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2022年6月24日

暑くて寝苦しく、睡眠が浅い。ここのところずっとそんな感じ。寝つきも悪いし中途覚醒もあり、5時間ちょっとしか眠れてない。エアコン掃除をしなければ。

経営合宿の2日目。今日は組織的な課題についての議論が主体。会議のもろもろは、15時頃には終わり。足元のこともこれからのことも、やるべきこと、やりたいことがたくさん。

エアコンのフィルタを洗い、本体の掃除をする。つけはじめるとずっとつけている状態になるので、使い始めるのをできるだけ先延ばししようと毎年してしまう。梅雨真っ最中のはずだが、昨日以来の1週間ほどはずっと晴れ模様で、暑そうなので利用開始する。

夜は、半年毎に開催しているO氏、T氏との飲み。今回はT氏が予約してくださって「ホルモン焼 婁熊東京」というお店。それぞれの方々の近況などをうかがう。T氏は、会社の方針の先頭を切って英語の勉強をしており、TOEICも大幅に点数が上がったとのことで、すごい。

話をしている中で、ある種のコンフリクトがあったという話題になった。それを聞いて、一方(Aとする)のいうこともその通りだし、それとは別に他方(Bとする)がコンフリクトから派生した事象により悲しむようなことがあるなら、それはそれで共感を覚えるということをいった。それに対して、T氏はBについてはまったく同意できないということであった。

帰りながらそのことについて考えていて、Aのこともわかるといいつつ、ある意味でBについても同時に擁護することは、それ自体がAにとっては「おまえには何も分かってない」ということもあり得ると思った。傷つけられるというのはそういうことだろうし。一方で、Bにとっても事が進めば結果的に同じことはあり得るわけだし、とも思ってしまう。

そういう風に客観的に考えてしまうのは、事実として他人事だからということではあろう。自分のことだったらそう思えるのかどうか。一方で、何であってもそのような客観視をする・できる性質というのは自分のある種の強みなのかもしれないし、他方では客観視自体が人を傷つけ得るという反省も持たないといけない。そんなことを思ったりした。

ただまあ、そもそも論として実際に当事者が目の前にいたら、基本的には話を聞いて普通に同調するだけで、AあるいはBにも理がある、なんてことは仮に思ったとしてもいわないだろう。それはまあ、普通に人付き合いの常識のようなことではある。

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