20253月18

昨晩は、ついついVRChatとのインタラクションのコード書きに熱中して、4時前に就寝。いつも通りリトルKを保育園に送り出してから仕事。ちょっと眠い。リトルKは出かける時に「ばあばのところに行く!」とぐずっていた。いいわけのしかたがよくわからない。朝は天気が良かったのだが、夜は天気が崩れてちょっとだるい。

新規事業の大きめの提携リリースを出すことができてうれしい。メンバーが「こういうのできるんじゃない?」と作ってくれたのが、Stream Deckとのつながりからリリースにつながったもの。ありがたいことである。これで知ってくれる方が増えるといいなあ。

@alive_studio_x on X
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㊗️ #AliveStudio が「Stream Deck」と連携しました! プラグインを使用いただくことでAlive Studioの効果音・BGMの再生や素材の切り替えが 「Stream Deck」のボタン一つで可能になります! 本日プレスリリースも公開しました。 Elgato様より嬉しいコメントもいただいております。

そんなこんなであれこれやっていて、昼ごはんをつい食べ損ねてしまった。

リトルKは、『小学館の図鑑NEOアート はじめての国宝』付録の風神・雷神のアクスタをすごく気に入って、図鑑を引っ張り出して「おなじ!おなじ!」と喜んでいる。リトルKをお風呂に連れていこうとすると、だいたいYouTubeを観ているので嫌がるのだが、抱きかかえると「ママー!ママー!」といって体を伸ばす。そのリトルKとKの対を「風神!雷神!」といって遊んでいたので、風神雷神図屏風に馴染みがあるのだった。その他、土偶に関しても興味を示していたので、家にある「縄文のヴィーナス」の箸置きやマグネットなどを持ち出して、同じものであることを教えたら、そちらも喜んでいた。

寝かしつけの読み聞かせは『だっこむぎゅー』。読みながら「だっこむぎゅー」としていたら、最初はうれしそうだったが母親が恋しくなったのかブルーな雰囲気になってきて、寝る時はしばらく泣き喚いていた。「だっこー!だっこー!」というのでそばにくっついているうちに寝入った。

ベトナム語のしくみ《新版》』の続きを読み、読了。次は、同じ著者の『くわしく知りたいベトナム語文法[改訂版]』に行くか、まずは『ベトナム語が1週間でいとも簡単に話せるようになる本』を本当に1週間でやってみるか。後者にするかなあ。散歩しながら「まいにちフランス語」と「まいにちハングル講座」を1回分ずつ聴く。

20243月18

昨晩流れてきた動画に、両親の関係のよしあしが子に与える影響みたいな話があり、それ自体は自明なことなわけだか、子供の前で母親のよいところをほめるみたいなことをすることで関係の良さを示しつつ母親への気持ちを涵養できるというのがあり、意識的にやることにした。

昨日、フィードリーダーにあれこれとフィードを追加した。Feedlyには似たフィードを提案してくれる機能があるので、既存の登録フィードと似てるもののうち、よさそうなのを登録していく。けっこうたくさんのフィードが新たにチェック対象になった。

ほっとくと自分のいまの好みに対する慣性が働いて新しいことに触れなくなってしまうので、いまはあまり興味のないことでも、なにかしら強制的に触れられるようにしたいと思う。前は新書の新刊を各レーベルの出た分を買って読んでたが、さすがにもう無理なので。

ただ、ニュースみたいなのは結局は単なる「情報」に過ぎず、いくらたくさん読んだってしかたがないものではある。やるべきは、個人でも会社であっても、何かを作り出すということなのだから。そこの目的を忘れないようにしていきたい、という当たり前を思う。

そういうのはまあ表向きというか、そんな話であって、もうちょっというと、古いパラダイムにまるで疑問を持たずにのうのうとしてるみたいな人間になるのが恐ろしいのである。もうそうなってる面はたくさんあるにしても、悪化を引き伸ばしたい。

そういうのって年齢の問題ではあまりなくて、人それぞれの「器量」の問題なんだろうと思う。それが小さければ、若いうちにいっぱいいっぱいになって、それ以上変化できなくなる。時間の経過にしたがってたまっていくから年齢に関連してるように思えるが、実際は関係ない。

