日記は栗林健太郎のScrapboxに移動しました。

2022年1月30日

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朝、10時過ぎに起きる。昨日買ったSyuRoのブリキ茶筒を使い始める。

Twitterを見ていたら、ナガオカケンメイさんが、民藝展を批判していた。曰く、いつから民藝はあんなにも高尚になってしまったのかと。それ自体はこれまでも繰り返されてきた批判であり、それ自体に共感する面もあるし、氏が現代の民藝的観点を持って実践していることに多大なる敬意を感じるものの、美術館でやる以上はしかたがないとも思う。一方で、清水穣氏の「民藝のための婉曲語法。東京国立近代美術館「民藝の100年」展レビュー」というレビューは、何が「民」であるかについて批判的な視線のない「教科書」的な展示だと評しており、より本質的である。

最近だと『アウト・オブ・民藝』という素晴らしい本で紹介された、柳が無視したものも含む民藝のオルタナティブな伏流というのもあるのだし、そういう意味でのキュレーションとしての意志を文字通り現在の「現在之日本民藝」として少しでも文脈づけるのがやるべきことだと思っうのだが、制度的にいろいろと難しいんだろうなあとも思う(協賛企業との兼ね合いや、来場者に関する目標、独自の視点を打ち立てるための研究体制・予算等の面で)。その中からでも、何かしらオルタナティブを打ち出すリスクを取ってほしかったとは思う。

Kとコーヒーを飲みに出かける。木澤佐登志『失われた未来を求めて』の続きを読む。その後、中目黒に場所を移して、さらにお茶しながら本の続き。

キャロルから始まり、チリにおけるサイバネティクスの実験と挫折、そこから始まるポスト・フォーディズムのオルタナティブなしの世界。大量の情報をあちこちに飛び移りながらドライブする文章に、めちゃ興奮を覚える。資本主義リアリティの強化に結果的に与してしまう再魔術化に対して、批判精神を持ってオルタナティブを提示する反脱魔術化を、というと図式的にすぎる整理になろうが、マーク・フィッシャーをそのように読み直すのが、彼の思想の「可能性の中心」ということなのだろう。

代官山蔦屋へ。本を何冊か買う。まだ買っておきたいものもあったが、キリがないのでやめ。いまこれを書いている時間がもう遅いので、記録はまた明日。場所を移して、細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』を読み始める。大河ドラマの予習である(もう3話ぐらい過ぎてしまったけど)。細かい話はあまり知らないので、勉強になるなあと思いつつ、読み進める。帰宅して、さらに読む。その後、夕食を食べながら、「鎌倉殿の13人」の第4話を観る。

修論のアブストラクトを修正する。要項を見ていたら、本文が日本語の時は英語でアブストを書くようにということで、分量も間違っていた。1時間ほど使って、とりあえず、目安に近い感じで書き直した。明日、もう一度読み直して先生にメールしよう。水曜日が締め切りだ。その次は発表資料を作らなければならない。

RFAの8日目。さらに運動強度を上げて、28になった。敵の体力が全然減らなくなって、しんどいというよりだるくなってくる。もうきつくてやめようかなと思ったけど、World4のドラゴ戦までやって、クリア。ドラゴも全然体力減らないし、マジでウザい。この辺のゲームバランスはちょっと悪い感じがするなあ。強度が高くなったら回数が増えるのはいいけど、一度の戦闘にかかる時間が長いのはだいぶだれる感じがする。

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