5月8日の日記一覧
2024年5月8日
だいぶ体調も回復していい感じ。数日ほどキャッチアップできてなかった技術ネタからいくつか検証したりする中で、面白いものがあったりした。夜は日本CTO協会のイベント。今回も盛り上がったようでよかった。もっとたくさん来てもらえるようにしたいなあ。
Appleの新製品発表があり、iPadとApple Pencilの新しいのが出た。ほしいなあと思うものの、さすがにあの値段を出してまでのほどでもないよなあと思って、買うのは控えた。新しいペンシルの体験は良さそうだし、落としても探せるのもいい。3本なくしたからなあ。
それはそうと、新しいiPadのプロモーション動画が、悪い意味で話題になっていた。クリエイティブのための道具を粗末に扱っているということで、それらに自身をアイデンティファイしている人々にとって、心象が良くなかったようである。その気持ちはよくわかるところではある。
AppleやGoogle、あるいはMicrosoftに対して嫌悪感を抱いたとして、それらの提供する製品すべてからはなれて暮らすことはほとんど不可能だと思える。パソコンはLinuxを使えばいいが、スマホは実質的に無理だろう。そうした事態は、根本的に生活を規定している。
自分はそういう気持ちは特にないのだが、本気でそう思ったとしたときに、かなり絶望的な感じになるだろうなあとは思う。そのような根本的な逃れようのなさが、情報技術の世界、すなわちもはや世界の全体に近しいところにある。大きな問題だろうとは思う。
2023年5月8日
昨晩は、「京大式・聖書ギリシャ語入門」というシリーズを見つけたので読みはじめたら、非常に丁寧で分かりやすく面白いので、延々読み耽ってしまって、3時過ぎまで起きてしまっていた。8時に起きて、リトルKの入院している病院へ。面会のためのPCR検査を受ける。
渋谷のオフィスへ出社。各種ミーティングなど。
先日収録・動画撮影した新曲MVがリリースされた。近々開催される技術カンファレンスの、幕間CM用に作ったもの。
[[https://youtu.be/89F3KJOrn6Y]]
帰宅して、納富信留『ギリシャ哲学史』の「ギリシア哲学資料論」を読む。1,000年以上に及ぶ知的営為によって今があるということを、あらためて思い直す。
天気は回復してきたのだが、急に首の左後ろが痛んできて、低気圧頭痛のような症状を呈しはじめた。なぜだ。
原稿の続き。ひとまず、今日やろうと思っていたパートについては書き上げた。もう1本ある。明日、明後日で仕上げよう。
今日のブックマーク
- 京大式・聖書ギリシャ語入門(1)原典読解のはじめの一歩 宮川創・福田耕佑 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ
- 「起業の地・福岡」浸透 開業率首位、ヒト・カネ集う - 日本経済新聞
- piercefreeman/gpt-json: Structured and typehinted GPT responses in Python
- MLIR がもたらす新たな中間表現の可能性
- 坂本龍一 追悼連載vol.1:そのラディカルな晩年性と『async』 | CINRA
- サニーデイ・サービスの初ドキュメンタリー映画『ドキュメント サニーデイ・サービス』予告編到着 | CINRA
- これから流行る言語 | 雑記帳
- Vertex AI Matching Engine: フルマネージドで利用する Google のベクトル検索
- Superflare's Design Principles|mah_lab / 西見 公宏|note
- 書評 機械学習エンジニアのためのTransformers ー 自然言語のTransformerについてより知りたい人向けな一冊 - まったり勉強ノート
- bitwalker/libgraph: A graph data structure library for Elixir projects
- How Does a Database Work? | Let’s Build a Simple Database
- あの古典作品、どこにあるの?
