2024年5月19日
このところTikTokやYouTubeで韓国語講座的な動画が流れてくるループに入って久しいので、学習熱が再燃。『1日たったの4ページ! やさしい基礎韓国語』の再読を始める。昼は『生きのびるための事務』を読みつつ、三社祭を観に浅草へ移動。素晴らしい書物。
昨晩、「【相当ヤバい】HoYoverse新作『ゼンゼロ』のデザインを本職と解剖する/ゲームさんぽ」という動画を観て、圧倒された。こういうレベルでやっている人々がいる一方で、自分はどうなのだろうか?こんなにも徹底してやれてるとはまったくいいがたい。
歩きながらあれこれと考えていて、つまりは自分の能力の限界があって、そういうことができないのだみたいなことを思う。ヴィジョンや戦略はもとより、組織を作って実行するということにおいて、絶望的な差がある。すこしでも近づくというレベルにすらない。
その後、坂口恭平さんの新刊を読んでいて、考えを改めた。坂口氏は自己肯定も自己否定も意味がないという。それよりも「事務」的に、具体的に未来を現在として考え、継続していくだけだと。それをできるようにすることが才能なのであって、一般にいうような能力概念を否定する。
その話はすでに連載中に読んではいたのだが、それでもやっぱり、自分の能力について吟味し、足りないところをどうやって伸ばしていくかを考えることに意味があると思っていた。しかし、違うのである。そういうことにあらためてきづかされた。どういうことか。
自分なりの解釈でいうと、自分の能力について考えるのは、結局は成果ではなく自分の気持ちにばかりとらわれているのであり、本当に考えるべきことに向き合えていないということになる。能力があるかないかなんて意味がなくて、望ましい未来に対してどう行動するかしかない。
行動あるべし、みたいな話ではもちろんない。結局は自分の内部しか見ていないという考え方の筋道に問題がある。自分のことを考えるにしてももっとうまいやり方があるはずで、それが氏のいう「事務」だし、自分のやるべきことでいえば「経営」ということになるだろう。