2025年12月30日

起きてご飯を食べたのち、準備して外出。明治公園へ行く。天気が良くて、日差しのもとだと暑いぐらい。上着を脱いで、長袖のTシャツ一枚で十分。日陰だと寒いけど。リトルKと遊具で遊んだり、ノースフェイスの店でKがリトルKのための上着を買ったりする。リトルKは、私よりもいい服をたくさん持っている。

そこから歩いてワタリウム美術館へ「オスジェメオス+バリー・マッギー One More 展」を観にいく。Kが行きたいということだったので。知らない人だなあと思っていたが、バリー・マッギーのおじさんの絵は、何度か雑誌か何かで見かけたことのあるアイコン。グラフィティやドローイングにはそこまで惹かれなかったのだが、4階の映像はとても面白かった。上下鏡張りになっている中で、横方向が3面スクリーンになっていて、映像が流れている。VR空間内にいるような体験。

地下のオンサンデーズで、落合陽一『波と景』、島村恭則、畑中章宏『オルタナティブ民俗学』を購入。ガゴシアンから出版されたドナルド・ジャッドの初期作品集がすごく良かったのでほしかったのだが、24,000円ほどするのでよしておいた(Artists Donald Judd | Judd Foundationで一部見られる)。戦後のアメリカ郊外の工業的美学をジャッドの初期作品はよりストレートに反映していて、心を打たれる。かっこいい。

リトルKが寝たので、このあたりにきたらよくいくガレット屋さんを訪ねてみたが、しまっていた。開いている店はどれも人がたくさん。店を探して歩いているうちにリトルKが起き出してきたので、そのまま帰る。買ってきた本を読んだり、マグフォーマーで遊んだりする。

福尾匠『置き配的』の続きを読む。落合陽一氏の動画を流しながら、『波と景』を眺める。落合氏の活動を見ていると元気が出るなあ。もっと自由にあれこれやっても良いのだという。

Claude Codeに、自分の日記からトピック分析して100問100答みたいなのを作らせたら面白いかなと思ってやってみたが、パッとやってみて結果だと全然つまらない。ちゃんと手を入れないとダメそう。それと同時に、ChatGPTとあれこれ議論。来年は、何はともあれ現状維持バイアスを積極的に崩していく必要があると思う。そのためには、あるべき状態をむしろ「現状維持」するべき「常態」と設定し、現状をそこからの逸脱とすることで、現状維持バイアスによって「常態」に引き戻すように仕向けていく方法を取る。それで、あるべき「常態」を思いつく限り入力して、分類・整理してもらい、常態を維持するためのAndroidアプリの仕様を作成、Claude Codeに投げて実装。自分のためだけのアプリをパッと作ってしまう方がいい。

そんなことをしながら、注文してあったのが届いたシャルル ボードレール(阿部良雄・訳)『ボ-ドレ-ル全詩集 (2) (ちくま文庫 ほ 9-2)』を読む。

昨日書いていた欲望の話の続きを考えていた。あれこれあるから決められないということを書いたが、抽象的に考えれば、ある種のauthenticityに基づく活動を継続しそれによって評価されたい、というのがコアにあるとまとめられそうにも思えた。では、そのauthenticityとは何か?というのが問題になるわけだが。それにしても、authenticityという言葉をいろいろな文脈でこの頃見る気がする。しかし、ちょっと違う感じがするんだよなあと思って、考える。自分がresponsibilityを感じられること、というのが近いように思う。公的に責任があるかどうかということというより、自分が責任を引き受ける必然性を感じているかどうかみたいなこと。でも、責任というのもなんか違う感じがするしなあ。