20244月5

朝、保育園に子を送り届けてから、会社の近くにできたスタバによって一服して、出勤。桜丘の坂の入口の、桜並木が見える席。やや散ってしまったがまだまだ精彩を保っていて、人々も多くいる。それを眺める。

昨晩は、注文していたのが届いた高免信喜『ギター指板把握のための「フィンガーボード・ビジュアリゼーション」』を眺めていた。とてもわかりやすい。この方のYouTube動画もジムで運動しながら観ている。

ギターを練習しようとすると、そもそも自分の指がどの音を押さえているのかがわからなくて、単に形だけ真似ているのが気になってしまう。まずはサウンドに耳をゆだねればいいのかもしれないのだけど。

キーボードだと、曲がりなりにも押さえている音がわからないということはないわけで、だから少し理論をやれば、弾くことは十分にはできなくても、音を作っていくことはできる。まずはそういう状態にしたい。

何か弾きたい曲があるみたいな動機があれば、とにかく弾けるように練習すればいいのだが、そういうことでもなかったりする。あんまりこだわりすぎてもしかたがないが、もう少しはわかりながらやりたい気持ちがある。

でもまあ、それならキーボードをやればいいじゃないかという気もする。そこは単に物理的な制約の問題で、キーボードを置く場所がないということがある。だから、代理としてギターを抱えているわけだ。

だいたい、ジャズギターといってもほとんど曲も演奏もしらなくて、ピアノのほうがずっと馴染みがある。ほんとはそっちの方をやりたいという気持ちがある。そうはできないので、手持ちのことでまずはやる。

楽器をやろうとしてるのは、子と音楽で遊びたいというのもある。ならば別に理論というよりは弾けるほうがいいのだが、自分が楽しめないとしかたがないということもあり、楽しめることをやっている。

20234月5

KがリトルKを連れて実家に避難している([[2023年4月4日]]参照)ので、リトルKに起こされることなく寝た晩であった。寝ついたのが遅かったのと、明け方に目覚めたりしたのとで、眠い。最近、起きると首周りが凝っている。枕は悪くはなさそうなんだけどなあ。

先日、同僚が「渋谷のゴッドハンド」と呼ばれる方がやっているカイロプラクティックにいったという話を聞いた。冷や汗がダラダラ流れ、叫ぶのを抑えられない激痛だったそうだが、施術後はすごく爽快であり、また行きたいという。かなり興味があるのだが、そんな痛みに耐えられるのか、自信がない……。もう少しマイルドそうなところに行ってみようかなと思っていたのを思い出した。検索してみよう。

出社して、1on1や取材、面接、ミーティングなどあれこれおしゃべりする系のタスクが多かった。取材では、昨今のAIがもたらす社会の変化やEC業界へのインパクトのような内容について、1時間以上あれこれと話した。どんな文章になって上がってくるのか、楽しみである。また、先日収録したラップの音声と仮に当てたMVのモックが上がってきて、けっこう面白い。いい感じになりそう。何をやっているのだろうか。

こんなことを通勤時にツイートした。

私は比較的温厚な方だと思いますが、秩序立てて整理してある物事を破壊されたり、非合理的・非科学的な言動によって自分の行動を変えられようとしたりといったことによって、アンガーが発動しやすくなることを自覚している。ある種の特性に対して、コントロールできるよう訓練を積んできた。Twitterでいわれるような「社会性フィルター」のもっとプリミティブなエミュレータのようなものがあって、社会関係の場面では、それが脳のリソースの何割かを常に使っている感じがする。そういうこともあって、想定外の事態が起こるとDoS攻撃が成立する。対処法は案出した。

何が非合理・非科学的なのかということについては、広い考えを持っている。自分からは非合理に思えることであっても、別の視座からは合理的なことは、対人関係や社会的な構造においてはいくらでも存在する。そういうことに対しては、自分の感覚だけで怒ったりはしない。問題解決の対象ではあり得る。そんなこともあり、ある種の感情を抱くことはある程度制御可能だし、訓練によって制御の幅を広げることは、有用なことであり得ると思う。たとえば不安を感じるとして、たいていは感じることは所与とした上で対処を考えるようだが、そもそも不安を感じること自体が非合理である可能性をまず考える。

合理性を尊ぶのであれば、自分の感情のあり方についても合理的であるべき。例えば怒りを感じるのも、知識・情報が不足している、問題を把握できていない、変えようのない他人のせいにしている、やればいいとわかってることをやらない等からくる。そのように、自分に対してはベタに合理性を発揮する。ただ、書籍、ドキュメンタリーなどによれば、大きな業績をなす人は、これまで書いたようなことなどまったく無視して、感情をありのままに発露しており、それが社会の需要に(たまたま)ハマっているように見える。自分の態度など、非常に官僚的にすら思える。そう思うと、制御の難しい感情が持たれる。

ひとことでいうと、何らかの感情を抱くことや構造自体に反省を向けないとね、ということである。しかし、たいていの人々はそんなことをすることはないのだろうなあと思うけど。でも、そうやって自分の感情を制御しようとする態度は、昨今的にいうと「サイコパス」的なことなのかもしれない。

