2021年7月17日

朝からiMacのセットアップの続き。昨日でソフトウェアについては今すぐに使うものについては入れたので、次は研究周りの確認。今作っているものやデバイスのファームウェアをビルドしてみたり。ちゃんとできたので大丈夫そう。また、TeXで論文を書く環境も確認しておいた。

お茶しながら『古代史講義──邪馬台国から平安時代まで』を読み始める。近年、歴史学・考古学の進展により、古代史に関する方法論もオーバービューも随分変容してきたということはあちこちで見て知っていたことではあるが、このシリーズではそうした成果を新書の形式でわかりやすく紹介する。ちくま新書の歴史シリーズはかなり意欲的な取り組みで、古代史編も読むのが楽しみである。

Raspberry Pi 4をセットアップする。研究の実装でサーバとして使うので。ErlangとElixirは特に問題もなくビルドできて、よかった。せっかくなので、研究に限らず、何かあれこれさせるのに使うようにしよう。

夕食を食べながら、「ゆる言語学ラジオ」の「なぜ「仏の顔も3回まで」は間違いなのか?【助数詞2】#38」を観る。助数詞について、これまで考えたことのなかったような観点をあれこれと紹介してくれていて、とても面白い。「これこれのものに対する助数詞はこれである」式の規範的な感じのする紹介のしかたには違和感を覚えるが、人々の実際の言語利用の中で、助数詞の違いによって主観の違いを盛り込んでいるという話には感銘を覚えた。

日本語文法について興味が出てきたので、原沢伊都夫『日本人のための日本語文法入門』を読み始める。いわく、日本語の文法というと学校で習った文法を思い出すだろうけれども、それと非日本語話者向けの文法とは違うのであると。前者を学校文法、後者を日本語文法と呼び、それらをそれぞれ別の形で日本語の文法を体系立てたものであるとする。確かに、普通に考えて、母語話者向けのものとそうでないものとが全然違う体系になっているのは、そんなにおかしなことでもなかろうと思える。ただし、学校文法なるものは、現在の言語学の見地からすると体系としては矛盾するところが多いという。続きが楽しみ。

ある哲学者がぼやいていたことについて、Twitterとかヤフコメとかばかり見てると、逃走したオリンピック選手に対する非難ばかり目について「なんなんだこれ?」という感じになるだろうけど、普通に生きてる人々は共感的に、あるいはそこまで行かなくても理解を示す受け止め方をしてるんじゃないかという気もする。そして、それはそこまで楽観的過ぎる見方というわけでもなかろう。それが(自分も含めて)普通の人々というものだ。

ネットネタ続きで言うと、ある人物について、過去に酷い発言をしており今に至るまで謝罪や反省の弁が述べられていないことが非難されて然るべきだという意見は理解するが、だからといって炎上を肯定することは誤りである。ひとりひとりにとっては「批判」のつもりなのかもしれないが、それが結果することに無自覚・無責任であるべきではなかろう。

この2段落は、自分でも書いてみて相反することを述べているようにも思えるが、そう言うわけでもなかろう。ネット的な世論(に見えるもの)に過剰に反応するのも良くないし、同時に、ネット的な炎上の形成に知らず知らずのうちに加担することがあってはならないという話。これは普通に両立することだろう。

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