2024年9月22日
昨晩から,おかざき真里『阿・吽』を読んでいる.午前も,子が寝ている間に読んでいた.午後から京橋へ.アーティゾン美術館で「空間と作品」展,続けて落合陽一個展「昼夜の相代も神仏:鮨ヌル∴鰻ドラゴン」.夜は,世界史図説の並行読み.それぞれ強調するポイントが少しずつ異なる.
昨日,福田和也氏が逝去されたとの報道があった.若い頃にたくさん読んだし,文芸批評的なものは最近作まで読んでいる.私淑していたといっても過言ではなかろう.中でも,自分にとって『甘美な人生』、『俗ニ生キ俗ニ死スベシ——俗生歳時記』の影響はいまも大きくある.
その影響というのはいろいろとあるのだが,最も大きいのは「屈託」というあり方である.「屈託がない」というのは,いかにも平板でつまらない,もっといえばボットみたいな存在である.生きるとは,どうにもならない屈託と折り合いをつけたりつけなかったりすることである.
といってもそれはかなり熾烈な話で,詳述はしないが,高橋和巳に対する高橋たか子の態度に対して,こんな風にしか人間を見られないのか,と痛罵する文章があり,それを読んだ時は衝撃を受けたものであった.まったくいいことではない.しかし,そういうことはある.
一方で近頃思うのは,そうした屈託自体に対しては屈託しない,みたいなのもまた「屈託がない」.屈託をなくすことはできないにしても,屈託そのものを受け入れたり研ぎ澄ましたりといった風には,自分はもはや考えられない.そういう「屈託」がいまはある.