2024年4月14日
妻の友人家族と待ち合わせのため、早い時間に外出。2年半ぶりぐらい。子どもたちもずいぶん大きくなっている。公園で少し遊んだ後、食事したり、散歩したり。日差しが強くて、すこし暑いぐらい。日陰は、風が少し吹いていると気分がよい。いい天気。
子の世話をしたりしながら、断続的に本を読む。『哲学史入門I』を読了したり、『晩年のスタイル』の続きを読んだり。たまたま目についた『感じるオープンダイアログ』を読み始めたら、こういうのこそ自分がいま読んで実践すべきことなんじゃないかという気がする。
対人関係における共感性が薄いのだろうと自覚してはいて、その前提で行動するようには留意している。一方で、職業生活が長くなるにつれ問題解決的な思考様式がぬきがたくなっていっているとも思う。共感性の薄さを別の意味で覆い隠せてしまう方法だからだろう。
そういう態度が家庭生活における会話にも滲み出してしまうことがあって、よくないと思っている。また、日記に書いていることなども、すぐになにかまとめてしまおうとしてしまうし、もっとただ起こっていることをできるだけ詳細に記述するようにしたいと思う。
だいぶ前からいわれているような「対話」のような方法もいいだろうし、あるいはもっと根本的には「小説」というのはそういうことではなかったかとも思うわけである。もっと小説を書くように、話したり、書いたりしていきたいものである。
というようなことを書いていること自体が小説的ではなく、問題解決的なアプローチになってしまっている。考えた結論とそれにいたるプロセスをかくというよりは、気持ちや考えとして自分の中に起こっていることを、判断をできるだけ加えずに記述するようにするのでもいいのかもしれない。
とはいえ、なにごとか考えたようなことを書いているけれども、実際には冒頭の段落を書き始めたときにこういうことを書こうとはまったく思ってはいなくて、オープンダイアログの話を書いたところから、だんだんこっちの方向になった。そういう書き方はしている。それでいいのかも。