起きると、首の左側にやや痛みの兆候。ストレッチをしてみたがひどくなりそうな予感もあるため、早めにロキソニンを摂取した。今日は1 on 1や面接で予定がいっぱいの日。ロキソニンを飲んだり、ずっと話をしていたりというのもあって疲れてきたので、仕事が終わった後に少し眠る。

夕食をとった後、お茶しながらあれこれ考え事。しかし、お茶するよりも移動している間のほうが考えが進む気もしていて、もっと散歩そのものの時間を増やすほうがいいなあと思う。考えの筋道はあるのだが、そこからどう具体的に問題を立てるかというところで、まだ考えが足りていない。

しかし、やっぱちゃんと物を読まないと進まないよなあと思って、『信頼を考える』の関係ありそうな章を読んだ。そしたら、そういえばブルース・シュナイアーの『信頼と裏切りの社会』なんて本があったよなあと思い出したので、本棚から引っ張り出してみたりした。これも読んでおこう。「信頼」という軸で、それをどう情報システムとエコシステムとの間で創出できるかを考えているのだった。副テーマのストーリーもその線で考えてみるとどうかと思っているので、はやく文献リストを作らないとなあと思っているところ。

CA社が、GANで女性の画像を生成して広告クリエイティブ素材として提供するサービスを発表した。そのことについて、倫理的に自分がどう判断するよいのかを考えたりした。見目麗しい女性の画像というのは、確かに広告にとって有用であるのは、良し悪しはともあれ事実ではあるし、そのような女性を広告に起用することは広く行われている。一方で、実在しない女性像を生成することは、直感的には社会的偏見を助長する、情報システムを乱用する行為であるというように、道徳的に非難したくなる気持ちも起こり得る。

ここで、典型的にはVRアバターのように記号的な表象しかない世界を考えてみる。VRアバターにおいては、リアル世界の自分そのものを再現するようなことでもしない限り原理的にバイアスのかかった表象しか作れないだろう(自分そのままであったって、何かしら盛ってしまうこともある。アイコンやインスタ写真のように)。上述のサービスを道徳的に非難することは、そうした世界そのもののあり方を否定的に観ることにつながるのではないかとも思える。実際、アニメ的表象について性的記号を見出して非難する言説が、Twitterなどではよく盛り上がっていたりする。

そういう議論がよい問題提起をしており、かつ、正しいことをいっていると思うことも多かったりする。一方で、上述のサービスのようなものを道徳的に非難することは、記号的表象しかありえない世界全般への非難につながると思える。なぜなら、VRの世界においてはリアル世界のような「自然な多様さ」が実現されるとはとても思えないからだ。そこではきっと上述のサービスで生成されたのと同じような社会的バイアスを反映したアバターばかりになるだろう。だから、上述のサービスを道徳的に否定することがあるとしたら、それは行き過ぎた考えだとも思える。どう考えればいいのかはまだわからないが、倫理的な課題として面白い問題だと思う。