20251月3

昨晩から首こりがしており、起きたら軽い頭痛。その後、だんだん強くなってきた。最近調子いいなあと思っていたところだったのだが。

ベッドでゴロゴロしながら『バベルをこえて──多言語習得の達人をめぐる旅』を読む。とても面白い。それにしても、多言語話者をめぐる言説というのはなぜこんなにも毀誉褒貶に満ちているのか。これはAIによる創作にも関わる問題なのかも。言語を使えるということに対する感覚の差や、既得権益=サンクコストのようなこともあるだろう。

散歩に出かける。いまいち散歩時に聞くリスニング対象の方針が定まらない。休日の散歩時にあんまり仕事っぽい内容を聞くのもなあという気もする。しかし人文系の英語ポッドキャストは難し過ぎる。試しに、NHKのラジオ講座のビジネス英会話を聞いてみる。これはわりといいかも。大体は聞き取れるからテキストがなくても聞き流せる。他の言語だと、音だけだとあまりわからない。早く音だけでいってることがわかるレベルに持っていくのが大事だということを改めて思った。

通りすがりにもうやんカレーがあり、10年ぶりに入ってみた。ついついおかわりしてしまって、苦しい。後悔する。以前もそうだったような気がする。まるで成長していない。

渋谷まで歩いて、お茶しながらDaijiro氏のアメリカ英語発音に関する動画を眺める。知識としては知っていても、なかなか実践できない。その他、Kazu Languagesという日本人のpolyglotの方の動画を眺める。多言語運用能力がすごいのはもちろんとして、そもそもコミュニケーション力が高い。自分はまずそこのところに課題があるよなあと思う。

帰宅して、本棚の整理。リトルKがいないうちにやらないとと思って、集中する。2時間弱がっつりやって、頭痛が酷くなってきて一旦やめ。寝る。起きた後、首周りをマッサージ棒でぐりぐりしていたら、頭痛が取れてきた。逆効果になる時もあるのだが、どういう時ならよくて、どういう時ならダメなのかがわからない。

古典ギリシャ語、フランス語のルーティン。仕事が始まってもちゃんと続けられるようにしたいところ。

今後の世の中の見通しについてあれこれ考える。その上で、自分がどう行動するべきかを考えていく。また、それより大事なことは、自分が本当には何をしたいかである。改めて考えると、いちいちあれこれ煩わされずに、本を買って読んで暮らせるようになりたいというのが自分の一番の希望なんだよなあ。それなら、それを実現できるようにするためにはどうしたらいいかを考えて、今後の生活を組み立てていかないと。


#日記 #1月3日

20231月3

昨晩は、3時過ぎまで本を読んでいたのだが、9時頃起床。

明日は朝からミーティングがあり、午後は新年会のため、鹿児島に前入り。空港でデジコミしてみようと思い、それならば動画も撮ってみたくなるわけで、ほとんどまともに使っていないZV-1を引っ張り出して、使えるようにした。ZV-1関連の動画もいくつか観て、あらためて設定をし直したり、操作方法を復習したりした。

羽田空港について、さっそく展望デッキへ上がる。外まで出たのは初めてなんじゃないかなあ。さっそくデジコミ機(DJ-PV1D)でコールしてみた。全然反応なし。こんな広いところでもダメかー。がっかりしつつ、動画だけでも撮っておこうと思って、適当なカットをいくつか取る。

そうしているうちに、受信がきた!千葉の方のようだが、途切れ途切れに入ってくる。なんとかコールサインは聞き取ることができたものの、ちょっとやり取りしただけで途絶えてしまった。しかし、いずれにせよ初交信だ。うれしいなあ。テンションあがる。来ると思わなかったので、ちょっとあたふたしてしまった。

それにしても、空港というのはできるだけ短時間で通過したい場所という感じだったのだが、こうやって遊ぶ目的ができると、なかなか楽しい場所なのかもしれないという気がしてきた。

機内では、半分ほど寝る。『言語はこうして生まれる』の続きを読む。面白い。どんどん読んでいきたい。無線動画を観ているせいで手話の学習がおろそかになってしまっているので、バランスよくやっていかねば。

鹿児島空港から市内へのバスは、このところいつも補助席を全部使っての満員で、狭苦しくて、本当にイヤだ。明らかに本数が少ない。問題は認識してるんだろうから、対応してほしいものだなあ。

チェックインしたあと、お茶しながら動画編集。iMovieに撮ってきたカットを読み込んで、適当に繋ぎ合わせたり、削ったりする。ちょっとだけトランジションも使ってみた。やってみると、動画編集って面白いなあ。iMovieだとテロップを入れられない(?)ようなので、YouTuberが使ってるような動画編集アプリも使ってみたいなあ。