- ChatGPTを使った中国語学習(1)|清原文代|note
- フリーWi-Fiを使ったら秘密情報を抜かれる経路にはどのようなものがあるか - Qiita
#日記 #5月8日
2022年5月8日
昨晩は遅くまで寝付けず、4時頃になってようやく寝入ることができた。そのせいで、今朝は11時過ぎに起床。体の疲れが取れない感じ。
散歩に出て、お茶しながら日経新聞を読む。文化時評で、「上方歌舞伎 再生の羅針盤」と題して南座での取り組みや壱太郎さんの意気込みが紹介されている。頼もしいことである。しかし、なぜ文化時評はWebの方にはないのだろうか。困ったものだ。その後、今野真二『日本語の教養100』を読み進める。タイトルがアレだが、碩学による日本語にまつわるあれこれについて語るコラムという感じ。面白い話題が多い。
帰宅して、Centeredを用いてフローに入って論文執筆。ちゃんといわれた通りに休憩しながらやっていると、過剰に疲れることもないし、セッション中にTwitterやSlackを見たりなどすることもなく、無駄なく進められる。まずは評価の章への、定量評価の追加から。25分ポモドーロで少しずつ進捗を出しながら繰り返し回していると、だんだん形が見えてくる。19時頃、お腹が空いてきたのでコンビニで弁当を買って食べた後、さらに2時間。評価の章を一通り書き終えた。
ポモドーロの間の5分間の休憩中には、ストレッチをする。そんなことをしているうちに、テーブルに体重がかかってしまい、崩れ落ちてしまった。古いものを手直ししたものなのだが、見事にパーツが全てバラバラに分解されている。とりあえず、明日にでも購入したお店に連絡して、修理が可能かきいてみることにする。
NHKプラスで「鎌倉殿の13人」を観る。屋島から壇ノ浦の戦いまでのあたりは、戦闘シーンは期待していたほどすごいものにはならず、やや拍子抜けであった。しかし、菅田将暉さんのあの感じは、義経というのは実際にこんな感じだったのではないかと思わせる。素晴らしい。
2021年5月8日
12時近くまで寝ていた。昼食をとった後、Kと近所の公園でフリスビーとバドミントンをする。フリスビーはS氏が日記に書いていたので真似した。Kにその話をしたら、それならずっとやりたいといっていたバドミントンも一緒に、ということになったのであった。休日なのでひとがたくさんいて、迷惑にならずにできる場所があまりない。しかたないので、木々に囲まれたところで、つつましく実施する。それでもけっこういい運動にはなって、楽しい。Kはバドミントンの方が気に入ったようであった。
フルサイズのミラーレスカメラを持ち歩くときにはストラップを使っていたのだが、やっぱりストレスフル過ぎて嫌だから腰に下げるいい感じのものがほしい、Peak Designのを試すかとか書いていたら、Spider X Holster Setというものを教えてもらったのでさっそく注文してみた。小さくて取り回しがよく、いい感じ。それでさっそく散歩に行くときにカメラをさげて歩いていたのだが、手元がミスってカメラを落としてしまい、SEL1635GMのレンズの先からアスファルトに落下、リムのあちこちに傷がついてしまった。このホルスター自体はとてもいい感じ。
お茶しながら『はたらく細胞』の続きを読み、読了。最初は面白い形式だと思ったのだが、だんだん退屈になってきはしたものの、なんだかんだで最後まで読み続け、これはこれでなんとなく各種細胞についてイメージもつくし、よいのではないかという気がする。最近、サイエンスというか理科的なことに対してもっと広く勉強とまではいかなくても興味を持って知っていくべきではないかとあらためて思うようになって、それでこういうのを読んだりしている。というのも、自分はエンジニアリングの人間だが、研究もやるからにはもっとひろくサイエンスの観点も必要だと思ったりしたというのと、単純に子供の頃にわくわくしてた感じを取り戻す必要があるよなあと思って。
書店へ行き、『アースダイバー 神社編』、「日経サイエンス2021年6月号(特集:時空と情報/COVID-19 危うい後遺症)」、『IoT技術テキスト 第3版』を買う。また、Kindleで『発達障害の内側から見た世界 名指すことと分かること』、『LIFE SCIENCE 長生きせざるをえない時代の生命科学講義』を購入。
昼頃から首の左側が凝っていて、ひどい頭痛というほどではないけどずっと疼痛があって気になる感じ。それでずっと過ごしていたら疲れてきて、ずいぶん早い時間に眠くなってきて、そのまま寝る。
2020年5月8日
住んでいるところが対応開始したと知り、特定定額給付金のオンライン申請をやってみようと試みる。サイトの作りの冗長さにややイライラするものの、iPhoneでマイナンバーカードを読み取って申請ができるのはすごいなーと思っていたところ、最後のステップで電子署名用のパスワードがわからず、詰まる。そういうのがあったら1Passwordに登録してるはずなのだけど、見当たらない……。なんだったっけなあ。全然思い出せない。というわけで一回休み。それにしても便利だなあ。もっと普及してほしいものだ。
定例的な業務をこないしたり、CTO協会仕事をやったり。いろいろちゃんとやれていなくて仕切り直しみたいな感じで新たにあれこれやっていくことになったのだが、ちゃんと数字を見て目標を持ってやっていくみたいな基本的なことができていないことに気付かされ、心を入れ替えてやっていくことにした……。そんなこんなでやるべきことが増えてきたので、以前入れたものの使っていなかったEffortlessをちゃんと使おうと思って、タスクごとに時間を切って取り掛かることにした。
