8月26日の日記一覧
2024年8月26日
朝からバタバタしていたのだが、夕方にはETHTokyo 2024でスポンサートーク。「#ETHTokyo 2024のスポンサーセッションでBidirectional Quadratic Votingというタイトルでお話しました」に書いた通り。オードリーさんと話したかったけど、すぐに出られたようで残念。
「【斎藤幸平vs村上隆】なぜ批判?資本主義とアート!徹底議論【深すぎるアートの世界】」という動画が流れてきたので、続きの動画まで観た。村上隆氏の思考に対して、斎藤氏がなんらクリティカルなことをいえていないのが印象的であった。なんだったんだろうか。
斎藤氏の書籍を読んだことがないのでその思想についてはなんともいえない。村上隆氏のことを「大嫌い」だといってのけたわりに、現代美術についてあまり知るところが少ないようであった。村上氏について言及してきた思想家たちを思うと、ずいぶん差異があるように思われた。
村上隆氏について、この30年ほど断続的にみてきたところでは、グローバルな水準と日本的な「悪い場所」(椹木野衣)性との葛藤に自覚的に向き合う真摯な仕事をしてきた人物だと思う。真摯だからいいというわけではないにしても、切って捨てられるようなことではない。
そんなひとを自ら展覧会に招いて圧倒的な「解説」をしてみせるというのは、村上氏の「大人」ぶりを示したということに結果的になり、自分もそれに強い印象を得もしたわけだ。過激な韜晦と自信が入り混じった不思議な態度。その屈託の深さに感銘を覚える。
2022年8月26日
朝6時ちょっと前に、ものすごい雷音がして起きた。部屋の非常灯が着いており、ホテル内が停電していることがわかった。窓から市街地を眺めてみると、ずいぶん暗い。広域での[[停電]]が起こっている様子。[[Twitter]]で検索してみると、この時間にも関わらず、けっこうな人数が停電について言及してた。[[奄美市]]のアカウントも6時には第一報を流していた。[[九州電力]]のWebサイトも更新され、島内全域に近いほど広い範囲での停電であることが判明。とりあえず、エアコンが停止したせいで暑くて眠れないので、情報収集する。それにしても、いろんなタイプの人が奄美にもいるのだなあということがわかったりして、こういう時に無自覚につぶやいてはならないなあとあらためて思ったりした。
30分ほど経過した後に電気が復旧したのを見届けて、二度寝。とはいえ、一度起きてしまったのですんなりとは眠れない。眠い。朝食を摂った後、チェックアウトする。そういえば、昨日は仕事をするためにずっとdon't disturbの札を掲げていたのだが、実は叔母さんがホテルで仕事をしているということで、泊まっている部屋番号を伝えたら「仕事が減ってよかったと話していた」ということで、田舎の狭さを思ったりした。チェックアウトした後、街中のカフェで少し仕事。その後、お土産を少し買ったのち、笠利方面へ車を走らせる。大叔母(祖母の妹)の家を久々に訪ねた。電話番号がわからないので突然の訪問になったのだが、いたのでよかった。こちらも3年ぶり。飛行機の時間もあるので、立ち話。自家製の[[ミキ]]をいただいた。ありがたい。
車で走っている間に、自分の思想について思うところがあった。[[スラヴォイ・ジジェク]]の『[あえて左翼と名乗ろう─34の「超」政治批評』という本が最近出ていて、読んではいないけどそのタイトルの意気や良し、という気持ちになったのを思い出して、むしろ自分も積極的に「[左翼]]」という自認を持つ方が良いのではないかと思ったりしたのだった。元々若い頃(小学生から高校2年生ぐらいまで)は普通にいう意味での左翼だったわけだし([[本多勝一]]が好きでほぼ読んでたぐらい)。いまでもそういう気持ちはある。ただ、社会生活上の考えとしては合理的だったり保守的だったり自由主義的だったりするわけだが、別にそれは取り繕っているというわけでもないし、一方で自分個人のこととなると[[アナキスト]]的な面も多分にあるし、ともあれ、一貫性がまるでないのだが、無意識にそうした無節操さを隠蔽してきていたのではないかと急に思ったのだった。しかし、別に一貫しない無節操な思想を持っていることの何が悪いのか?と自問してみると、別に問題ないし、むしろそういうものだろうという気もしてくる。そんなことを考えながら運転していた。
空港で、[[下野敏見]] 『奄美諸島の民俗文化誌 (南日本の民俗文化誌10)』、[[柳田國男]]『海上の道』を購入。飛行機を待つ間と機内での時間で、「奄美のウナリガミと東アジアの航海守護神 ヤマトの船霊信仰の源流と媽祖信仰について」、「奄美の親族語マモロ・ヒキ・ハロヂと南九州の親族語 奄美独特の用語マモロとは何か。沖縄、南九州の親族語を比較する」を読んだ。前者は 東アジアに共通する媽祖的な信仰について幅広い見地から紹介していて勉強になったし、後者は親族の構造や語彙を、奄美を中心に南北に比較する中で、共通の内容と差異のある内容とのスケッチのような文章。これで何かがわかるというよりは、今後の研究の方向性を示したものという感じだが、面白い(それにしてもこの著者の方はすごい!)。祖父・[[甲東哲]]の本も参照されていた。