そんなわけで、以下の通り動画をアップしておいた。

[[https://www.youtube.com/watch?v=g98hw3QWgY0]]

ZV-1は、ハード面での良さはもとより、明るくてパッキリ映るので、自分のような素人がサッとやるには楽ちんでいいなあと思う。無線遊びについても他のことについても、ZV-1を使って撮影して、編集アプリも使ってちょっとこったものを作っていきたいなあと思ったりする。今年は「制作」の年なので。

今日のブックマーク


#日記 #1月3日

20221月3

朝、10時過ぎに起床。なんかもうちょっと寝ていたい感じだったが、変な夢を見ておきた(気がする。あまり憶えていない)。Habitifyの習慣リストを見直したので、あらためてリストの上から実行していくだけの生活。何も考えることなく、機械のいいなりになっていく。新聞を読んだり、雑誌を読んだり。今日は「家電批評」を眺める。家電には、情報機器関連以外は全然関心がない(というより、積極的に買いたくないと思っている)のだが、こうして強制的に読んでいくようにして、視野を広げていく。

昨日届いた薄茶(和香園・凰の香り)と濃茶(一保堂茶舗・明昔(さやかのむかし))をそれぞれ点ててみた。前者は、タンニンなのか、やや舌に広がりのある渋みを感じる。それはそれでフローラルな感じ。後者は、思いのほかなめらかで飲みやすいと感じたが、落合陽一さんが「濃茶は戦国武将のレッドブル」というように、グッとくる感じ。気付けにはとても良いだろうけど、これを毎朝飲んでいると中毒してしまいそうだ。

https://www.instagram.com/p/CYQG3Nvvu_C/

お茶しながら、岡本浩一『一億人の茶道教養講座』の続きを読み、読了。後半は、各種の流派や楽家の流れ、各種道具の話など。知らないことばかりで面白くはある。しかし、こうやって細かく作法や道具のレベルを分けることや、さらには流派によってそれらが異なることによる囲い込みなど、廃課金ゲームの感が強い。どこまでいっても極められることもないし、何やら社会的な権威も持っていたりする。よくわからないゲームだ。自分は自分で、好きなようにやっていきたいものだ。と思いつつ、とりあえず少しは習ってみたいという気もする。

明日の鹿児島オフィスでの新年会に出席するために、鹿児島へ行く。東京、福岡、鹿児島と、役員がそれぞれ分散して参加することにしたのだった。鹿児島オフィスのメンバーの部署を管掌している関係で、僕が行くことに。鹿児島に行くのは、昨年の3月以来。飛行機に乗るのもそれ以来か。ずいぶん久しぶりな感じ。行きの便はだいぶ空いていて楽。しかし、市内までのバスは相変わらず混んでいる。機内で、小島寛之『完全独習 ベイズ統計学入門』の続きを読み、読了。次に向けての良いステップになった。

ホテルにチェックインしたのち、天文館へ。「暖暮」で夕食。前に入ろうとして結局入らなかったことがあったので気がかりになっていたのであった。とんこつラーメンの店。もっと鹿児島っぽいラーメンにしておけばよかったか。その後、シガーとラムを求めて「ゆらぎ」へ。いい感じのバーだなあ。Gold of MauritiusとFlor de Caña 18年をいただく。後者は特に旨かったなあ。シガーはPartagas Serie D No.4。甘い香り。いただいた甘めのラムとよく合っていた。

https://www.instagram.com/p/CYRKVYAPNxV/

ホテルに戻って、持ってきたお茶セットで一服点てる。鹿児島中央駅前の観覧車をバックに。

https://www.instagram.com/p/CYRTzu3v_VE/

明日から仕事始め。今年は、昨年の反省をいかして、どんどんやっていかねば。

20211月3

朝起きて、レポート課題をしあげる。「画像情報処理特論」のレポートは、最後に少し残していたので、調べを進めて最後まで書いた。「高機能コンピュータネットワーク」については書くべきものは書き上げたので、最後に一通り見直し。どちらもこれでいいかという感じなので、あらかじめ指示のあった提出のしかたに沿って出した。「優」取れるといいなあ。

お茶しながら『動くメカニズムを図解&実験! Linux超入門』を読む。Nerves関連のコードを理解するために、Linuxのブートプロセスまわりに関するところをつまみ食いした感じ。概要はざっくりつかめたように思えるが、実際がっつりコードにもぐってみないとなあ。ただ、調べる上でのインデクスはできてきた感じがするので、役立ちそう。また、研究に関することについても、基礎的な知識を得られてよかった。