器量とは、生まれながらの能力に基づくところもだいぶ大きいとは思うけど、そんなこといってもどうしようもないので、後天的に努力して大きくできることに賭けてやっていくしかない。だから、たとえば上に述べたようなことを続けていくのである。

20233月18

明け方、ChatGPTであれこれやってる夢を見ていて、どうにもうまくいかなくて試行錯誤しているテンションのせいで、目が覚めた。そのまま2時間ほど、寝付けずにいた。せっかくなので内受容感覚を感じるべく、寝ながら体をスキャンしていたのだが、どうも腰が反っている感じがして、マットが合わなくなってきたように思われた。マットを外した、少し硬い状態の方がいいような気がする。そんなことをしている間に、寝ついた。

リトルKの受け入れ準備のため、部屋の掃除や片付け。トイレ、風呂、洗濯、床掃除。そうしているうちにレンタルベッドが届いたので、組み立て。一本ネジが足りなかったのだが、強度的には追加で届けてもらえばいいぐらいのものではあったので、そのまま組み立てた。終わって、梱包材を片付けていたら、その中からネジが転がり出てきた。梱包作業時に落ちてしまったのだろう。とりあえず、部品がちゃんとそろったのでよかった。

今日は天気が悪くて、頭痛になりそうな感じ。念の為、ロキソニンを服用。散歩に出かける。『脳の外で考える』の続きを読む。内受容感覚の話から、ジェスチャーや環境のパフォーマンスへの影響などの話へ。記憶術のような、よくある話も紹介されている。話題が多岐にわたっていて面白い。頭だけで考えようとするのは、広く見られる悪癖だろう。でもどうやったらいいのかわからないだけなんだよなあ。それを教えてくれる、いい本である。

本の箱詰めの続き。単に箱に詰めるだけなのだが、疲れるなあ。ひたすらやり続けて、9箱分詰めたところで、この辺でいいかというぐらいの本棚の空き具合になってきた。段ボール箱ももうあと一箱しかないし、やめ。以前と同じく、スキャンピーに注文を出しておいた。

20時から、理容室を予約してあったので、出かける。おしゃれ理容室という感じのところ。なんとなく、髪をまた伸ばそうかなと思っているのであった。まだ坊主がボサボサになってるぐらいなので、整えてもらう感じ。ホットペッパーで予約したら、頭皮診断というのもついてきて、拡大鏡のついたカメラで頭皮を見ながら、状態について説明を受ける。乾燥している。また、毛も細くて本数も少なくなっているとのこと。

これから論文の続きを書くか、どうしようか。一日中掃除や片付けなど、リトルK受け入れ準備をしていて、疲れたなあ。

体がガチガチなので、入念にストレッチ。

今日のブックマーク


#日記 #3月18日

20223月18

昨晩は、かなり早めに就寝したので(23時頃?憶えていない)、十分に寝た感じ。わりとすっきりと起きられた。そのせいもあってか、朝30分の研究タイムでは引き続きジャーナル論文の事前アドバイス対応を考えていたのだが、いいアイディアが出てきた。

いわれていることが自分の言いたいことに対してあまり意味があると思えないアドバイスになっているのだが、それは自分が書いていることを文字通りに取ればそういうのは当然ということではあるので、リフレーミングして、自分がいいたいことをもっと直接的に述べる論旨にしたらいいのではないかと思い付いた。論文としたは大工事になるが、論旨はもっと明確になりそう。思いつくところを軽く考えて、メモしておいた。

月1で、CTO協会でいろいろ立ち働いてくださっているW氏と1 on 1をしているのだが、今日がその日。定例的な打ち合わせに加えて、人生相談的な内容を話し込んでしまって、1時間半ほどやっていた。

帰り道に、書店で渡辺保『江戸演劇史(上)』、『江戸演劇史(下)』、『明治演劇史』、野村亮太『やわらかな知性 認知科学が挑む落語の神秘』、圓井義典『「現代写真」の系譜 写真家たちの肉声から辿る』を購入。渡辺保氏の演劇史本は、通読してひととおり流れを頭に入れておきたいと思って、いずれ買うことになるのだからいまのうちにもう全部買ってしまう。『やわらかな知性』は、認知科学の熟達化過程研究の観点から落語について研究している研究者の本。面白そう。写真の本は、写真関連の批評・歴史の本は基本的に買っておくことにしているので。

