3月16日の日記一覧
2025年3月16日
今日も家族がいないので昼前まで寝ていた。昨日は朝早くに目覚めてしまったが、今日は少し長く眠れてよかった。しかし、花粉症と低気圧で、眠いしだるい。過去の日記を見てみると、同じ頃にやっぱり同様の状況であったようである。知らず知らずに気分が沈んでしまいがちなので、気をつけないとなあと思う。そういうことのために日記に体調などを書いているのである。
昼過ぎにKとリトルKが帰ってきた。帰ってきたタイミングでちょうどリトルKが起きてきて、僕の姿をみつけてにっこりする。かわいい。しばらくねぼけてぼんやりしているのを抱っこする。10分ほどしたら目が覚めたようで、いつものように遊び始める。眠くてしかたなかったのだが、K-POPのプレイリストをかけてストレッチをしながら、いっしょに遊ぶ。
音楽もちょいちょい聴いているのだがあまり書いてない気がするので、意識的に書くようにしよう。なにはとまれ、NMIXXの新曲High Horse(MVがまだ出てない?)がかっこいい。メリハリのあるリズムセクションにのびやかな歌声。クラシックではチョ・ソンジンの新譜 「ラヴェル:ソロ・ピアノ作品全集」が素晴らしい。ソリッドな音色で、「ラベルってこんなんだったんだな(もともとはこうだったのかも)」という鮮烈なインパクトを感じる。
オイシックスのキットで夕食を作って食べる。肉を増量したとあったのだが、豚ロースが4枚も入っていて驚く。おかげで満腹。リトルKも美味しそうに食べていた。
トルKはK実家に行くと刺激を受けるのか成長が加速するように思える。年の近い従姉と遊んでもらえるから、言葉や行動を学べるのだろう。今日は「お水ひとつ」といって手を差し出していた。これはお店での行動を真似しているのだろう。寝かしつけ時に五味太郎『かくしたのだあれ』を読み聞かせ。色・形についてはすぐわかるようす。比喩的な表現はまだわからないみたい。「ないよ!ないよ!」といっていた。
ベトナム語があまりにも頭に入らないので、さらに『ベトナム語のしくみ《新版》』を買って読み始める。やっぱりこのシリーズはいいなあ。ざっくりと全体像を説明してくれる。大人の学習においては、会話から入るよりは、まずはどういう「しくみ」なのかを知ってからのほうが理解がはやいと思う。語や文の構造がわからないと、ランダムな文字列にしか見えないし。
ホームページシステムを作り直したので、ブログもちゃんと書いていこうと思っているところ。手始めに、そのシステムについて「2025年、AI前提のホームページ作り直し―ObsidianをヘッドレスCMSとした静的サイト(全文検索つき)」という記事を書いた。技術的な内容というよりは、アイディアとその実現の話。コード自体はVibe Codingすれば書けるからなあ。あれこれやってるけどXにぱっとポストして終わることが多いので、ちゃんと残していかないと。
2024年3月16日
新橋演舞場へ「ヤマトタケル」を観に出かける。観劇の機会をなかなか持てなくて、昨年5月の明治座での澤瀉屋の演目を観て以来である。あの直後から、実に様々なことがあった。それについて語ることはしない。
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/shinbashi/play/842
倭建命を市川團子が演じることだけでもいろいろな思いが去来するのだが、そうしたことはさておき、若干20歳の團子の演技はフレッシュさと貫禄とがあいまった見事なもので、しばしば落涙をもよおすことを避けることはできない素晴らしいものであった。
「推し」の仲村米吉による二役もまた、いずれも素晴らしく、弟橘姫が小碓命めがけて花道を走って現れる様の美しさに、こうとしかいえないのだが、心臓がぐっと止まるような感じを覚え、涙があふれるのを抑えられない。米吉が発声するたびに、感極まる。
第三幕の、いささか退屈な間延びした流れを、睡眠不足もあって半ば寝ながら過ごしたあとの宙乗りとカーテンコールでの大団円を眺めながら、しかし、やはり歌舞伎を愛好するということの一筋縄ではいかない、ある種の罪深さのようなことを思う。どういうことか。
ごく単純なことで、ことがことなら、團子は本来キャンパスライフを謳歌していただろうし、外遊などによって知見を広げるような機会もあり得ただろう。それがいまや、大団円を構成する面々や裏方も含め、多くを支える経済的な支柱としてふるまうことになっている。
もちろん、彼はそれを見事に成し遂げているし、覚悟を持ってやっているのだろうことは間違いなかろうとおもうのだが、単純に「気の毒だ」という思いを感じてしまうのもまた実際のところである。そのように感じること自体が不適切であるのはわかっているのだけど。
しかし、芸能とはもとよりそうしたものではなかったか。澤瀉屋の後継ぎとなるべくして生まれ、様々なことがあっていまがある。資本制下の商業であることは当然としても、それがゆえに「イエ」を守っていかなければならないこと。それを観るもの誰もが知っている。
続けていくことに対する意志。それがあってこそ芝居はこの先も続いていく。放っておいてなんとかなるようなことではない。20歳の青年が負っていることの重さと、それをエンターテインメントとして楽しむ他はない観客の我々。続けることへの共謀。
