昨日・今日と頭が痛くてなにもやる気が起きず、だらだらとあちこちをふらふらしていました。
まともじゃない文章とはなんぞや?
- 全体的にやたら長い。センテンスが無駄に長い。句読点滅茶苦茶。ダラダラ。
- 主述修飾接続滅茶苦茶。
- 感嘆詞を多用している。無駄に強調が多い。筆圧の強さばかり目に付く。
- レトリックを多用しているが、使い方が頓珍漢。
- 結局何が言いたいのかわからない。
“Demagogie” 02/10/24 より
あはははは。まるっきり僕の文章そのものという感じだなぁ。主述修飾接続滅茶苦茶
にならないようには気を遣っているつもりなのですが、ちゃんと推敲しないとすぐ間違えてしまう。その他は弁解の余地なし。
でもまぁこの日記が一般的な見地からいって読みにくいところがあったとしても、それは僕がこの日記を一連の文芸作品として書いているつもりであるからなのであって、それらは全て意図されたものなのであります。結局何が言いたいのかわからない
という感想を読者がお持ちになった場合、僕に詩の女神が降臨した結果そのようなことになっていると思っていただけるとありがたいですね。
…なんてな与太はどうでもいいのですが、どういう文章がいい文章か、というのはなかなかに難しい問題ですね。「てにをは」がむちゃくちゃなせいで読んでて気持ちが悪くなるような文章なのになぜか面白くて惹かれてしまうものもあるし、きっちりかっちり書いてあっても面白くない文章もあるし。もちろん書いている内容にもよるわけですが。
というわけで一概にどのように書けばいい文章なのかということはいえないのですが、僕が文章を書く上で気を遣う点はといえば句読点をどのように使用するかということで、一度アップした文章を句読点を追加したり削除したり位置を変更したりといったことで何度も訂正するのは、「てにをは」がおかしいということがなければ、たいていの文章は句読点の使い方が適切かどうかでいい/わるいを判断することができるのではないかと考えているからで、へたくそながらできるだけ読みやすい文章を書こうと日々努力してはいるのですが、そこはアレ、無才ゆえ読者に負担を無理強いしてしまっているのが悲しいところ。
…というような無駄に長いセンテンスはよくないですね、という見本。
他にできるだけ気をつけるようにしているのは、これは高橋源一郎が太宰治の小説を引き合いに出してよく書いていることですが、文末の音を耳にここちよく響かせるように文章を工夫するということです。早い話が「?た。?た。?た」というような単調な感じにならないようにしたいということなのですが、これはかなり難しいです。特に日記というフォーマットにはかなり制限があるのでなかなかうまくいかなくて、目下のところ、この点で(これだけではないけど)僕の文章は腐っていると思います。