夕食の後、明日から始まる大学院の授業に備えて、あれこれ準備。ノートをどうやって取ろうかと考えて、やっぱり普通にパソコンのキーボードを叩くのが一番はやい入力方法だろうと思って、パソコンを使うことにした。また、ふだんの個人のメモとかはEvernoteを使っているのだが、階層化したいというのもあってNotionの一番安い有料プランに登録して使うことにした。とりあえず明日の講義から使っていくのだが、効率化のために階層を作るのと、受講録用のテンプレを作成。
授業はオンラインでWebExやLMS(Learning Management System)を使うのだが、インストラクションに従って準備していくも、どうも期待する状況にならない。それで先生とメールでやり取りしたり、有志のSlackで質問したりなどして、なんとか解決したっぽい。不具合もあったので、教務課にメールで報告したりなど。これで3回目ぐらいだ。大学としてもいろいろ初めてづくしで、だいぶ手が回っていないのだろうなあ。苦労が忍ばれる。
2019年5月8日
福岡出張1日目。
行きの道すがら、『フューチャー・プレゼンス 仮想現実の未来がとり戻す「つながり」と「親密さ」 (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)』を読む。VRによって、プレゼンス(=存在感、実在感)が、ロケーションにかかわらず実現できるようになったことで、これまでは理性的な「共感」にたよるしかなかったところが(それ自体も難しいのだが)、より身体的な「親密さ」を感じられるようになるだろうというように僕の関心からは読める。すなわち、ローティ的な「共感」から、より強いVR的な「親密さ」による連帯の可能性みたいな話。
共同研究先のみなさんと合流して、夜は「弁天屋」であれこれおしゃべりしながらの飲み。からの、「鳳凛」のラーメンで〆。
2018年5月8日
論文書きの続き.
2017年5月8日
連休終わって仕事再開。諸事情により、リモートワーク。たまにはいいかも〜と思うけど、会社行って仕事する方がいい感じもする。慣れの問題かもしれないが。
2016年5月8日
身の回りに置くものにかなり気を遣う方だと思う。とはいってもものをあまり買わないので、気を遣うべき対象があまりないのだが。一番気になるのはなんといっても本で、その量からいっても最も目立つものだし、一番好きなものでもあるし。あるいはうつわなどは、本よりももっと繊細かつ厳格に気を遣っているものだろう。逆に、ほとんどの家電のデザインが好きでないので(少なくとも自分の目に入る範囲では)、家電はできるだけ買わない。
身の回りにおいていいものとダメなものとをどう決めているかというと、次の順番で決まる。まず単純に、自分にとって良いと思えるもの。これは特に説明の余地がない。次に、自分の中である必然性があるもの。単体で見ると美的・知的に特にいいところがなくても、なんらかの文脈においてあってもいいというものはある。たとえばビジネス書は、そのほとんどが「良いもの」ではないが、ビジネスの歴史を学習している以上、ないと困るという本がある。そういうもの。それ以外は身の回りに置くことはできない。
などと、身の回りものには拘泥するのに、そうでないもの、すなわち、自分を直接に彩るもの、具体的には衣服であるとか、自分の見た目であるとかにはほぼ無関心なのはどういうことなのだろうかと思う。衣服など、ユニクロだけで十分。しかし、この10年ほどで評価が高まったそのデザイン性によっていいというわけじゃなくて、特にベーシックなものはいつでも買えるし、多分、今後ユニクロがある限り買えるだろう、そのことがいい。
身の回りのものに厳格なのに、自分の見た目にはなぜ無関心であるかと考えたのだが、そもそも自分の見た目に重きを置く必要がないからだということだろう。子供の頃から自分は不細工だと自覚して生きてきた。若い頃はそのことにコンプレックスもあったが、歳をとってくるとコンプレックスを持つことすらなく、単に無関心になる。改善のできるものなら関心の持ちようもあるが、改善の余地がないものに拘泥するほど、大人は暇ではない。
なぜそのような人間になってしまったかをふりかえると、小学4年生の頃、クラスの一番かわいい女の子が突然こういってきたのを思い出した。「栗林君は、性格はいいから好きでだけど見た目がねえ」と。それで、なるほど自分は(性格だって別にいいとは思わないけど)見た目があまり好ましくないのか、と思い、その頃から一貫して、その自認とともに生きて生きたのであった。先述の通り、若い頃はそれが転じてコンプレックスにもなったが、いつの間にかなくなってしまった。
人間の認知能力には限界があるし、そもそも僕はそんなにキャパシティの広い人間ではないので、早々に無駄な努力をしなくて済んだ、あるいは、認知能力を別の面、すなわち、本をたくさん読んで知的能力を高めたり、良いものを見て美的な感覚を養ったりすることに集中してこれたのは良いことであったようにも思える。人生において何がどう転ぶかはわからないが、いま振り返ってみるとそのような良さもまた、人生においてはあり得る。