観る側もまた無傷ではいられない。
2023年3月16日
頭痛は治りつつある感じだが、念の為ロキソニン。
こんなツイートをしたら、そこそこ盛り上がっていた。
「GPT-4の「脅威」を目にした今なら理解が早いと思われるのだが、成長に必要なのは「効率的な勉強法」でも「投資対効果」でもなくて、「好きという気持ち」「対象への熱量」。効率や投資なんて、AIの方が圧倒的に強いというのを、誰もが心底理解した。AI以前の問題ですが、今なら誰でも理解できますね。」 https://twitter.com/kentaro/status/1636180563211206656
ミーティングの合間にGPT-4なChatGPTを使って、少し物書き。単に生成されるというレベルでない形で文章が出てきて、驚く。GPT-3.5で同じ質問をしても、一般論的なことしか書いてくれなかった。これはすごい。
夜は「K-Ruby #34 LT & 雑談会」。毎回何かしら簡単に話している。今回は、LLM周りで最近やっていたことについて話した。
[[https://youtu.be/0n7u9v2UBUo]]
『欲望の見つけ方』の続きを読み、読了。かなりいい本なのではなかろうか。
今日のブックマーク
- アニー・ディラード - Wikipedia
- Rubyでハローワールドする30の方法を全解説する
- [いちにさん | ロボット系SEさんはTwitterを使っています: 「すごい単純だけど、ROS2のナビゲーションとChatGPT APIを使って自然言語からのナビゲーションを試してる 「(X,Y)に移動する(進む、戻る)」等の指示で移動することができています! #ROS2 #ROS #ChatGPT](https://t.co/tYh5Bbzaat」 / Twitter https://twitter.com/ko1_baseba11/status/1635288919326736389?s=12&t=oh3PTeK1YGO3XG0c-mdpyQ)
- AIの進歩とつらみについて - Qiita
- NLPとVision-and-Languageの基礎・最新動向 (1) / DEIM Tutorial Part 1: NLP - Speaker Deck
#日記 #3月16日
2022年3月16日
わりとスッキリ起きられた。朝30分の研究タイムでは、ジャーナル事前アドバイスの対応検討の続き。記述の面はある程度なんとかなりそうだが、評価はどうするかなあというのは、もうちょっと考えねば。ともあれ、実装を進めないとならないところがあるので、そっちを先にやるかなあ。今日はWeb3まわりの議論をしたり、調査をしたりなどが多かった。楽しいなあ。
夕食の後、そういえば明日、ミートアップでLTをやることになっているのだったというのを思い出したので、ちょっと試してみたかったことに取り掛かってみた。ブロックチェーンへのいい感じのアクセスを提供するWeb APIのクライアントライブラリを、OpenAPIでElixir実装を生成したものを使って書くという内容。「OpenAPI GeneratorでMoralis APIへのElixirによるクライアントを作る」にまとめておいた。Zennに書いた内容を使ってLTしようと思ったのだが、やや微妙な気もする。
また新たな出版関連のプロジェクトを始めようということになったので、今日は第一回目の企画会議。僕の方で以前にざっくり章立てを作ったのだが、そこからもうちょっと深掘りして、構成をより具体的にしていく。せっかくなので、他とは違う良さがあるものにしたいよなあ。あれこれと議論する。
その最中に、大きな地震。長く大きな揺れが2回。数ヶ月前の地震に比べるとやや弱かったようだが(その時は本棚も結構崩れた)、今回は主観的にはその時よりも嫌な感じを覚える揺れだった気がする。打ち合わせは中止して、人々の安否確認やサービスの状況確認などをひととおり実施。大きな問題はほぼなさそうでなにより。震源地の福島あたりでは1メートルの津波の予報。ちょうど夕食の時に、津波体験設備のリポートがあり、50cmで大人の男性が流される強さというのを見たばかりなので、心配になる。
千葉雅也『現代思想入門』が届いたので、少し読み始める。非常にリーダブル。先が楽しみだ。
2021年3月16日
修論計画提案書を進めるために、スライドを見返してあれこれ考える。先生からの指導で、このあたりにフォーカスするほうが研究としても面白いんじゃないかという内容があり、たしかにそれもそうだと思って考えていたのだが、最近あれこれ見てきたところと方法論が一致したりするところもあり、それはそれでよいんじゃないかと思えてきた。スライドを修正するところまではやらなかったが、どう修正するかのイメージはできた。あとは書くだけだ。そんでもって、スライドは補足説明資料であって、提出物としては提案書そのものなので、スライドの内容を文面に落としていかなければならない。日曜日のゼミまでのやらねば。
