2021年1月1日

2021年の始まり。昨年は、年初において現状を予想などできようもなかったが、今年はどうなるだろうか。万事うまくいって、もっと爆発的に享楽的な世の中になってほしいという気がする。

昼ごはんを食べた後、エピクテトス『人生談義(上)』の続きを読む。椎名林檎さんの「ありあまる富」という曲がとても好きなのだが、この曲にはフーコー的な意味での「自己への配慮」と同じ考え方を感じていた。今回、エピクテトスの新訳が出たことで読む機会を得られて、エピクテトスのいっていることと重なるところがやはり多いと感じた。

「象徴的な他者が希薄化し、想像的な他者のみが云々」みたいな昔からよく語られているストーリーについて「そうだね〜」ぐらいに思って読み流していたのだが、しかし実際、そうした事態はどんどん進んでいて、そのことで様々な問題が起きていると感じられる。象徴的な他者をあらためて築こうみたいな、これまた昔から行われている「反動的」なことでもよいのだが、少なくとも想像的な他者の欲望を欲望するようなことからは抜け出したいものだと思う。

とか考えているうちに寝入ってしまい。夕方まで寝る。

Kの実家へ、年始の挨拶に出向く。今年も豪華なおせちをいただき、満腹。ありがたし。Kの姪っ子と仲良くなり、一緒に遊ぶ。Kは最近三浦大知さんにハマっていて、あれこれと録画してもらったものを消化するためということで、実家に泊まることに。

帰宅して、「ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を観る。テオドール・クルレンツィスとムジカエテルナについて、複数の人々がピナ・バウシュとヴッパタール舞踏団の関係との比較のもとに語っていて、確かにそういう感じがするし、そういうあり方というのもあらためて注目すべきなのではないかと思ったりしたのだった。演劇とかだと普通にたくさんあるわけだけど、音楽におけるそういうのも面白いのかも。デューク・エリントン楽団とかDCPRGとかだってそうか。

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