20244月28

浅草寺の裏にある広場で行われる「泣き相撲」に参加。日差しが強く、完全に夏。9代團十郎「暫」像の復元を記念して開催されているこの催しに敬意を評し、成田屋の家紋がプリントされたTシャツを着る。日程が変更されたことで、團十郎さんはこれなかった。残念。

シチリアのワインを買って帰宅し、ヴィスコンティ監督作「山猫」の視聴に備える。別に飲まなくたっていいのだがせっかくなので、という感じである。飲みながら観てると酒が回って眠たくなってきて、一時間ほどで止めて、しばらくベッドで横になる。

目が覚めたあとも、しばらくゴロゴロしながら、なぜかBerryz工房と℃-uteの面々のいまを検索していた。中島早貴さんはいまニュージーランドに留学しているとのことで、YouTubeをやっていた。その姿の変わらなさに驚く。変わらないことだけがよさではないにしても。

「山猫」はどこをとっても見事というほかはないのだが、そんなことよりもシチリアという土地のあまりの荒涼さに驚く。そんなところで、ヨーロッパ的な貴族的生活が存在することの不思議さを覚える。砂漠を行く馬車と、それがなければただ雄大に思える景色。

20234月28

朝起きて、会社へ。いわゆる新卒入社の方々に、1時間ほど「研修」という名目でお話しする機会をいただいた。「シニアエンジニア」という存在について、それがどういうことであるのかというあたりについて話した。新たに何かを付け加えるというよりは、今まであちこちで話してきた内容をざっくりまとめた感じ。ためになったらいいけど。その後、1on1や面接など。

リトルKは、気胸への対応のため、夕方頃に再手術することになった。空気を抜くための管を一本追加するのと、既存のドレーンの交換。昼に、手術前のリトルKとリモート面会。おおむね寝ていたのだが、元気ではあるようで、顔色もいい。しばらく眺める。手術が終わって、医師から連絡。肺の低形成は見られなかったとのこと。よかった。これで空気がうまく抜けていけば、気胸は自然と治るはず。

夕食をとりながら、今日も「風雲!たけし城」を観る。今回は、市川猿之助さんが城主を勤めていた。

仕事の続き。資料のレビューをしたり、もっと良くするためにディスカッションを加えたりなど。

明日から、いわゆるゴールデンウィークだということに気づいた。しかし、特に予定はないのだし、リトルKが入院しているので、遠出するわけにもいかない(し、そういう気にもならない)。

せっかくなので、研究を進めるなり、機械学習まわりで何かするなりしようと思う。それでElixirのOpenAI APIのクライアントライブラリopenai.exを眺めていたら、ストリーミング対応していなかったので、コードを書いてみた。APIとして Elixirらしい感じにするのに気を遣った。HTTPライブラリの使い方でかなりハマったりして、思いのほか時間がかかってしまった。pull requestも出しておいた(Add stream support for chat_completion() by kentaro · Pull Request #36 · mgallo/openai.ex)。

今日のブックマーク


#日記 #4月28日

20224月28

今日はひたすら1 on 1とミーティングなので、ホテルにこもって仕事。昨晩、ホテルに戻ったのが4時頃だったので、10時に起きたけど、眠い。午後を超えたあたりから回復してきた。研究会までやって、今回の出張の目的であるawabar FUKUOKAでのペパボおごりナイト。Twitterで宣伝したのに応えていらしてくださった方々がいて、ありがたい。色々と面白い話を聞く。

その後は、なんかシャンパーニュを出したりするのをサーブしてまわったり、いろんな人々とおしゃべりしたりなど。今回2年ぶりに福岡に来て、イベントは3年ぶりぐらいなのだが、いらっしゃる方々も様変わりしている感じ。新しい人々とあれこれおしゃべりできたし、会社の人々とも話せたりしてよかったなあ。こういう感じで飲むのは、コロナ禍になって以来、初めてである。楽しいものだ。

その後、目当ての店にいってみたものの、昨日に引き続いて入れず。縁がない。仕方ないのでまた西中洲方面へ移動。「焼肉とかすうどん 龍の巣 中洲カドミセ」でかすうどん。けっこう美味しい。その後、春吉の入口の川の側に新しくできたビルに入っている店でお茶しながら、Web3関連の調べ物など。なんかほんと知らないことばかりで面白い。どんどんやっていきたいなあ。

ホテルまでタクシーで帰ろうと思って道端で待っていたのだが、10分ほど待っても来る気配がない。アプリで配車してもらうことを試みたが、全然捕まらない。2時なのに人通りも多く、連休前とはいえ、景気がいい感じ。なんか、こっちの方が人通りもあるし、東京より繁盛している感じがするなあ。活気がある感じ。

明日からゴールデンウィーク。平日は仕事をするつもりだが、通常よりはゆっくりな感じになりそう。この間で研究をちゃんと進めて、論文を書くのである。絶対出す。

20214月28

Kが朝から活動していて、7時半頃に目が覚める。しかし、昨夜は3時頃まで起きていたので、目は覚めたけど体がまだだるい感じ。しかし、そのぐらいの時間だと明るさも増してきて目覚めがよい感じもするので、早めに寝るようにして7時ぐらいに自然と起きるような感じにするのがいいんだろうなあ。

