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2021年12月19日

朝、早めに起きてもいい感じな気もしたが、やっぱりまだ体がだるくて10時過ぎまで。その後、「kotoba 2022年冬号」(特集「独学の愉しみ」)をぱらぱらめくる。思いのほかいろんな人がいて、楽しめた。佐藤優さんが、何でも一冊のノートに書いていくということを話していて、真似してみようと思ったりもした。ちょうどiPad Miniも買って使っているところだし、Good Note5を使って何でも書くようにしてみようかなあ。しかし、それなら別にiPhoneでもいいじゃんと思うのだし、今までなんで書いてなかったのか?ということでもある。でもまあ、手書きするということの効能というのもあるのかもしれない。

お茶しながら、アイシア=ソリッドさんの「Deep Learning の世界」をひたすら観る。1.5倍速で延々見続けて、32回目のBERTまで見終わった。AttentionやTransformer系の動画はこれまでにもそれぞれ何度か観たのだったが、今回初めから通して集中して観ていることで、勘所が何となくわかってきた感じもして、以前よりは少し理解が進んだようにも思える。ひととおり見終わったら、何か手を動かしてやっていこう。研究テーマにも取り込んでいきたいのだけどなあと、少し考えてみたりもした(特に思いつかなかったけど)。

帰宅して、今日も何かエッセイを書こうと思って、先日観たミチオ・カクさんの動画からインスパイアされた話から、常日頃考えいたことにつなげて「アリストテレスを真剣に受け取る:「物」を通じて社会へ開かれるエコロジー」という記事を書いた。最後のまとめのところで話を展開させて終わろうとひねってみたら、今まで言語化できていなかった発想を書くことができて、よかった。まだ言葉が足りないのだが、その端緒を捕まえた感じ。

「日経サイエンス」を3カ月分ためてあったので、ひたすら読む。吃音症の神経科学的な原因、BMIで脳卒中が原因の麻痺を治療する話、BMIによって脳波を読み取ったり介入したりすることへの展望など、神経科学の話にやっぱりひかれる。あとは、ベーリング海峡(というか、氷河期の頃なので海峡ではなかったのだが)を渡ってアメリカ大陸に移った人類学の話。逆に、化学の話とかには、あまり興味を惹かれない。いやまあ面白そうだとは思うけど。いずれにせよ、勉強しないと理解が及ばないことが多い。

夕食をとりながら、NHKプラスで中村吉右衛門の追悼番組を観る。渡辺保さんが吉右衛門の良いところとして、台詞回し、スケール感、艶という3つをあげていて、確かに吉右衛門さんにはその3つが揃っているし、また、役者だけでなく人間として大きくなるにはそうしたことが重要だろうと思われた(台詞回しは、人に響く言葉をかけられるとかそういう意味で読み替えた)。自分のことをどうにも小物だとずっと思えてならないので、興味深く聞いていた。ともあれまあ、仕事で何を成すかということだよなあ。

そんなことを思っていたら、Netflixの「浅草キッド」の広告が流れてきて、芸事つながりで気分が乗って、さっそく観てみた。原作小説については、出たばかりの頃に本が出ていたのを見たことはあったのだが、特に興味をそそられることもなく、読まずにきたのだったが、この映画は面白かったなあ。特殊メイクで実現した(と思われる)現在の北野武を模した姿は「不気味の谷」現象のようになってしまっていたが、話自体は当然のように面白く、演出も気が利いていてよかったと思う。深見千三郎役の大泉洋さん、そして、鈴木保奈美さんの良さ。ほれぼれした。

北野武の話というよりは、深見千三郎の話として心打たれるところが多く、今となってはああいう葛藤を抱えながら自分の信じるところを生きていくという姿は珍しくなってしまったように思われ、映画は後出しで人情ものみたいになってしまってどうかというところではあったが、それはさておき、そのような屈託にどうにも弱い。自分は、ありがたくもかなり屈託なく生きられているのだが、屈託なく生きることがいいことなのかどうかはわからない。

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