2025年12月31日
昨晩、authenticityやresponsibilityに代わるもっといい表現を議論していたのだが、結局、アリストテレスにおけるethos / hexisということなんじゃないかということになった。行為の反復はhexisとして沈殿し、ethosとして像を結ぶ。その像を固定せず、状態と読みの双方を書き換え続けること。そのethos / hexisの往復運動を組織すること。それ自体をethopoiesisとして生きること。
KとリトルKは、友人たちとランチにでかけていった。中地義和・訳『対訳 ランボー詩集――フランス詩人選1 (岩波文庫 赤 552-2 フランス詩人選 1)』の訳者解説を読む。ランボーの悪童ぶりとヴェルレーヌの優柔不断さに、今となっては良くない印象を覚える。ランボーはともかく、ヴェルレーヌは生後2ヶ月の子供をベッドに投げつけるなんて最悪である。
新宿へ。紀伊国屋書店の2、3階のみまわる。以下を購入。逸見氏の本は、ちょうどこのあたりに取り組もうと思っていたところに目に飛び込んできたもの。こんな本があったのか!といううれしさ。大黒氏の本は、かねて「情報的世界観」について書籍を書いていた著者が、いよいよ現代を生きる人々の世界認識の基礎をなすにも関わらずそれと意識されない世界観の源流であるサイバネティクスを歴史的・思想的に跡づける浩瀚な書物。
- 逸身 喜一郎 (著)『ギリシャ・ラテン文学 ——韻文の系譜をたどる15章』
- 大黒 岳彦 (著)『サイバネティックス運動 〈情報的世界観〉成立の理路』
また、Kindleで鶴見 太郎『シオニズム: イスラエルと現代世界 (岩波新書)』を購入した。
新宿から歩いて帰る。佐伯ポインティ氏のポッドキャストを購読し始め、2エピソード聴く。自分にはない視点が多くて、非常に面白い。猥談の話はだいぶ前に聞いたことがあり、面白いけど話題的にちょっとなあと思っていたのだが、人生相談だと純粋に面白さを味わえる。その他、「ギークポップ」の今年のふりかえりを聴く。
Kが鴨鍋と年越しそばを作ってくれた。紅白歌合戦を観ながら食べる。リトルKが飽きてきて遊ぼうというので、マグフォーマーを組み立てたり、サッカーをしたりする。
買ったきりほっといてあったジュゼッペ・ウンガレッティ (著), 河島 英昭 訳 (翻訳)『ウンガレッティ全詩集 (岩波文庫)』の訳者解説を読む。アレクサンドリア出身だったんだなあ。カヴァフィスとの接触もあったようで、「最後のアレクサンドリア人」という文章から以下の箇所が引かれていた。
エジプトのアレクサンドリアで、わたしがまだ年少だったころ、最初に近づいた文学サークルは、同年配の青年たちの集まりで、そこでは「グランマータ」という雑誌を出していた。わたしたちは毎晩のようにカッフェに集まった。しばらく後に、コンスタンティノス・カヴァフィスも、仲間のうちに入ってきた。今日、心ある批評家たちが二十世紀の大詩人を数える場合、一致して、五本の指に入れる詩人の一人だ。カヴァフィスは、少なく見つもっても、すでに二十五歳にはなっていて、当時十八歳になるかならないかのわたしたちのなかでは、最年長者だった。
本書523ページより
違和感を持って調べてみると、カヴァフィスは1863年生まれ、ウンガレッティは1888年生まれで、25歳差である。それにもかかわらず、ウンガレッティは数歳ほどしか違わないかのように書いている。そんなことあるんだろうか。[原文を引用しているページ](CORRIERE DELLA SERA.it - Forum - Leggere e scrivere)があったので訳してみると、「カヴァフィスは、私たちの中で最も年上の、十八歳にも満たない者よりも、少なくとも二十五歳年上だった」という解釈が適切であるようだった。まあそうだよなあ。
そんなことをしているうちに年を越した。