2025年3月19日

株主総会の日。雷が鳴ってるなと思ったら、けっこうな雪が降り出した。リトルKは、外を見たがって「だっこ、だっこ」という。雷神が太鼓を叩くと雷が鳴るんだよといってみたが、ピンときてない様子であった。幸いそれほどおおぶりではなかったので、電車が遅延することもなく、集合時間に間に合ってよかった。

電車の中で、STAYC(스테이씨)의 킬링보이스를 라이브로! - ASAP, Teddy Bear, Poppy, RUN2U, 색안경, SO WHATを観る。STACYの曲にほとんど注目していなかったのだが、パフォーマンスがすごい。K-POPでもなんでもそうだけど、ルックスがいいかどうかということよりも音楽として面白いかどうかで聴くので、ピンとこないとあまり熱心に聴かないということになってしまう。

今年も用賀のスタジオでバーチャル株主総会。いくつかの質問の中に新規事業についての内容があり、その部分について自分が回答するということがあった。事務局の皆さんの用意周到なサポートのおかげで、つつがなく回答できた。ありがたい。その後、オフィスに戻って仕事。夜は、事務局の皆さんの慰労会。

清水高志『空の時代の『中論』について』を購入。読むのが楽しみな書物。落合陽一氏が序文を書いている。清水氏、落合氏、上妻世海氏の鼎談本『脱近代宣言』は、「奇書」というべき素晴らしい書物であった。その関係もあるのだろう。

歩きながら、人文系というかカルチャーというか批評というか、そういうところに自分のアイデンティティをやっぱり置いており、そういうところでのアウトプットがないと何かをやれた感じがすることはないんだろうなあと思う。もっと端的にいえば、別に群れたいわけでもないし、ディレッタント同士の密かな目配せみたいな、implicitなコミュニティとのつながりというか。そういう知り合いというのはK氏ぐらいしかいなくて、K氏は本業をそういうところに置いているわけではないけれども、そういうつながりがちゃんとあって立派だなあと思う。

昨今的な意味での批評のようなことをしたいのかといえば別にそういうことでもないんだよなあと思う。やっぱり自分は批評というと福田和也氏が立派だと思っているところがある。「批評とは本質的に理由にもとづいた価値づけである」(『批評について: 芸術批評の哲学』p.20)みたいな定義もあるが、半分はそうだけど、身がこもってないという感じがする。それ自体が作品として、本質的に不確実な投機として行われていることが大事で、要するに人生というのはそういうことだと思うのだが、やむにやまれぬ切迫みたいなのがあってこそだろうと思う。

そういうことを自分がするかというと違う気もするし、できもしないのだが、アウトプットのしかたを変えていく、というか、軸を増やしていく必要はとりあえずあったりするんだろうか、でも別にそこをやってもなあ、みたいなことをあれこれ思ったりした。しかし、ネットでものを書いて読まれたいなら、もはやプラットフォーム上で書かないとソーシャルで拡散される以外読まれることはないわけで、自作ホームページでブログをやるなんてのはないよなあとも思う。

THE FIRST TAKEに角野隼斗氏が登場(角野隼斗 - ラヴェル:ボレロ / THE FIRST TAKE)。スター性がすごい。さらに「べらぼう」の第11話を観た。第10話も観ていなかったのだが、NHKプラスではもう観られなくなってしまっていた。佐藤浩一氏の息子であるという方(寛一郎)が富本の太夫を演じており、印象的であった。また、市川門之助を演じた濱尾ノリタカ氏の筋肉がすごくて驚く。