論文校正サービスに出した結果が、納期になっても連絡がない。メールで問い合わせたのだが、自動返信が来るばかり。そこそこイライラしてきて、今朝、上記したようなことを書いたばかりなのだが、と反省。結果的に、自分がメールアドレスを間違えて登録したせいだったのだが、なぜそうなったのかはシステムの不出来のせいもあって、イライラが募る、みたいなことを思ってまた反省したのであった。

相変わらず寝不足感があるし、首は凝ってるし、上記のような気疲れもあって、やや疲労を感じた。さっさと寝ないと。といいつつ、コードを書こうとしている。何か面白いものを書きたい気持ちが高まっているところ。

今日のブックマーク


#日記 #4月5日

20224月5

朝起きて、30分の研究タイム。いよいよ研究を進めないとそろそろヤバいので、やるべきことをあらためてリストアップするところから。文章を書く分には大丈夫だとは思うが、評価のための実装を急がないと。その後、あれこれとアイディアが思い浮かぶままにSlackに投下しまくったりして、面白いビジョンが見えてきて頭がフル回転。その後、ちょっと関連するミーティングがあったりしたので、テンション高い状態。どんどん進めていきたい。

そんなわけでいろいろとやることがたくさんあって、コンテキストスイッチも非常に多いし、全然こなしきれない感じなので、Centeredを常用する感じにしようという気持ち。それで、あらためて設定を見直したり、使い方をアップデートしたりなど。その日のタスクリストも基本的にCenteredでやるようにする。また、やるべきことが追加されてきたら、基本的にその場でパッとやってしまうという方針にしたりなど。その他、社内での生産性向上の取り組みを、ほうぼうで整理して解説したりなど。個人も組織も、とにかく生産性を上げていく。

夜は、CTO協会の定例ミーティング。その後、20時から月例のオンボーディングイベント。協会の説明と、その後の交流会。知らない人とお話しできる機会は楽しい。そんなことをしている間に、Centeredを使ってフローに入り、昨日検討していた内容について「NFTの真価を発揮するために必要な、二次利用に関するライセンスとロイヤリティについての考察 — antipop.eth」という記事にまとめたりしていた。ポッドキャストにしようとしていたのだが、やっぱり文章で書く方がわかりやすいよなあと思ったので。せっかくなので、mirror.xyzを使ってみた。

夕食をとりながらNHKのニュースを観る。キーウ(政府の方針で、最近この表記に変わり、早速NHKではこう呼称されていた)近郊のブチャと言う町では、一般住民がロシア兵に多数虐殺されていたのが見つかったとのことで、昨日あたりから話題になっている。こんな明確な戦争犯罪にあたる行為が行われるというのは、ロシア軍は兵に対する統率が全然効かない状態なのか、それとも荒ぶるような何かがあるのか。ともあれ深刻な事態を示すものであるように思われ、暗い気持ちになる。

先日、南禅寺入口の「うつわや あ花音」で購入した藤田佳三さんの安南手茶入れを、記録のために撮ったので、掲載しておく。

藤田佳三 安南手茶入れ

届いていた「そろそろ【落語協会黙認誌】」に目を通す。ちょっとまだ、こちらの知識が足りなくて、よくわからない感じ。「東京かわら版」の編集部インタビューは面白かった。48年もやってるんだなあ。

その後、さらにCenteredを使って研究関連のタスクを進めようと思ったのだが、朝からずっと集中してテンション高い状態できたので、急にやる気が途絶えてしまった。というか、研究を再開すると、それはそれで集中的にやることになるのが目に見えていて、やり始めれば楽しいのだけど、その状態に入って過集中状態が続くことになることに躊躇してしまうという感じがある。今日はもうしかたがないので、明日またチャレンジしよう。

20214月5

今日は、久しぶりに雨ということで、昨今は気温も高いから蒸し暑くなるのかなと思ったら、普通に冷えてきて夕方以降は寒いぐらいだった。

GMOペパボ・栗林健太郎が語る“逆算型キャリアデザイン”の落とし穴「人生の時間軸は人それぞれ違う」 - エンジニアtype | 転職type」という記事が出たり、「デブラジ | 開発者によるオンライントークセッション」というイベントの詳細が発表されたりと、立て続けに外向けの露出内容が公開された日だった。もう少し続きそう。取材なりオンラインイベントなりで呼んでいただける機会が多くて、ありがたい限りである。意味のある話をできるようにしていきたいものだ。

先日、ひょんなことからサンドウィッチマンの漫才を観るきっかけがあって、その面白さを知ることとなった。二人組のお笑いコンビというのは知っていたが、何かネタをやっているのは観たことがなかったのだったが、言葉の面白さで勝負するタイプの正統的な漫才をやっていて、とても好み。それで、観られるものは片っ端から観てみた。ついでに、「プロフェッショナル 仕事の流儀」まで観て、いろいろ苦労をしたひとたちなんだなあというところでも、好感度が高まったりした。

