20244月17

昨晩は、サイードの『晩年のスタイル』を読了。「晩年」という言葉で想起される「円熟」のようなこととはまるで異なる、世間の流れに反した流儀をますます徹底していくみたいなことは、芸術家ならぬ普通の人々にとっては単に「偏屈」というべきことではないかもと思う。

だからよくないということではもちろんなくて、新しいことにだらだらと流されるみたいなのよりは良いこともあろうと思う。自分はどうだろうか。そうはなれないだろうとも思うし、もしそうなったらなったで「晩年のスタイル」を標榜して恬淡としてればよい。

まあでもわりとこの数年は周囲にどう思われるかみたいなことが気にならなくなってきて、自分がその時々に興味をひかれたことにとりくみ、拙かろうがなんだろうが、関係なく発表している。半分だけ「晩年」に足を踏み入れている。技巧をいちじるしく欠いてはいるが。

サイードの論旨からするとそれは「晩年のスタイル」と呼ばれるべき事態はないことになるのだが(サイードは高い技巧を前提としてるから)、まあ、彼のいうとおりにしなければならないこともないわけだし、もう自分のスタイルをそう呼べばいいと思っている。

それはそうと、その本でサイードは、昨今の知識人は音楽について分析的に語るスキルもないし、種々の様式を聴き分ける耳も持たないみたいな嫌味を書いていて、知識人ならぬ自分などはなおのこと何もできないわけで、そういうことにはむしろへこまされる気持ちになる。

若年においては音楽に対してあれこれと聴く以上のことをしようとは思えなかったが、ここにきてなぜか演奏したり作ったりすることに取り組むようになった。いかに拙いことであろうとも、それはそれで続けていって、自分なりに満足できるようにはなりたいものである。

20234月17

昨晩は、寝床で『いい加減、人生録 市川左團次』を読了。市川左團次さんのお人柄がよくわかる、よい本だった。

口内炎や吹き出物などがいくつかできているので、チョコラBBを飲む。

出社して、週初め定例のミーティングなど。いろいろと考えさせられる話が多い。ともかく、自分としてはどんどん面白いことを最速でやっていかないとなあ。

蕎麦を食べたい気持ちになったので、西麻布のバス停近くにある千利庵に入ってみた。古くからある感じのお蕎麦屋さん。

帰宅して、ChatGPTを使って昨晩実験していたことを、コードで書いてみる。うまいこと使えそうなところに落とすのが難しいなあ。着想としては、先行研究の流れの中で面白いところに持って行けそうな気もするのだが、適用範囲が限定的という感じもする。結局、GPTがすごいという話になっては、面白くないしなあ。

そんなわけで少し集中してコードを書いていたら、また頭が痛くなりそうな雰囲気になってきたので、リラックスすることにした。首周りが緊張するとよくないのかなあ。

寝床で、村上春樹『街とその不確かな壁』の続きを読む。

今日のブックマーク


#日記 #4月17日

20224月17

朝7時過ぎまで起きていた後に就寝、昼過ぎに起きた。明け方までなんかやって昼頃に起きる、というのが最も生産性高くやれるんじゃないかという気もする。どうなんだろうか(実際には、平日はそうもいかないのだけど)。

大学院のゼミ。僕は、ジャーナルへ論文を出そうとしているところという報告。あまり進んではいないのだが。研究室の他の方々の話を聞いていると、特に博士後期課程の先輩方はしっかり研究が進んでいて、こちらもやっていかないとなあという気持ちになる。

帰宅した後は、研究の評価の前提となる実装を進める。ようやく重い腰を上げてちゃんととりかかれた。Centeredでフローに入ってポモドーロを回しながら進めていく。実装がどんどん粗雑になっていくが、まずは全体を一周するところまで持っていかないと。

「鎌倉殿の13人」を観る。上総介の悲劇。字の練習で書いた内容を小四郎が読み上げるシーンが、悲しい。それにしても、頼朝はどのようにしてあのような策を講じ、実行できるようなマインドセットを身につけたのかというのがやっぱりよくわからない。源氏の頭領だからといって、自然にそうなるものでもなかろうし。