夕食をとりながら、NHKプラスで江戸切子などの古い技術を発展させたガラス細工のニューウェーブ的な話を観た。砂をふき当ててすりガラス上になった器体に膠を塗って乾かしておく。数日経つと膠が収縮して、すりガラスの表面をむしり取るようにして剥がれていく。その跡が、花のような流麗な模様として残るという技法が紹介されていて、興味深く観た。ああいうのは型か何かで作られているのかと思ったら、そういうのではないやり方があるのだなあ。

渡辺保『私の「歌舞伎座」ものがたり』の続きを読み、読了。さらに、千葉雅也『現代思想入門』の続き。ラストの1/4ほどを読んで、読了。最後の「付録 現代思想の読み方」が傑作だったなあ。むしろこのパートが一番面白いかったかもしれない。デリダのところで、「いきなり「カマして」くるわけです!」と書かれているところで、笑ってしまった。

明日は株主総会なので、早く寝てしまおう。

20213月18

今日は株主総会のリハーサルで渋谷へ。といっても、僕は会場にはいかないので別室から参加という感じなのだが。みなさんがいろいろと準備してくださっているおかげでいい感じに進行しており、ありがたし。

インポスターシンドロームに陥ってしまうのは、公正世界誤謬にとらわれているからみたいなことを考えたりした。つまり、何か能力があったり努力したりしたことが報われるべきであると思っているから、能力もないのに環境や運によって分不相応の結果を得ていると思ってしまう。いったんバイアスを見据え誤謬を正せば、いろんな事情があって結果が生じているわけだから「それはそれで結果としていいんだからいんじゃね?」という理解になるだろうし、それでいいと思う。能力があったり努力したりしても報われるとは限らないし、それが役に立たないわけでもない。環境や運によっていい結果が生じたからってなにも悪いこともない。

20203月18

自分の研究をどうしていくかというのをあらためて考えないとなあと思って、たまっていた情報処理学会の学会誌「情報処理」を4冊ほど読む。その流れで、『記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門 (講談社選書メチエ)』の続きを読んで、読了。

20193月18

帰宅後、ワインを飲みつつ本を読んだり。

20183月18

株主総会の日。これからまた、あらたな1年が始まる(任期的な意味で)。その後、慰労会と二次会。けっこう飲み過ぎたのと、慣れないスーツとで、体がバキバキに。

アート・パワー Art Power Boris Groys』を読み始める。いまのところ読み終えた「序」および「平等な美学的権利について」ともに、問題設定はよくわかるし賛同するものの、いくつか疑義を感じる。美学的な専制への批判として美術館の役割を持ち出すのは、そういうことはあるだろうけれども、けっこう厳しいんじゃないかなあという気もする。美術館そのものを成り立たせている前提は、どれほどマスメディアのそれと変わるのだろうか。

また、「序」でいうマーケットに対抗する政治的プロパガンダへの肩入れについても、わかりやすいイデオロギーではなく、『人工地獄 現代アートと観客の政治学』的な意味での「参加型アート」によって実現されているのではないかとも思える。もっというと、そういう取り組みによる「動員の革命」は、個人的にはあまりいい結果をもたらしているとは思えないのであった。もう少し読み進めてみないと、即断はできないが。

Seascapeシリーズの3枚目を作った。カメラの操作を少しずつおぼえているところ、という感じ。

20173月18

朝から総会。出る側では初めてなので、いろいろ面白い。つつがなく終わってよかった。その後、慰労会で司会を仰せつかったので、なんかそれっぽくやってみたが、評判悪くなくてよかった。その後、2次会、3次会までやったあと、書店に寄って、21時頃に帰宅。

買ってきた『寝るまえ5分のモンテーニュ 「エセー」入門』を読んでいたら、T氏から飲みのお誘いがあり、池尻のそてつへ。んでもって、歌広場で5次頃までカラオケ。