• 2021年3月19日

    ある種の行動について、いかなる意味で悪なのかをいわずにそうした行動をとったものを排除すべきだという手続き的なことを言い募ると、善悪よりも損得として、つまり処世術的に(そういうことは言わない方がいいと)受け取られてしまう。内なる心の光が宿らない言葉には、同じく暗い心が対応してしまう。悪いことについては、その悪さを直接的に指弾すべきだ。手続きに矮小化してはならない。

    なんでこんなにやる気が起こらないのかというぐらい修論計画提案書を放置し続けてきたのだが、今朝になって今日中に書かなければならない状態になってしまったので、いよいよやらねばと思いつつそれでもやっぱりなかなかとりかからず、しかしはじめてみるとするする進んで、わりとすぐにできてしまった。それもまたはじめからわかっていることなのだが、それでもやらない。でもまあ、その分、集中して取り組めたという意味では効率がよいといえるのかもしれないけれど。まだ先生の承認をもらってないので完成とは言えないが(提出もしてないし)、ひとまず目処がついたのでよかった。

    夕食をとりつつ、「おちょやん」を3話分観る。今週は死期が迫った「てるお」の話。父親のこういう屈託についてのストーリーにはいろいろ思うところが出てきて、感じ入るところが多い。これまではかなりご都合主義的なストーリーが多かったこのドラマだが、この父親をめぐるストーリーはかなりギリギリのところまで攻めていて、素晴らしいものだと思われた。

    昨晩、書店に行った際に『福田和也コレクション1: 本を読む、乱世を生きる』なんてのが出ているのを見つけたので、買っておいたのを読み始める。90年代、学生の頃に熱心に読んだ著者のひとり。数年前に出た『ヨーロッパの死 ―未完連載集―』ではずいぶんと気弱な感じのことを書いていて心配になったりしたのだが、生活においていろいろと変化があったりしたようであることが、知己によるエッセイによってうかがわれたりしたのも、興味深く思えたところである。なんか、この歳になってようやく、かつての、いまの自分よりも歳下の彼のいうことを真に受けて生きるのもいいのかもしれないとも思うし、しかしやっぱり、もうそういうのは通り過ぎて久しいという思いもある。

  • 2021年3月18日

    今日は株主総会のリハーサルで渋谷へ。といっても、僕は会場にはいかないので別室から参加という感じなのだが。みなさんがいろいろと準備してくださっているおかげでいい感じに進行しており、ありがたし。

    インポスターシンドロームに陥ってしまうのは、公正世界誤謬にとらわれているからみたいなことを考えたりした。つまり、何か能力があったり努力したりしたことが報われるべきであると思っているから、能力もないのに環境や運によって分不相応の結果を得ていると思ってしまう。いったんバイアスを見据え誤謬を正せば、いろんな事情があって結果が生じているわけだから「それはそれで結果としていいんだからいんじゃね?」という理解になるだろうし、それでいいと思う。能力があったり努力したりしても報われるとは限らないし、それが役に立たないわけでもない。環境や運によっていい結果が生じたからってなにも悪いこともない。