その後、実装はめどがついたので、システムの実装例をひと通り動かすために、クラウド側をGCPを使って構築する。たまにしかやらないので、またよくわからなくなったりしたのだが、とりあえず動くところまでいった。まだ一周はできてないが、もうちょっと。小さいサイクルを速く回していく。

技術評論社のサイトで岡野原大輔『ディープラーニングを支える技術〈2〉 ——ニューラルネットワーク最大の謎』を購入。書き込みしたくなるような本はできるだけPDFで買うようにしているので、Kindle版ではなく版元の方で購入。これも読むのが楽しみだ。

20214月17

昨夜、ワインを近頃にしてはけっこう飲んだからか、睡眠の質が非常に悪かった。具体的には、自分の研究とよく似ている研究の概要だけが発表されていて、肝心の論文はどこにあるんだと探し回る夢を見たりして、途中で少し目が覚めたり寝相が悪くなったりしていた。それで、11時過ぎまで寝てしまう。

雨が少し降っているが、でかける。お茶しながら『ファインアート写真の見方』を読み終える。日本における写真市場の歴史であるとか、世界のオークション事情についての、過去事例を踏まえた情報などは、貴重であると思われた。また、写真のコレクションについての本は日本語ではほとんどないので、その意味でも役に立つものではあろう(紹介されている作家は普通のひとには買えるような値段ではないが)。

NADiff a/p/a/r/tへ寄って、『幽霊の真理―絶対自由に向かうために 対話集』、『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』、『写真分離派II 写真の非倫理』を買う。また、森山大道さんの「森山大道写真集成」第5回配本関連の展示が地下ギャラリーで行われているのを軽くのぞいてみた。森山大道さんの写真は本当にすごいと思うけど、ちょっとどうにも強過ぎて、あまりまじまじとは見られないと思う。

その後さらに、喫茶店に寄って『天才たちの日課』を読む。面白い。取り上げられる人々は、物書きがほとんどなので、「日課」の中心となる仕事を行う場所は家であることが多い。濃淡はあるが、思いのほかきちんとルーティンを作っている(本で取り上げるぐらいだから当たり前ではあるが、有名な物書きがこれだけ取り上げられていて、それぞれに興味深いルーティンがあるのは、イメージを覆すに十分だろう)。こういう本を読みたかったという気持ちがする。しかし、アンフェタミンを使っているという記述がけっこうあって驚く。中でもポール・エルデシュとアイン・ランドが印象的。創作のためというよりは、いまでいうADHD的な状況を改善するために使っていたということもあったりするのかもなあ。

帰宅すると、『人間の本質にせまる科学: 自然人類学の挑戦』、『対訳 フランス語で読む「失われた時を求めて」』が届いていた。

この2日実家へ帰っていて戻ってきたKが作ってくれた夕食を食べながら、「ズームバック×オチアイ」の第3回を観る。今日は環境について。SDGs的なスコープでいうと、もちろん提起されている課題について期間内に解決を図っていくことに対して賛同するわけだが、スコープをもう少し広げて地質年代的スケールで考えると、いずれ数万年すれば氷河期がくるわけだし、地球だって別に人類だけのためにあるわけでもなく、気候変動や環境問題というのは人類ならぬ地球にとっては別にたいした問題でもないだろうとも思える。そういう意味でエコロジーなんておこがましいといってた学者がいたような記憶もある。しかしまあ、違うスコープの話をぶつけても議論にならないので、それはそれ、である。

