2026年10月20日

昨晩は念入りにストレッチしたからか、かなりぐっすり眠れた感じがあった。リトルKを幼稚園に送る。この頃さらに語彙が増えている感じがある。話しぶりも論理的構造がしっかりしてきた。これからどんどんおしゃべりになっていくのだろう。幼稚園ではちゃんとご飯を食べているというので、家でも食べてもっと大きくなろうねという話をする。昼間はあれこれ対応、夜はスタックしているプロジェクトを進めるために作りものをする。

辻井伸行氏による「戦場のメリークリスマス」の録音がリリースされていたのを通勤途中に聴いていたら、中盤で左手の低音がきわめて抑制されたタッチで繊細に弾かれる音が聴こえてきた瞬間、感きわまり、落涙を禁じ得なかった(実際に落涙したわけではないが)。

Listen to Sakamoto: Merry Christmas Mr. Lawrence - Single by Ryuichi Sakamoto | Spotify
Ryuichi Sakamoto · single · 2026 · 1 songs
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落涙といえば、蓮實重彦氏について「落涙の回数がさらに増えたようだが」的な感じで、暗に老化を揶揄するポストを観た。蓮實氏の言動についての賛否はともかくとして、芸術に対して落涙することを揶揄の対象とすることに許しがたい気持ちを覚えた。感きわまることだけが鑑賞のあり方だとはいわないが、かといって揶揄するようなことではなかろう。

ラーシュ・マーグナル・エーノクセン(荒川明久・訳)『ルーン文字の世界 ――歴史・意味・解釈』を購入。少し読む。解説がこの本の位置づけと、著者のルーン文字の象徴性に対するその後の傾倒について注意喚起していたのが面白かった。19世紀のナショナリズムから20世紀のナチスにつながる、ゲルマン民族の起源をめぐる歴史の捏造にルーン文字の恣意的な解釈による象徴性の付与が寄与したという。一方で、それが行き過ぎるあまり、ルーン文字の象徴性を否定するところまで行くとやりすぎだろうとも思える。史料的な実証が困難だから飛躍的な俗説に注意すべしというアカデミックな態度は理解できるのだが。

「長谷川あかりのシャニカマでごめんなさい」を毎回聴いているのだが、「斜に構える」の用法が気になる。聞いている感じだと、ものごとをあるがままに受け取らずに良くも悪くもあれこれと考えてしまう、みたいなことをいっているようである。「斜に構える」とは、そういうフラットな意味ではなくて、冷笑的な態度で否定的に受け取るという使われ方をするのが通例だと思うのだが、そういう感じではない(それも含まれるだろうけど、より広い意味で使われている)。フラットな使われ方がけっこうされているのだろうか?

フランス語で書かれたダンス史の書籍を読めばどっちも学べていいのでは?と思ってLaura Cappelle編 "Nouvelle Histoire de la danse en Occident: De la Préhistoire à nos jours (French Edition) "を買ってみたのだがまったく歯が立たないので、Z Fold7で書籍リーダーと一緒に開いておいて、その画面を読み取って解説してくれるアプリを作った。いいかも。