2024年4月1日

今日から子が保育園に入ることになったので、初登園。朝の保育園は、やはりすごくばたばたしている。子は、まったくさびしがるようすもなくバイバイと手をふり、初対面の子どもたちと仲良く遊び始めている。そういうところは、自分とは違っていて、妻に似ている。

会社では入社式があり、グループ全体のそれがあった後、家の会社での会がもたれた。その後、懇親会であれこれとおしゃべり。毎年思うことだが、優秀な方々が次々に入ってくる中で、自分のようなものが価値を出していくには?みたいなことを考える。

全然関係ないが、昨日ある件について嫌味的なことを思ったあとに、そういうのは本当によくないことだと心底反省したということがあった。そもそも、嫌味そのものが評として適切ではない内容だろうし、そんなことを思ったところでなにもいいことはない。

なぜそんなことを思ってしまうのか。それは、制作をしていないからだろうという気がする。制作をする立場からことにあたっていれば、嫌味を思う前にどうやって作るかについて考えるし、あるいは作り始めているはずである。作ってないから嫌味をいう。

よくいわれるような、批評は実作より劣るみたいな話しではない。批評もまた制作だからである。そうではなくて、あらゆることについて制作者として向かっていれば、嫌味を思う暇がないはずであるという、ごく単純な話である。そうしてないのがよくない。

ひとは生きていることそのことが制作であるはずで、そうなると嫌味を思うのもまた制作ではありうるけど、嫌味などよりももっと他の制作をするべきだろうということである。単に、その方が生産的だろう。だから、ただ制作をする。そのことに向き合う。