4月18日の日記一覧
2024年4月18日
昨晩の寝る前読書は老川慶喜『堤康次郎ー西武グループと20世紀日本の開発事業』。3/4ほど読んだ。堤康次郎について、東京の地理に関する大きな影響をもたらした人物として継続的に興味を持っている。この本は、堤の事業家としての活動を詳細にわたって跡づけており、迫力がある。
明治が終わり、明治以来の近代化の継続に大正デモクラシーにおける大衆社会化の風潮があいまって、旺盛な事業欲と土地の「開放」への執着が奇妙に混成し、あれだけの仕事をなしえたのは、日本の近代における資本主義の面白さだと思う。まさに猛烈な仕事ぶりである。
堤に限らず、明治以来の大事業家の活動をたどっていくと、何か大きな流れのようなことが個々の活動を動かしているという感じを強く覚える。誰かの意志というよりは、資本主義が自律的に運動しているさま。それをたまたま担っていたのが、それぞれの事業家であるに過ぎないというような。
そうした事態はいまだって起こっている。たとえばChatGPT登場以来のこの1年半ほどは、AIによって可能なことを、世界中のプレイヤーたちがこぞって掘り尽くす勢いでさまざまに活動しており、それにしたって同じことだろう。ケヴィン・ケリー的にいえば「テクニウム」である。
自分たちの活動もまたそうした流れに棹さすべきことだろうと思うわけだが、ある種の必然のように思える自律的な「流れ」をとらえ、全力でのっかるのを、もっと勢いをつけてやっていかなければならないと思う。アニマルスピリッツを奮い起こしていかねば。
2023年4月18日
昨晩は、村上春樹『街とその不確かな壁』の続きを読み、読了。『世界の終わりハードボイルド・ワンダーランド』の元(の一部)になった単行本未収録の中編を、発表後から40年を経て書き直したもの。ストーリーについてはその後の変化が反映されているのだろうけれども、ある種の属性を持つキャラクタが鍵となる展開に、問題的な事態を感じるところはある。
どうにも首こりがやまない感じ。頭痛にまではならないけど。天気が悪いのもあるかもしれないが、天気が悪くなるたびに痛んでも困る。頭痛外来とやらにいってみるかなあ。また、外装工事のペンキのにおいも強くなってきている。6月まで断続的に行われるのだが、ちょっと困った事態である。
ミーティングや1on1をしたり、AIに関するメディアの取材対応をしたりなど。あれこれと技術的な詳細についても話したりしてみた。そういう話は、少なくともこの手の媒体ではあまり見られないので、誰かがしておく方がよかろうと思ってのことである。
夜は、久々にN氏らと会って、あれこれとおしゃべり。おおむね、AIに関する話をしていた。
その中で、文科省のAI利用ガイドラインの話になって、自分も子供が生まれたばかりだし、思うところを話した。基本的な線として、生成できることは言語使用の一部でしかなく、自他のアウトプットに対する評価とフィードバックこそが大事なのだから、そういう回路を形成しないまま、ただAIを使うだけというのはマズかろうという、ひとまずはごく常識的な話をした。一方で、それは現行人類の制約にとらわれた話なのかもしれないとも思う。どういうことか。
今の大人よりも100倍の情報を得て、100倍のアウトプットを生成するようなことが日常的なことになったとしたら、人間の育ち方だって自分たちでは想像もできないことになり得るし、その時に人々がどのようにモチベーションを形成するのかというのも、これまでの常識では考えられない事態になり得る。それなのに、大人としての権力をもとに自分たちの制約に過ぎないことを前提するのは、むしろ害があり得るということも思うという話もした。
その後は、AIの歴史や現状、問題点、今後の展望について、問われるがままにGPTのようにしゃべっていた。
今日のブックマーク
- wit-bindgenとjcoでWebAssembly Component Modelに入門する | MaybeUnInit
- Tool Learning with Foundation Models
- OpenAI’s CEO Says the Age of Giant AI Models Is Already Over | WIRED
- UbiNN: A Communication Efficient Framework for Distributed Machine Learning in Edge Computing | IEEE Journals & Magazine | IEEE Xplore
- 【前編】LangChainによるGenerative Agents実装まとめ|mah_lab / 西見 公宏|note
#日記 #4月18日
2022年4月18日
昨晩は、調べ物をしていたらネットの闇みたいなトピックに行き当たり、ついつい寝床で読み込んでしまって3時半頃まで起きていたのだが、今朝は早起きする必要があり、眠い。出社して、面接やらミーティングやらあった後、夜は入社式(グループ合同研修が終わっての、当社での行事)と懇親会。今年の新卒入社の皆さんもそれぞれに個性的で、チームワークもあり、これまた楽しみな方々が入ってきたなあという気持ちになる。毎年そんな感じ。
その後は、お茶しながらWeb3系の調べ物をあれこれ。あまりちゃんと追ってなかったNouns DAOがひょんなことから国内の界隈で盛り上がっていて、あれこれと調べてみる。それにしても、めちゃくちゃイケてる取り組みである。ネットにおけるアート的なアクティビティがビジュアルの良さも相まってかっこいいし、技術的にもコミュニティ的にも振り切ったやり方で、現時点での理想的な姿を見せてくれていると思う。そして、その結果として高い評価を得ている。こういうのをやりたいものだなあ。
発売されるや否や売り切れとなっていた「演劇界 2022年4月号」(休刊号)がAmazonで数百円だけプレミアがのっけられて売られていたのを注文したのが届いた。せっかく歌舞伎をちゃんと観流ようになったと思いきや、ちょうど幕切に終わってしまったこの雑誌だが、毎月この内容を出し続けるのは大変だったろうなあ。なんとか立て直して、復刊してほしいものである。