ある人々と話しててあらためて思ったのだが、年齢としては40ぐらいになってようやく、世の中のことがわかり始めてきた感じがしていて、それまではかなり自分の好みとか足元のことだけで物事を見ていた感じがする。知識としてはいろいろため込んできたけど、社会的な水準で活用することがなかったという感じ。いい悪いというより、そうだったなあという話。かといって、これまでの取り組みが無意味だったわけではなく、活用の原資にはなるだろう。ただ、40歳でようやくそれか、スタート遅過ぎだろうと思うことはある。そのせいで得られなかったことも多かろう。けどまあ、そういう性質なんだからしかたなかろうと思う。端的にいうと、40歳ぐらいになってようやく精神年齢的に成人したみたいな感じがする。
修論計画提案書を進めねばと思いつつ、「遠隔教育システム工学」の最終レポート課題のほうが期限が早くて気になるので、そちらを先に片付ける。しかし、設問が微妙で、計算はあってるはずなのだが、どうも回答として面白くない感じになって、もっとメリハリのある問題を出してほしいという気持ちになってしまった。具体的には、相関係数を求めた上でt値とt分布表を用いて有意差検定をするのだが、3つあるうちのどれも有意差がないという結果になってしまったので、ひとつぐらいは有意差がでるようなデータセットで設問してほしいと思ったのだった。
お茶しながら『ゼロから作るDeep Learning ―Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装』の続きを読んだり、コグニカルというサイトのニューラルネットの内容を読んだり。『ゼロから〜』は、最初に3巻を読んだのだがとてもよかったので、あらためて1巻から読んでみようと思ってやっているところ。コグニカルは、どういうひとが作っているのか謎なのだが、教材としてとてもよくできていて、すごい。昼頃はアクセス殺到していたようで重かったが、夜はさくさく動くようになっていた。内容もさることながら、インタラクションの細かいところまで気が利いているのもすごい(各章をたどっていく導線は改善の余地がありそうだが)。
2020年3月16日
昨晩もなんだかんだで遅くまで起きていたのだが、早めに起きて始動。ルーティンをこなしたりミーティングをしたり。やっぱ、朝いい感じに起きられるとその後も調子がいいなあ。やるべきことをさくさくこなせて気分も良い。
スーパーでエリンギが大量に安く売られていたので、豚肉・じゃがいもとで炒めもの。美味しい。
その後、ヨビノリの線形代数入門シリーズの5〜8話まで。そのあと、「データサイエンスのためのPython入門」の13〜14回をJupyterLabでYouTuber風に書き直す。YouTuber風、学習効果があるのかどうかはわからない。ともあれ、手を動かすのはよいことなのだろう。インデックスができて、個々に戻ってくればいいというのがあとでわかるだろうし。しかし、数学の勉強を始めると、今度はフランス語とかは全然できないなあ。
2019年3月16日
『新記号論 脳とメディアが出会うとき (ゲンロン叢書)』を読み始める。極めて刺激的で面白い。
品川のキャノンギャラリーSへ、奥山由之さんの「白い光」展を観にいく。真っ暗な中を、懐中電灯で光をあてながら写真を眺めるという感じ。舞台は漁港や漁船で、いい感じの人々とともに、魚なども生々しく、しかし、きらきらの粒を発する奥山的存在として表象されるのだった。
銀座へ異動して、アートスペース繭でアンデスの織物の展示を眺めた後、銀座ソニーパークで行われているTokyo Art Book Fairをのぞく。ぶらぶらしていると、伊藤安鐘さんという方の作品集が素晴らしく、驚いてすぐに買った。春木麻衣子さん的な構図や、フランチェスカ・ウッドマン的な女性の描き方など、写真的な記憶を強く喚起する作品たち。
さっそくGRIIIで撮ったものから画像を作成した。
2018年3月16日
『ニコラ・ド・スタール - 調和を求め続けた画家の軌跡』という、ド・スタールについて日本語で書かれた唯一のモノグラフを自費出版している方がいるのを知り、注文した。
クレア・ビショップ『人工地獄 現代アートと観客の政治学』の続きを読む。参加型アートというものに対して、それ自体はよいものであるんだろうけど個人的にはまったく乗れない身としては、そうしたアートの、必ずしも意図したわけではないだろう政治的な機能についての言及を見ると、ちょっとかわいそうに思えもするのだけれども、首肯するところもあるのであった。ともあれ、未来派やシチュアシオニスト・インターナショナルから革命直後のロシアやアルゼンチンなど、よくもこんなに調べたなあという浩瀚な著作。すごい。
それにしても、1899年生まれのウラジーミル・ナボコフ、1903年生まれのホロヴィッツ、そして、最近は1914年生まれのニコラ・ド・スタールの、歳も近く、ロシアから亡命した3人(ナボコフとド・スタールは貴族出身という共通点がある)と、似たような芸術家に心惹かれるのは、何かしら共通した感じがあるのだろうか。それぞれの作品や人格、傾向にはあまりそういうのはないようにも思えるのだけど。
フルサイズのカメラがほしいなあと思ってググってみたりしたが、いい感じそうなのは数十万するし、ちゃんと使うかどうかもわからないしなあと思って、そっとタブを閉じるのであった。でもまあ、あったらあったでいいんだろうなあ。でも重いからきっと使わないよなあ。でも、NIKONのD850ほしいな〜。
2017年3月16日
日々の生活サイクルがちゃんとできていないので取り戻さないとなあ。という日々。