2026年4月21日
リトルKを幼稚園へ送る。時間ギリギリで、おまけに母親の懇親会的なものがあってひとがたくさんおり、いつもに増してカオス状態になっていた。リトルKは周囲に呼応して叫びまくって靴を脱がないし、先生に引き渡そうにも4人ぐらいに取り囲まれているのか、何か対応しているのかわからない状況。人数の差もあるし、まず庭と部屋がそのままつながっているという構造にも差がある。子供たちが駆け回る場とそれぞれの部屋の入口が接しているので、入口が一箇所のドアしかない建物のようには整流されない。
アレクサンダー・C・カープ, ニコラス・W・ザミスカ, 村井章子『テクノロジカル・リパブリック 国家、軍事力、テクノロジーの未来 (日本経済新聞出版)』をやっぱり読んでおかねばならないだろうと思って、Kindleで買ったのを読み始める。技術を人々の楽しみのためのものばかりを作ることに行使するのではなく、もっと大きなイノベーションが必要であるというピーター・ティール的な価値判断の提示に加えて、カープの場合は、コミュニタリアン的な、テクノロジー業界の国家への貢献を求める。これはこれで説得的な議論であるようにぱっと見では思えてしまう。一方で、そこには民主主義的な契機がまったく入り込む余地がない。また、情報技術を公共に活かす道が軍事産業だけなのかというと、そういうわけでもなかろう。
夜はグループの技術責任者の勉強会と懇親会。自分も、このところやっているTODO自律実行システムについて簡単に共有した。なんかうまく話せなくて、反応がいまいちな感じだった。資料を作るところまではやりつつも、ちゃんとメッセージを作りこんだり、話し方を考えたりちゃんとしてなかったからだなあ。この頃、そういう場所で時間をとって話すみたないことをしていなかったので、雑になってしまったということである。
「パランティアは世界征服を目指すのか!? ——東浩紀が『テクノロジカル・リパブリック』を読んだ」を観る。上記に書いたような把握と批判と同様の内容が語られていた。