2024年6月23日

昨日、久々に自転車に乗ろうとしたら、後輪のある部分でブレーキが当たるのに気づいた。タイヤが歪んでるようである。自転車屋さんに持っていったら、スポークが折れているといわれた。そのことに気づかずに、何年も乗っていたらしい。胡乱である。

さて、修理してもらってあたりを走り回ってみると、こんなにもなめらかだったかと驚く。いつもならギヤを軽くするような坂でもすいすい登れる。いままで、大きなハンディキャップを負っていたわけだ。なんか重いなあとは思ってはいたのだが、点検することがなかった。

そういうときに根本を問うことなしに気合いでなんとかしてしまうのは体力が無駄にあったからで、昨日不具合に気づいた時は、この状態では走りたくないとうんざりした。それで修理に出したら故障がみつかり、いまではまたすんなり走るようになった。

そういうことは日常生活全般にあって、体の不調などもなんとかやり過ごしてきたのだけど、ここ数年はそうもいかないことがいよいよ多くなってきた。それであれこれと対応をしている。仕事の面でも、同じようなことがあるだろうと思う。このところの話は、つまりそういうことだ。

気合いでなんとかならなくなったこと自体はよくないことでもあろうけど、今後のやりかたを組み立てなおすにあたって、今回の自転車の件が象徴的な構造として、真剣に向き合うべき課題として立ち現れてきた。急なことだが、必然でもある。よいきっかけだったろう。