帰宅して、思いつきのコードを書き始める。いけるかなーと思ったけど、よくよく考えてみるとどうにもうまいこと実装できなさそうで、断念。ただ、実装を試みる過程で調べたことで役に立ちそうなこともあれこれあったので、それはそれでよかった。

Kが実家からおかずをもらって帰ってきたので、夕食。食べながら、NHKプラスで「ドキュメント72時間」の総集編をやっていたのを少し観る。

山本貴光・吉川浩満『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』を読む。先月、エピクテトス『人生談義』の新訳が出たので断続的に読んでいるのだが、そういえばこの本もあったよなあと思って、買って読んだのだった。とてもわかりやすく解説していて、良い本だったなあ。エピクテトスはもちろん、ストア派についてももっとあれこれ読んでいきたいと思う。

明日から仕事始め。仕事の方もどんどん進めていかなければならないし、プライベートの学業の方も締め切りがあれこれ差し迫っている。効率的にやっていけるよう、仕組みを整えてやっていかねば。そして、継続していくこと。これからはより効率よくパフォーマンスを高めていけるようにしないとヤバいと感じる。ちょっと気持ちを入れ替えて、アスリートっぽくやっていくようにしよう。そのためにも、身体的な面もだいじにしていかないとなあ。

20201月3

起きて、日記を書いたりFacebookに年始の挨拶を書いたりなど。その後、North Villageへでかけ、「精神看護 2020年 1月号 座談会 ロビンソン・クルーソーは無人島で誰に最初に出会うのか 統合失調症から自閉症へ 特集 患者さんと医療者の意向が異なる時のコミュニケーション技法LEAP」を読む。先日目を通した座談会も再読したのだが、あらためて得るところがいろいろあった。類似的他者という概念は面白い。いわく、自閉症の人々も、そうした他者ならば社会的関係を取り結ぶことがあり得ると。そういうことは、自分の観測範囲においてもあるような気もしている。人間の基底としての自閉症的なあり方としてドゥルーズを読むこともまた、理論的な可能性のあることだと思える。その他、Listen-Empathy-Acknowledge-Partner=LEAPという実践についての解説も面白い。さらに、吉田健一『旅の時間 (講談社文芸文庫)』の続きを読む。

スーパーで食材とワインを買って帰宅。ラ・スピネッタのシャルドネ。旨い。食事と合わせて飲むはずが、Kを待ちながら仕事始めの書き物をしたり、写真について昨日から考えていたことをまとめてたりしているうちに、くいくい飲んでしまう。

広角で高精細に撮られた風景写真をうっとりと眺めながら写真によってしかなし得ないこのような細部の写り込みをどのように扱えばよいのだろうかと考えながらたとえば絵画のような形式にはあり得ないいつかたまたま見いだされるかもしれない細部に時間が畳み込まれるように凝縮されているさまを見ているのだ。そのような写真は写真家が意図するかどうかに関わらず否応なく記録的価値をはらんでしまいそのことはいまここでそれを観ているわたくしに対してもっとあとで観るならばより大きな印象を与えるかもしれないという未来への無限後退を強いることもまたありえアートとしての現在的な価値を毀損しかねない。

録音された自分の声を聴く者が一度は感じる「自分はこんな声をしていない」という驚きは録音機の持つ音響的現実と自意識との乖離から発生するのだが写真にもまた光学的現実と自意識との懸隔がありたとえばセルフィーを撮るものは何度も撮り直すことでその懸隔に対して折り合いをつけようと試みる。マイブリッジやマレーの写真が示した光学的現実を自意識に対する身体性としての視覚的無意識ととらえ自足的な自意識を内破する契機と評価するロザリンド・クラウスのようにあるいはもっと奔放なロラン・バルトのようにプンクトゥムを見出してまわることで写ってしまう現実から可能性を引き出すこと。

片手で持ったコンパクトカメラで撮りまくったスナップショットであっても三脚を使って入念に構図を作って丁寧に撮られた一枚であっても撮影環境がどうあれよくわからないものが必ず写り込んでしまい記録的価値を孕んでしまう写真の制約を未来の価値を現在に畳み込む装置としてとらえるとどうだろうか。しかしそうした記録的価値はアートといかなる関係を持つのかと自問するといくつかの考えが思い浮かんできてたとえばアートであるかどうかはどうでもいいという投げやりなのもあればそこに何を見出すかという撮影者と鑑賞者の無意識のぶつかりあいに可能性を見出すという穏当な回答が出てきもする。あるいは絵画に倣って全面的に画像に手を入れ書き換えてしまう少なくとも書き換えを完遂したのだという意思を持つことを試みるようなピクトリアリズム的な信念を表明することもできるだろうし写ってしまう現実を隅から隅まで構成しきってしまうモダニズムや杉本博司的超絶技巧を極めることもできる。