研究計画提案書を期限内に出したはいいものの、出すことにばかりフォーカスして、まだ何も始まってもないのに一区切りついたみたいになってよくない。あらためて文献リストを整理したりするところから立て直していかないと。計画としては全然余裕はないので、どんどん進めていかないと。授業も、面白そうなのあったら取ろうかと思ったりもしたけど、研究にできるだけ専念するようにしよう。

20204月5

昼ごはんに何を作ろうかなあと思ってGoogleに「いい感じのランチのメニューを教えて」と問いかけたらちらし寿司を提案された。えっ、そんな食材ないよと思って怯んだのだが、よく考えるとちらし寿司って酢飯にサラダをまぶしたものだよなあと思い直して、冷蔵庫にある野菜を使って作ることにした。とはいえ寿司なので魚がないといけないだろうというわけで、そのうちサラダに使うつもりで買ってあったおつまみサーモンを使う。結果的に、ちらし寿司かどうかはわからないが、わりと美味しく出来た。

この辺の発想は、玉村豊男さんの『料理の四面体 (中公文庫)』を読んだことによる発想。その本では、サラダも刺し身も、生物に味付けをして食べるという意味で同じものという整理がされている。乱暴な整理だという声もあったというが、しかしカルパッチョなんてまさにサラダだろうし。

その後、『選択と誘導の認知科学 (認知科学のススメ)』の続きを読んだり、注文していたのが届いた『リベラル・ユートピアという希望』所収の「トロツキーと野生の蘭」を読んだり、「そろそろ全体を見た話が聞きたい2 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing」を読んだり。このあたりはけっこう関連していて、認知科学的に解明されてきたバイアスに自覚的でないと適切な選択はできないし、ローティ的なリベラリズムこそいま必要とされていることだろうし、そのような考えを持って安宅さんのようにポジティブに未来の可能性を開いていくことが必要なのだろう。

NHKプラスでNHKスペシャルの「デジタル VS リアル第1回フェイクに奪われる“私”」を観ていたのだが、ちょうど日経新聞で「デマ退治」が不安増幅 買い占め騒動ツイッター分析という記事が数時間前にアップされていたのを読んだのもあり、非常に面白い。フェイクに対して思い思いにファクトをぶつけたところでそれは逆効果になってしまう。人々の悪意に対して人々の善意で対抗するのではなく、情報を公開し、判断過程の透明性を担保することで、政府、メディア、専門家の信頼をあらためて醸成していくことが、遠回りであるとはいえ、本質的な解決に至るのだろう。

いろいろやりつつ南アフリカのHelter Skelterというピノ・ノワール100%のワインを飲んでいたのだが、うまく作られたある種のガメのワインのような、キャンディー感。こういうのも、気分が上がるし悪くない。

20194月5

健康診断の結果、γ-GTPが目に見えて上がっているのでこれはいかんなと反省し、休肝日をもうけることにした。どういう形で行くかは、やりながら決めていく。週1なのかとか、たとえば2日飲んだら1日休むとか、週の中で連続して2日なのかとか。というわけで、さっそく今日は飲まないことに。

事故の哲学 ソーシャル・アクシデントと技術倫理 (講談社選書メチエ)』、『現代写真アート原論 「コンテンポラリーアートとしての写真」の進化形へ (Next Creator Book)』、『アートートロジー 「芸術」の同語反復』、『社会学史 (講談社現代新書)』、『進化する形 進化発生学入門 (講談社現代新書)』などを買ったので、それらをひたすら読む。

20184月5

夕食を「いまここ」でとりつつ、IMA MagazineのバックナンバーをAmazonで全部注文した(22冊)。Vol.23は書店で買ったので、パラパラ眺める。foam magazineもとてもよいのだが、この雑誌もいいなあ。「立体化する写真」ということで、写真によるインスタレーションや立体的なコンポジションがいろいろ紹介されている。写真の束をキャンバスに重ねていくspewの製作模様の紹介それ自体を作品化した写真もあり。どれもとても面白い。

アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』でも後藤繁雄さんが書いているが、2010年代に入ってからの写真は本当に面白い。コンテンポラリーアートとしての水準はもちろんのこと、単純に美的な鑑賞としても良い体験をもたらしてくれる。デジタルなレタッチ技法の進化が、フィルム写真の現像プロセスにフィードバックされて、むしろデジタルにはない物質であることの強みを活かした作品が増えているのも良い。デジタルなものも、foam No.49で紹介されていたJannemarein Renoutのスキャナーを用いた絵のようなカラフルな写真など、デジタルな機材のあらたな利用による美学の創出もある。

20174月5

昨夜は、日記を書いた後に『企業不祥事はなぜ起きるのか - ソーシャル・キャピタルから読み解く組織風土 (中公新書)』を読んだ。最近立場が変わったこともあり、得たところがおおいにあった。

今日もずっとおしゃべりの日。

帰宅して、『プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)』を読み始め、読了。