昨夜は、明け方にくしゃみが出てきてしんどいので、花粉症の薬を飲んでまた寝る。昨晩、寝る前に1錠飲んだのだが、昨日ぐらいからそれだと足りない感じになってきているようだ。2錠飲まないと。そんなこともあって、10時過ぎに起きたが、寝足りない。Kが散歩がてら食事に行こうというので、山を降りて料理屋まで向かうが、行列ができている。しかたがないので、ぐるっと歩いて適当な中華料理屋へ。初めて入ったところだが、悪くない。五目丼をいただく。
お茶しながら、昨日は聴きながら寝てしまった春風亭一朝さんによる「大工調べ」を頭から通して聞く。このネタは、大工の棟梁による見事な啖呵が聞きどころ。自分の話し方をもっとはっきりわかりやすくしないとならないのではないか、落語的な話し方、すなわち江戸の方言を身につけることがその一つになるのではないか?もちろん、そのままではないにしてもその心持ちにおいて、などと思っていたりするところ。さらに、春風亭一之輔さんの「浅草演芸ホール探訪」の前編・後編を観る。
昼からはゼミ。自分の進捗について軽く報告したりなど。メールへの返信をもらうべきタスクも進められたのでよかった。研究もしっかりやっていかねば。
神田伯山さんが講談を監修している久世番子『ひらばのひと』を読む。まだ2巻までしか出ていないのだが、これからが楽しみだ。一方で、『昭和元禄落語心中』ほど盛り上がるとは思えず、「講談ブーム」を起こすところまでにはならないのではないかとは思う。まあでも、そういうブーム自体はすでに伯山さんが起こしているのだろうから別によいのか。しかし、講談の面白みというのをあまりまだよくわかっていないので、もうちょっとちゃんと聞いてみたい。その後、春風亭一之輔さんの「子別れ」を聞いているうちに、寝入ってしまう。
夕食をとりながら、「鎌倉殿の13人」を観る。今回は、さまざまなエピソードが盛りだくさんに語られた、つなぎ的な感じの回という感じ。続けて、「ブラタモリ」の小豆島の回を途中まで観る。「二十四の瞳」とかオリーブぐらいのイメージしかなかったのだが、火山活動によって形成された土壌・地形の面白さに惹かれる。
「楽座」で買った渡辺保『歌舞伎―過剰なる記号の森』を読み始める。のっけから、1936年生まれの著者が初めて見たのは1941年の六代目尾上菊五郎であるといい、1951年の六代目中村歌右衛門襲名披露の際の吉右衛門による口上の記憶を詳細に述べる。同年生まれの蓮實重彦氏もそうだが、記憶力のよいひともいるもんだと感心する。そういう「映画的」だったり「演劇的」だったりする記憶ということに関する力にまるで恵まれなかった自分としては、羨ましい限りである。しかし、まだこの本を読める状況にはないと判断して、いったん措く。
本棚の周りに乱雑に積み上げられた本や雑誌を整理する。その中から、雑誌類をまず片づけようと思って「芸術新潮」を読む。2022年3月号の「特集:ローマ教皇 怒濤の2000年美術史」、2022年1月号「特集:杉本博司と日本の神々」を読み始める。前者については、先日もそうだったのだが今回もまた、やっぱりちょっと気分が乗らなくて、途中で読みさして情報コーナーだけ最後まで読む。続けて後者。ストレッチしながら気楽な感じで眺め始めたのだが、夢中になって読む。これまで氏の作品、著書などあれこれと触れてきたが、いつもひたすらため息をつくばかり。日記を書きながら、「京都市京セラ美術館開館記念展「杉本博司 瑠璃の浄土」関連プログラム対談 浅田彰×杉本博司」を倍速で聞く。