『人間の本質にせまる科学』を読み始める。最近、『情報の歴史』を読み始めたこともあり、あらためて人間の起源や進化についての興味がわいているところ。

明日から、どういう習慣を作っていけばいいか、あらためて整備していこう。

20204月17

昼、この4月に開校したバンタンテックフォードアカデミー高等部の生徒さん向けに「これから情報技術を学ぶ方々へ」というお題で1時間お話(もちろんリモートで)。生徒たちがやたら元気ですこし驚いたのだが、コメントもどんどんくれるのでとてもやりやすかったなあ。途中、Fizz Buzzゲームを実際にZoomごしにやってみたのだが、けっこう盛り上がってよかった。こちらもいろいろ得るところが大きい経験だった。

その後、あれこれこなした後、鹿児島のマークメイザンというコミュニティスペースのセミナーとしてリモートワークのパネルディスカッションに参加する。最初40分ほど、ブラウザで開いたあれこれのページを眺めながら、ひととおり会社でやっていることの紹介。その後、鹿児島県版新型コロナまとめサイトの話なども交えながら、どうやったらリモートワークがうまくできるかという話。終わってから夕食を作って食べた後、懇親会に参加。そのまま0時過ぎまで飲む。

本来なら昼の講義は恵比寿、夜は鹿児島でやるはずのことで、しかし1日に2回はしごしても家を一歩もでずにできて楽ちんで、もちろんリアルイベントのよさもあるとはいえ、この効率の良さはかなり病みつきになりそうだよなあと思う。鹿児島のイベントは、ふだんなら20〜30人ぐらいの集客であるところが、80人ぐらい集められたとのことで、やっぱリモートの方が参加もしやすいし、情報を得るという意味では効率がよいだろう。リモートだと、参加者同士のコミュニケーションを演出しにくいのが問題。

20194月17

福岡出張2日目。枕が合わず、首が凝って頭痛に。先日収録したEM.FMのエピソードがリリースされた。

anchor.fm

夜は、四半期報告会の福岡バージョン。懇親会でいろいろおしゃべり。RubyKaigiもあって東京からひとがきてたり、新卒入社の方々がみんないたりということもあり、めちゃくちゃ盛り上がっていた感じ。素晴らしい。その後、西中洲あたりで飲み。

20184月17

終業後、送別会。

個人的なメイプルソープ再評価ということで、1992年に東京都庭園美術館で行われたメイプルソープ展の図録を、Flyng Booksで購入。メイプルソープの写真集が、税関でとめられるという事件もあったりした時代。性器が大写しに写っているような作品は当然ないのだけど、それはともかくとして、代表的な作品やカテゴリは網羅されていて、一定のクオリティを示した回顧展だったのだろうと思える。いろんなタイプの好きな写真があるが、メイプルソープのような完璧さがいまは気持ちいい。

浅田彰氏は、メイプルソープは下賤とされる者と高貴な者とを転倒させるために古典的なまでに完璧な構図を用いたと述べ、それはその通りだと思うが、それに加えて単純に、数ミリ動かしただけで崩れてしまう均衡への偏愛があるのだろう。ヴォルフガング・ティルマンスの抽象写真のような、単に抽象的なものを写したものとは異なり、ロバート・メイプルソープの、完璧すぎるがゆえに、いまにも崩れ落ちんとごくごく微細にうちふるえる均衡は、「美しさ」そのものを表象する、真に抽象的な写真である

とするのは、非歴史的な相対化が過ぎる評言との誹りを免れなかろうとは思うけれども、現在の感受性が作品そのものに対峙した時、そのように感じることこそがむしろ、メイプルソープの可能性の中心であろう。無論、歴史的には転覆の構図と観るのが妥当であろうとはいえ、彼の死後30年近くが過ぎ、端的な美しさを、それのみをメイプルソープの写真に見いだすことは、非歴史的であるというよりは、単純に感受性の進歩として称揚してよかろうことだと思う。

WALL DECORがどんな感じか、試しにプリントを注文してみたSeascapeシリーズの一枚が届いた。

20174月17

北朝鮮情勢がだいぶ緊迫している。予断を許さない状況。

帰宅して、『日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)』を読了。

物書堂がセール中なので、『全訳 漢辞海 第三版』、『小学館 ロベール 仏和大辞典』を購入。