朝からおしゃべりし通しの日。夕方には、『ユニコーン企業のひみつ』について、同僚とTwitterの新機能を使って30分ほどおしゃべり。20人そこらのひとが聴いていた感じ。しかし、やっぱり録音しておいてあとで聴き返せるようにしたいよなあと思う。そう思ってしまうのは貧乏性だろうか。

会社の面々で、オンラインお花見ということでGatherというアプリケーションを使った飲み会。この手のものとしては非常によくできている感じで、パフォーマンスにも不満を感じることもないし見た目もかわいいしで、とてもいいなあ。大人数のオンライン飲み会をするのに向いている。新卒入社の人々や、ふだんあまり話さない人々とおしゃべりできてよかった。

寝る前に『三体Ⅱ 黒暗森林』のページをめくっている(実際にはKindleだけど)のだが、ここのところ夜になるとだいぶ疲れていて、ほとんど読み進めることなく寝ついてしまっている感じ。いつになったら読み終えられるだろうか。それにしても、前作に増して話の全体像が見えてこなくて、やきもきする。

20204月28

今日も起きた直後から夜まで駆け抜け感。その後、大学の履修登録もやったりして、頭がつかれた(主に履修登録システムのせいで……)。しかし、なぜあの手のシステムはああなってしまうのだろうか。あと、金融機関や行政。固く作ることと、システムの想定するメンタルモデルが歪んでいることとは本来関係がないはず。そういうのって日本に限らないことのようなので、なんか構造的な問題なのだろうけど。それはそれで研究テーマにもなりそうなぐらいだ(発狂しそうだからやらないけど)。

夕食に、鶏手羽のさっと煮などを作る。NHKプラスでニュースを見ながら夕食。同じようなニュースばかりでやんなるなーと思いつつ、毎日観てる。その後、たけのこを茹でたり書類仕事を少ししたりなど。それにしても、時間がどんどん経っていくので、タイムスリップしてる感じになってきて、直前にやっていたことすらなにやってたっけ?と思ってしまったり。ちょっと時間の使い方をあらためてやり直していかないとなあ。

というわけで、毎日書いている(翌日以降に書くこともよくあるけど)日記を活用して、もうちょっと構造化して記録することでルーティンをうまくまわせるようにしていこうかなあ。Habitifyを使うのはいいとして、それでもなかなか回しにくくなっているので、日記にルーティンについても記載していくとどうかなあ。明日からでもやってみようかな。

20194月28

ピチカート・ファイヴを聞きつつ『わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019』を読む。昼、引っ越しの荷物が届くのに立ち会う。やがてKがやってきて、退去完了の報せ。最低限の家電などがそろったので、スーパーにいって買い物。帰宅して、仕込みをした後、『写真の秘密』を読む。

めちゃ久々に料理したのだが、やっぱり楽しいものだなあ。ただ、いろいろなまってる感じもあるので、徐々に慣らしていきたい。また、以前と違ってワインを飲むようになったので、これまでのように日本的な家庭料理ばかりでなく、洋風なものも作れるように練習しようと思う。

20184月28

体調すぐれず。ごろごろして写真雑誌を眺める。夜は、「ストレンジャー・シングス」のシーズン2を観る。

絵を1枚作る。シアターシリーズも作るかなあ(窓ではなく)。

20174月28

福岡出張2日目。あれこれと懸案だった件に取り組む。何とか進みそうな感じになってきたので、行けるかなー。

夜は、渡辺通の「無垢」というお店へ。なんてことない居酒屋といえばそうなんだけど、とても良かった。またきたい感じ。その後、ホテルに戻って、『ケータイ〈万能〉フランス語文法 実践講義ノート』を読む。

20164月28

「ふわっとした」という形容がある。使用例としては、「ふわっとした考え」とか「ふわっとした発言」など。具体性がなく曖昧なこと、ぐらいの意味だろう。ある人物のみに帰属するだけでなく、たとえば「MTGをしたが結論が出ずにふわっとしておわった」という使い方もできる。

どういう言葉でもそうだが、この言葉もまた使用する文脈によって評価が変わるべきものだろう。たとえば、具体的にすぐに動き出すアクションを決めるべきときに、なんとなく方向感だけがあって実際には何をやればいいかわからないみたいなことは困るし、そういうのはよくない意味において「ふわっと」している。

一方で、考えを広げたい時や、そもそも一般的あるいは抽象的に物事を捉えたい時には、最初から細かい具体性に立ち入るよりも、言葉のみで構成された議論をする必要があることもある。そういう時には、ある意味では「ふわっと」物事をとらえたり構築したりしなければ、そもそもの目的にそぐわない。

そのように、可能性を論理的に列挙するフェーズと、具体的なアクションを決めるべきフェーズとでは、自ずから考え方のモードも変えなければならない。重要なのは、いま何を考えるべきなのかという目的と、それを達成するにはどうしたらいいかということである。そして、そういうメタな認識こそ、ひとは「ふわっと」させがちだ。