昨日の飲酒の影響で眠りが浅く、二度寝、三度寝しながら10時過ぎまで寝ていたが、用事があるので起き出し、準備して外出。浅草へ。久々に「鮓 かね庄」さんへ。1年ぶりぐらいだろうか。鮨を食べにいくこと自体も久々であるように思える。体が重い感じがあり、食欲もそんなになかったのだが、食べ始めると美味しくて元気になった。
その後、浅草の歌舞伎ゆかりの場所をめぐる散歩。猿若町の市村座と守田座の跡地、待乳山聖天と池波正太郎生地跡、平成中村座発祥の地、浅草神社境内の初代中村吉右衛門句碑、河竹黙阿弥顕彰碑、初代市川猿翁句碑、そして、九代團十郎「暫」像。楽しい散歩。好奇心と知識があれば、街の見え方はずいぶん変わるものだ。團十郎像は、これまで何度も見たものだが、新たな気持ちで見栄を真似る。
その後、3年ぶりに神輿が復活する三社祭の初日、Kの姪っ子が子供神輿を担いで歩くのについて回る。けっこうな道のりを、わっしょいの掛け声を上げ続けながら歩くので、子供たちが疲れはしまいか心配になるのだが、元気に頑張り続けている。みているだけのこちらの方が、先に疲れてしまった。それで、頃合いを見て抜けて、浅草方面へ。六区の新店でお茶しながら、Next.jsやGraphQL関連のドキュメントを読む。
帰宅して、ベッドでごろごろしながら『ちゃぶ台返しの歌舞伎入門』を読み始める。隔靴掻痒の感のある既存の歌舞伎入門書に対して、著者がこのようなものがあればよかったと考える内容について書いているもの。面白い。読んでいるうちに眠気がきて、2時間ほど眠る。
Amazonに注文してあったものがいくつか届いた。「ハッピーアワー」のBlu-rayディスクと、それを観るためのプレイヤー、中沢新一『『野生の思考』 2016年12月 (100分 de 名著)』、落合渉悟『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』。「ハッピーアワー」については、蓮實重彦氏が濱口竜介監督の著書『カメラの前で演じること』の帯に「『ハッピーアワー』を知らずに生きることは、現代の日本社会に対する破廉恥な無知の告白にほかならぬ。まず、見よ。そして読むこと。」と書いていたのを目にしてしまったので、観ざるを得まいと思って、しかしBlu-rayでしか出ていないので、プレイヤーも買ったのであった。
さっそく「ハッピーアワー」を観る。最初は、ぎこちない台詞回しのために、何かフィクションというよりはドキュメンタリーを観ているような感じがして、しばらく乗り切れなかくてスマホをいじったりもしていたのだが、ワークショップの場面からこれはただならぬ映画だということがわかってきて、それからは5時間超という時間を、もちろん感じはするのだし、その長い時間そのものに意味がある映画なわけだけれども、疲れるという感じも全くないままにひたすら見入る。全く消化しきれていないので詳述しないが、明らかに大傑作であるし、自分自身も変わっていく体験をした。衝撃的。