2021年4月18日
今日も睡眠の質が低く、11時頃に起き出した。しばらく、『人間の本質にせまる科学: 自然人類学の挑戦』を読む。極めて面白い。
Kが見たいものがあるというので南青山まで。CICADAで昼食をとろうと思ったが混んでいて入れず、青山ブックセンター近くのビルに入っているHARIOのカフェでカレーを食べる。その後、ABCを少しのぞいたり、ダイソンの路面店に行ったり。Kは、新製品の掃除機の購入を検討しているようだ。僕よりはKのほうが掃除への感度が高いのであまり口出しできるようなことではないのだが、機能面のことはともかく、個人的にはデザインがまったく好みに沿わないので、いまあるマキタの方が物としては好きではある。
その後、表参道から裏原方面へ、渋谷川遊歩道をしばらく歩く。あちこちが空きテナントになっていて、驚く。以前行ったカフェへ寄ろうと思ったら、そこもまたなくなってしまっていた。外苑西通りまで出て、SHELFをのぞいた後、「ブレッツカフェ クレープリー」で休憩。店内は混んでいたがテラス席がちょうどひとつあいていて、タイミングがよい。前回はガレットとともにシードルを楽しんだが、今回はデザートガレットと洋梨のシードル。Kは、給仕をしてくれているムッシューとフランス語でオーダーをやり取りする。洋梨のシードルは、リンゴのシードルより雑味がすくなくコクはあるけどスッキリしていて、これからの季節にぴったりな感じ。
帰宅して、お酒を飲んだこともあり2時間ほど眠る。その後、最近Kがハマっている野菜スープを作って食べながら、「青天を衝け」を観る。尊皇攘夷にかぶれた栄一が、志士として目覚めていく過程を、この数話では描いている。それ自体への評価はともかくとして、そうした活動が後の人脈につながっていき飛躍のきっかけになるのは人生の妙である。しかし、幕末の話にはあまり興味がないので、早く明治の話をしてほしいと思う。その後、お茶しながらあれこれと考え事をする。
2020年4月18日
昼前に起きて「エヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を観たのちご飯を食べて、ベッドでごろごろしながら本を読んでいたら昼寝に入って夜まで寝て、その後、『教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門』をしばらく読んだあと、ビールを飲みながら「マイノリティ・リポート」を観て寝る、という、見事にだらだらしまくった一日だった。
2019年4月18日
福岡出張3日目。面談等を終え、東京へ戻る。品川についたあたりで某氏に某氏を紹介するからということで声をかけられ、渋谷で少しおしゃべりなど。
帰宅したら、Art in the Age of the Internet, 1989 to Todayが届いていたので、パラパラと眺める。
2018年4月18日
「IMAマガジン」をひたすら読む。寝る間際に、Netflixで「ヴィヴィアン・マイヤーを探して [DVD]」を観る。さらに、「ヒップホップ・エボリューション」を観始める。
2017年4月18日
喉からの風邪。昨夜はあんまり眠れなかったので、ちょっとぼんやり気味。
帰宅して、『その他の外国語 エトセトラ (ちくま文庫)』を読みつつ、買ってきたマルヒ山廃純米no.77、ロ万だぢゅー純米吟醸を飲む。あんまりよくないなあ。
日本語と英語の能力差にどうにもならなさを感じて学習するのに嫌気がさしたりするのだが(特に読み書きの面で)、他の外国語はそれに加えて英語との差をうめる道程を思うとしんどいなとか思ってしまって、なかなか継続的にやる気にならない。そんなの当たり前なんだから、ただやるしかないのだけど。
と書いてみて、それもまた、瞑想的にただいまここだけを感じて淡々と進むというモードに入ってやるべき対象なのだということにあらためて気付く。そういうモードを使い分けるのが仕事でもなんでもちょっとしたコツで、なんでもかんでも先を見据えてやればいいというものでもない。
落合陽一さんの『超AI時代の生存戦略 ~シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』なら、自分の快楽を構成する要素を操作することでその「淡々さ」を実現せよということになるのだが、もちろんそれもそれとして有効なやり方だろうけど、なかなかそういう構成をとれない作業もあるわけなので、瞑想的淡々も合わせてマスターする方がいいと思う。
2016年4月18日
昨夜遅くまでdマガジンで「サイゾー」を読んでいたせいで眠い。なかなか起きられなかった(ちゃんと起きたけど)。
それにしても、情報端末が便利になり、コンテンツも定額制のものが増えて、いつでもいろんなものを読めるようになったのはよいのだが、とにかく読む時間がない。コンテンツの受容といっても、本・新聞・雑誌に限っており、その他のものはネットを眺める以外は極力避けているのだけど、それでも時間が足りない。便利なのか、なんなのか。
本ももっと読みたいし、Economistとか購読してはいるもののヘッドラインぐらいしか読めてないし、新聞も毎日読めているわけでもないし。ネットを眺める時間をもっと減らしたらよいのだろうし、本も手当たり次第に読むんじゃなくて目的を持って読む必要があるだろう。でもなあ、何が役に立つか(直接というよりは、タイミングがくる時がある)わからないからなあ。
新卒入社の若者たちに対して、自分の部署やエンジニアという職種について紹介するプレゼンをした。それはそれとして、今年40歳になるので、彼らは若いひとで今年23歳とかだから17歳違うひともいる。そうなると、もうほとんど親といってもいいぐらいの年の差だ。
四半期恒例の業績報告会の後、飲み食い。飲食物が大量に用意されていて、とてもよかった。
帰宅して、『複雑系入門』を読み進め、読了。