2026年1月4日

朝起きて、ベッドでごろごろしながらベネズエラの件についてあれこれと読む。背景と直近の状況について、ベネズエラについて中公選書で書籍を出している方が書いている「ノーベル平和賞受賞の栄光と米国トランプ政権の軍事圧力に揺れるベネズエラ(坂口 安紀) - アジア経済研究所」という記事に学ぶ。また、ホワイトハウスのXアカウントがNicolas Maduro on board the USS Iwo Jimaと書いていて、強襲揚陸艦に硫黄島なんて名前をつけていることを知る。

米政権としては、マドゥーロ氏はそもそも大統領としての正当性がなく、急襲は米国の影響圏内における反米的な違法勢力に対する介入であって、内政干渉には当たらないという理路なのだろう。圧政によって難民化したベネズエラ出身者たちの支持もXでは見られ、今後どういうことになるかは見通しづらいところである。

飛行機は夕方発なのだけど、KとリトルKがまだ帰ってきてないので、早めに空港にいって散策しようと、昼前に家を出る。

時間もあるのでゆっくりご飯を食べようと思ったのだが、どこも行列。いつも通り佐藤水産のルイベ弁当を買って、展望デッキで飛行機を眺めながら食べる。外を歩いてみようかと思って出てみたけどちょっと面倒な感じだったので、結局手荷物検査をくぐって、中で本を読む。福尾匠『置き配的』の続きを読み、読了。飛行機の出発ゲートがだいぶ遠いところに変わった上に、20分ほど出発も遅れる。

移動中、東浩紀『平和と愚かさ』を読む。「ゲンロン」での連載で読んでいるところもあるが、やはり面白い。平和とは戦争=政治について考えなくても許される状況であるという定義は、一方では転倒した定義にもなり得る。考えなければ平和になるわけではないからである。もちろんそんな単純な話ではなくて、常に訂正可能性に開かれた共生の平和の緊張関係において、ただ考えないこと=愚かさではない平和とはどういう事態であるのかということを問うているのだろう。まだ序盤しか読めてないので、この先が楽しみである。

直前に読んだ『置き配的』とも通じるような、政治について語ることを強いられる、あるいはポジショニングに関するレッテル貼りが横行していることに対して、もっと疎な言論のあり方を模索するという問題意識が通底しているところがあるように思う。アプローチはだいぶ異なりはするけど。また、NATOのコソボ空爆について国連決議なしに行われた超法規的な行動であったことは東氏の書籍でも触れられているが、ガザの戦争をめぐってイランを空爆したことや、冒頭でも触れたベネズエラ急襲においても通ずるところがあるようにも思える。

鹿児島について、同僚らと落ち合ってご飯。そのまま夜中まであれこれと話す。