいは絵画に倣って全面的に画像に手を入れ書き換えてしまう少なくとも書き換えを完遂したのだという意思を持つことを試みるようなピクトリアリズム的な信念を表明することもできるだろうし写ってしまう現実を隅から隅まで構成しきってしまうモダニズムや杉本博司的超絶技巧を極めることもできる。 そのいずれにしたって写真が過去という時間をパッキングするものであるという通念に反して否応なく写ってしまうイメージがいつか見いだされるかもしれないしされないかもしれない潜在性の充実としての未来をこそいまここに畳み込む装置であるとみなすことに写真という形式の可能性を見出したい思う。そんなことをあれこれと考えながら都市のコンポジションを写真によって読んでいくことやその行為があるいはいつか誰かにとっての視覚的無意識なりプンクトゥムとなって未来からの刺激を感得することにつながるかもしれないことへ賭ける跳躍としていまはただある日の一枚をそっと差し出しておけばよい。 そんなことをしていたらエアコンの風で喉が傷んできてヤバい。といってる間にKが帰ってきて食材を持ってきたので、料理。ブリを焼いたもの、カツオの藁焼き、豚汁で夕食。その後、『視覚的無意識』を読む。

2020年1月2日

お昼頃起床。『地形の思想史 (角川書店単行本)』の続きを読む。 東京都写真美術館へ。展覧会を3つ観る。まずは「中野正貴写真展「東京」。この方のことは、ずっと前にTOKYO NOBODYと、そのメイキングみたいな映像を何かで観た時に知ったのだと思うけれども、その時に西麻布あたりを写した写真が、一番記憶に残っている。このような街を高精細に撮る写真は、写真家が意図したかどうかを問わず、記録的な価値を必ずはらんでしまう。そのことは、写真がアートであることにとって本意なのか不本意なのか、みたいなことを考えてしまう(以下、中野さんの写真そのものとは必ずしも関係のない話)。 写真が、ある時点における時間と空間を光学的現実としてパッキングするものであることにのみ価値を置くとしたら、そうした写真を観ることは不可能になってしまう。なぜなら、その時点と現在との懸隔の大きさに比例して記録的価値が高まるのならば、いま見るよりも常にあとに見るほうがよいことになってしまうからだ。しかし、我々は写真をそのようなものだとは認識していない。だからいま観覧できるわけだが、ではその時に我々は何によって無限の入れ子を断ち切っているのだろうか。それを可能にするのがアートとしての現在的な価値なのか、単なる無知による蛮勇なのか。 「山沢栄子 私の現代」、まずはWhat I Am Doingのシリーズに圧倒される。70-80歳代に制作されたとはにわかには信じがたい、複雑な構成と手遊び的な遊戯性の両立、圧倒的なかっこよさ。その後、展覧会は過去作や影響を受けた人々の作品などの紹介へと続くのだが、そちらの方は特に感銘を覚えず。「至近距離の宇宙 日本の新進作家 vol.16」は、時間がなくてほんとに通り過ぎるぐらいでしか観られなかったのだが、濱田祐史・八木良太両氏の作品に心惹かれた。濱田さんは、PGIで個展をやっているようなので、今度いってみよう。 浅草へ。Kの家族と大成苑で夕食。昨年はこちらのお肉をとってもらってKの実家で食べたのだったが、店舗の方に来るのは初めて。いまどきもう珍しい昭和感あふれるお店。そして、やっぱり肉はとても美味しい。いまどきの上品なものとは違ってがっつりした感じなのだが、柔らかくてジューシー。また来たいなあ。その後、しばらくテレビを観たり。NHKの筋肉についての番組を観ながらストレッチをする。また筋トレをちゃんとやり始めたので、今年はもっとしゅっと体を絞りたいなあと思う。帰宅して、地形の思想史 (角川書店単行本)』を読み終える。