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2022年5月1日

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朝、10時過ぎに起きて、しばらくごろごろ。cryptoまわりの情報収集(といってもTwitterのリストとDiscordを眺めているだけだが)。

昨日、頭と髭をバリカンであたったのだが、充電が十分でなく、ちょっと中途半端になっていたのを整える。今度買ったものは充電台を使うタイプであるのはいいのだが、そうすると充電が切れていると何もできなくなるのは盲点であった。ちゃんと充電しておかねば。

立川吉笑独演会「真打計画01」のため、吉祥寺へ。3月ごろにチケットを取ったので、ずいぶん待ち焦がれた会である。あいにくの雨だが、そこまで強くは降っていない。吉祥寺に行くのは何年ぶりだろうか。ずいぶん久しぶりだなあ。武蔵野公会堂につき、14時から開演。ネタは以下の通り。

  • 落語家(吉笑)
  • 留熊八と八熊(吉笑)
  • 親子酒(吉笑)
  • 仲入り
  • イラサリマケー(談笑)
  • カレンダー(吉笑)

やはり圧巻だったのは「落語家」。この独演会の位置付けをマクラで語っていたかと思えば、実は昨今の落語家の多くはロボットなのだという荒唐無稽な話に転じ、真打に向けての重要な会なのだからロボット操縦係としてしっかり仕事をしなければという段になって、目の前で我々が観ているこの吉笑さんもまたそうであるということになる。典型的なメタフィクションなのだが、それを落語でああもテンポ良くやられると、非常に面白く、会場全体が落語の空間に入り込んだような不思議な気持ちになる。むしろ落語だからいいんだろうなあ。演劇でやったら、違う結果になりそう。すごい。

という感じで落語の構造をうまく利用する氏の名著『現在落語論』において、落語の特徴として下半身が省略されていることが挙げられていたことを印象深く記憶している身としては、このロボットにおいて脚の存在が重要な役割として登場したのも面白かったところである。舞台に現れた吉笑さんが、いったん止まってお辞儀するというやけに丁寧な挨拶をしたのを、そこまでおかしなことと思わずに受け流していたら、それが脚の操縦係が「笑点の出演者にしか許されない」丁寧ぶりを、自分の見せ場を作ろうとしてかやってしまったという話につながったのであった。

その後、「留熊八と八熊」、「カレンダー」もまた、自他の境や世界の常識のようなものを面白おかしく捻じ曲げつつ、そんな事態をすらまあそれはそれでいいじゃないかという、いかにも落語の登場人物的ないい加減さで受け流してしまうという鷹揚さは、かえって「人間の業の肯定」(立川談志)ということのあり方を、対人関係のみならず世界の根源にまで広げてしまう、実はそら恐ろしいスケールを持つ話なのかもしれないと思われた。

仲入り後は、シークレットゲストが登場するという案内がされたと思いきや、出囃子とともに談笑師匠が現れ、会場は大盛り上がり。弟子に対する愛情を思わせる話からどんどん転がって、今後とんでもない試練を与えるのだろうなというマクラからの「めでたい噺を」といって始まった「イラサリマケー」は、以前何かで聞いたことがある気がするが、ちょっと昨今の状況的にこの手のネタはもうダメなんじゃないかという感じで、ひたすらくだらなく、先行きの一筋縄ではいかなさを暗示している。師匠の花向けなのであろう。

終わった後は、ハモニカ横丁をぶらつく。その中にタイ料理屋さんがあったので、入って軽く一杯。SPYがあったのでいただきつつ、発酵ソーセージやソムタムやらを食べる。さらに「李朝園」で食事。昭和感溢れる店構えに、期待が高まらざるを得ない。肉は、種類によってややばらつきはあったが、特にハラミが美味しくて満足。お腹いっぱいになった後、さらに「ばんびえん」に寄ってお茶した後、帰る。

「鎌倉殿の13人」は、ついに源義高(市川染五郎)の悲劇的結末の会。また、頼朝の徹底した強敵つぶしに巻き込まれる形で、小四郎が武士として、後々の治世を行う者に向けて一皮むける過程も描かれる。

その後、研究のための評価用コードに少し手を入れる。方針を固めたので、あとは実装していくだけ。一度評価を回してみて、どういう結果になるか、早いとこやってみなければ。

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