2026年9月20日

寝ていたらリトルKがやってきて、ドローンで遊びたいというので準備してあげて二度寝。あまりちゃんと寝られた感じがしない。

リトルKと公園を少し散歩。雨上がりで虫は全然いない。喫茶店でコーヒーを飲む。帰宅して、またドローンで遊んでいたら、プロペラがかけてしまってスペアがなくなってしまった。メルカリでスペアを注文したのが届くまで飛ばせない。さすがに耐久性が低すぎる。しかたないか。

繁延あづさ『鶏まみれ』の続きを読み、読了。人間は屍肉を食べられない、だから肉を食べるには屠殺する必要があるという指摘に、当たり前のことなのにハッとする。食肉処理の現場の話はそれ自体が知らないことばかりで勉強になったし、最後のあたりの、じゃあ機械化したらそれでいいのかという話はまさにアクチュアルである。

Kがヨガに出かけたのでリトルKと留守番。夕食を作っているうちに、眠いと言って寝てしまった。ありもので麻婆茄子を作る。リトルKはまったく口をつけなかった。悲しい。

クリストファー・ノーラン監督の新作「オデュッセイア」を観に出かける。IMAXではないものの、それでも映像と音響に始終驚かされっぱなしであった。また「インターステラー」を思わせる、訪ねた場所それぞれが個性的にヤバい寒々しさを感じさえるのもいい。一方でストーリーについてはかなり疑問が残る。ストーリーを駆動する構造として以下の3つがある。

  1. 木馬によるゼウスの掟違反→青銅器文明の崩壊→海の民とはギリシャ人自身
  2. アテナ像の冒涜とその巫女の殺害(巫女はゼンデイヤが演じ、アテナは後にその姿を借りる)
  3. シノンを欺いたことへの悔恨と、死んだ部下たちの弔い

どれもノーランによる脚色なのだが、それはいい。1はわかる。だが、ではなぜ2、3が必要なのか、1だけでもいいのではないか、そして最終的に3に対する行動で物語が終わるのだが、それは1、2とどういう関係にあるのかがうまく理解できなくて、とっちらかった印象を覚えた。もちろんなにか筋の通った考え方があるんだろうけど。

家族の元に帰りたいけどいろいろ大変なことが起こってなかなか帰れなかった以上の筋にするのになんでそういう構造がいるのかが腑に落ちなかったということなんだろう。