そのいずれにしたって写真が過去という時間をパッキングするものであるという通念に反して否応なく写ってしまうイメージがいつか見いだされるかもしれないしされないかもしれない潜在性の充実としての未来をこそいまここに畳み込む装置であるとみなすことに写真という形式の可能性を見出したい思う。そんなことをあれこれと考えながら都市のコンポジションを写真によって読んでいくことやその行為があるいはいつか誰かにとっての視覚的無意識なりプンクトゥムとなって未来からの刺激を感得することにつながるかもしれないことへ賭ける跳躍としていまはただある日の一枚をそっと差し出しておけばよい。

そんなことをしていたらエアコンの風で喉が傷んできてヤバい。といってる間にKが帰ってきて食材を持ってきたので、料理。ブリを焼いたもの、カツオの藁焼き、豚汁で夕食。その後、『視覚的無意識』を読む。

20191月3

Kのいとこらが来るということでKの実家へ寄ったあと、「しみいる」へ。料理もワインも、めちゃ旨い!しかし、ひたすら旨いものを食べるだけのお正月であったなあ。

20181月3

アースダイバー』の続きを読み、読了。12年ちょっと前の刊行時には、この本を楽しめる気がしなくてスルーしたのだったが、いまこうして楽しめているのは、ちょっと不思議な感じがした。

千駄木へ。ちょっと正月っぽい夕食を作る。お雑煮、紅白なます、ブリの照焼、ゴーヤチャンプルー(これだけ異色だが)。

その後、酒を飲みつつ『擬 MODOKI: 「世」あるいは別様の可能性』を読む。

20171月3

S氏と、増上寺へ初詣に行く。初めていったのだが、増上寺への参道から、お寺、東京タワー、六本木ヒルズが一直線に並んでいるのが見えて、位置関係に驚いてGoogle Mapsをしばし見た。ちょうど箱根駅伝の走者が戻ってくるタイミングだったようで、増上寺前の歩道がすごい人集り。

なんとかわけいって境内へ。中は、ひとはけっこういるにはいるけど、思っていたほどではない。参拝した後、おみくじを引いたら、大吉。幸先がいいな。

日比谷通りを北上して、途中、公園に寄ったりしつつ、銀座へ。銀座若松であんみつを食べる。あんみつって、なんとなく昔からあるものだと思っていたのだが、この若松のいくつか前のご主人が、1930年に考案したものであるとのこと。

松屋などをぶらぶらした後、S氏が突然お腹痛いといいだしたので、帰ることに。

渋谷でルノアールに入り、『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』を読了。続いて『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』に取り掛かる。上巻は面白かったのだけど、下巻に入ってすぐに、超人間的な秩序の信奉、および、人間の規範と価値観の基礎となることこを両方満たすのを宗教であると定義し、その定義ではイスラームや仏教が宗教であるのはもちろん、共産主義も宗教であるというのだけど、生死、聖俗、因果などを捨象してそんな簡単にいわれてもねえ、と思う。

休み明けのスパートをかけるために、少し仕事をして、本読みに戻る。

20161月3

朝、9時頃起床。『「星の王子さま」をフランス語で読む (ちくま学芸文庫)』の続きを読む。

昼過ぎに外出。東急の地下で日本酒を買って、新年会に行く配偶者に持たせる。初めていったけど、思いのほかいいお酒が置いてあったので、ちょいちょい行くようにしたい。

昼食はスタ丼でステーキ丼。スタ丼自体は食べないけど、よく新作が出てるので、それらはたまに食べる。

初売りといっても行くのはブックオフぐらいなのだが、残念ながら、特に買いたいものがなかった。バーコードリーダーでピッピピッピやってるせどりの兄ちゃんがいて、新年を感じる。

丸善ジュンク堂で『べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)』を買う。昨年末に『台湾生まれ 日本語育ち』を読んで、複数言語熱が再燃してきたので。今年の抱負にも書いたけど、今年こそはなんか別の言語をちゃんと勉強したいなあ。

ルノワールで、買ってきた本を読む。

というわけで、星の王子さま関連でフランス語が盛り上がっているので、『星の王子さま フランス語辞典』を買った。これを手元に置きながら、星の王子さま本を読もう。

帰宅して、本の続き。

夕食は、俺の塩ラーメン。

帰宅して、久々にポッドキャストをやろうと思って、少し調べ物などする。その後、第8話を収録した。