2024年8月1日
このところ体調も悪いし、すっかり本を読む時間を取れなくなって、精神が渇いているという感じがする。文化的なことに触れないとならない。そういうバランスがあって、どちらかだけではだめ。燃費は悪いが、そうやって生きてきたのである。
そんなわけで、まずは軽くKindleの積ん読崩しから。エドワード・サイード、ジュディス・バトラー、バーナード・ウィリアムズについて、それぞれ最近刊行されたコンパクトなモノグラフに目を通し始める。サイードの話は、いろんな意味でタイムリー。
昨年来のイスラエルによるガザ侵攻については、非常に批判的に見ている。一方で、そうした批判が当然のこととは考えられてないから現状があるのもまた事実である。とはいえ、形式的に「中立」を保ったところでしかたがなく、ポジションをとらねはならない。
サイードは、「理論」とそれを常にはみ出す個人の意図としての「批評精神」という対比を示した。理論は当然重要である。また、現実はこうなんだから、という包括的態度もまた、理論のうちである。一方で、それらがどうであろうと関係ないのが批評精神である。
批評精神のみを称揚しようという気はまったくない。実際は、意図的に構築された理論も批評精神もともにぐだぐだで、現にこうなんだからというぐだぐだのみが幅をきかせているのだろう。あらためて理論と批評精神を鍛えていくこと。そんなことを考えていた。