帰宅して、夕食を摂った後、少し散歩。Native English Speakers DON'T SAY this | Annoying Grammar Mistakes in Englishを聴きながら歩く。この人の英語はとても聴きやすいし、話題も面白いのでかなりの本数を既に観て・聴いている。英語YouTuberに関しては、[[Polyglot]]系の人々のもよく観ているのだが、Rafipuffというチャンネルを新たに知って、これまでのその界隈の人々とはだいぶ雰囲気が違うし、面白い。ウォッチしていくことにした。
先日のイベントで教えてもらったRESAS 地域経済分析システムというもので少し遊んでみたりした。APIもある(RESAS-API - 地域経済分析システム(RESAS)のAPI提供情報)。しかし、用意されているインタフェイスでいろいろやれて、こんな感じでグラフを作ったり、ヒートマップで直感的に把握したりなどが簡単にできてすごい(それにしても、かなり悲観的な気持ちになる予測である)。項目間のクロス分析をやろうとすると、[[探索的データ分析]]が必要になってきそう。[Code for AMAMI]のハックネタにしてもいいかもなあと思ったりした。
[[https://scrapbox.io/files/6308f0bd936f5800217be4bf.png]] 人口構成 / 人口推移 - RESAS 地域経済分析システム
注文してあった[[ケロッピー前田]]著(写真・[[大島托]])『[縄文時代にタトゥーはあったのか』と[松浦年男]]・[[田村早苗]]『日本語パラグラフ・ライティング入門: 読み手を迷わせないための書く技術』が届いていた。前者は、南島に古来存在した[[入墨]]の慣習についてあらためて調べてみたいと思ったときに、最近出ていることを知ったもの。[[菊地成孔]]が帯に推薦文を書いている。彼の[[タトゥー]]も[[大島托]]さんの作品だったんだなあ。自分はタトゥーは入れないと思うけど(色々面倒なのを押し切るほど、自分でもしてみたい気持ちがあるわけではないので)、その文化についてはずっと興味を抱いている。
#日記 #8月26日
2021年8月26日
昨晩は、日記を書いた後に落合陽一さんがYouTube配信を始めたので、最後まで観ていた。学魔・高山宏先生みたいな表情が多く見られた。落合さんの姿を見ていると、自分などほとんど何もしてないも同然で、もっともっとやっていかないとなあと思う。
最近、8時前とか9時前とかに目が覚めてしまうことが多くて、今日は8時半過ぎに目が覚めて、ベッドでごろごろ。目は覚めるけどベッドから出る気にはならなくて、そこから数十分ほどスマホでネットを見てるだけなので、それなら寝てる方がまだマシなのだが。というか、さっさと起きて活動し始めればいいのだけど。
今日は研究所の活動が多かった。新しく入った方の、これまでやってきた研究の話を聞いて、非常に勉強になった。自分たちがやろうとしていることに対して、そういうアプローチを活かしていくやり方もあるんだなあという感じで、これからが楽しみである。夜は、会社の採用イベントを眺める。みんないい感じで話しているし、とても盛り上がった。
夕食を食べながら、車椅子バスケを半分ほど観る。車椅子ラグビーのようなコンタクトはできないのだが、チェアワークはこちらの方が車椅子が軽装備な分だけ軽やかで、くるくる回る様がすごい。さらに、ACM SIGPLAN Erlang Workshop 2021の模様がYouTubeでライブ配信されているのを眺める。来年はこれに出すのを目標のひとつとしている。
IOTSに出した論文は、来年のジャーナルに投稿する予定なのだが、その間に国際会議にも出しておきたいと思って調べてみたものの、ちょうどいいタイミングのカンファレンスがない。どうしたものかなあ。
2020年8月26日
93.4kg(前日比+0.1kg、開始時より-0.2kg)。
新しい着想に関して図解を描いたりして、説明したり。単発で終わるのももったいないので、メモとして文書化して蓄積するようにしようと思っているところ。単にいうだけだと定着しないから、絵にしたり文書にしたり、折に触れてあらためて出してみたり、繰り返すことで少しずつ浸透を図っていく。
仕事を終えた後、『アリ語で寝言を言いました』を少し読む。極めて面白い。アリについて何も知らなかった。こんなことってあるの?という内容が次から次へと語られて驚く。タイトルにもなっている「アリ語」の話については、まだ論文刊行前ということで詳しくは明かされないのだが、さわりだけでも面白い。論文が出たら、解説を読みたいなあ。それにしても、生物の多様性にはあらためて驚かされる。人間なんてそれに比べれば一様な感じもする。
夕食を食べながら、「クローズアップ現代」で昨年に亡くなった瀧本哲史さんの特集をやっているのを観る。30分ということもありあまり深い内容のものではなかったが、彼のいっていた、ひとの人生ではなく、自分の頭で考えて自分の人生を生きろみたいなのは、ほんとそうありたいと強く思う。自分も、うっかりするとついつい他人の価値観で物事を考えてしまうこともよくある。
とはいえ、その文字面から想像されるような、自分の好みや嗜好だけを特別視するというのはまったく違うことだと思う(し、瀧本さんだってそういうことをいってるわけじゃないだろう)。つまり、単にだらしなく自分の傾向に流されるみたいなのは、それこそ他人の価値観で生きるということに他ならないだろう。意志を強く持って常に学ばないならば、生身の自分なんて他人の価値観の無自覚な集積に過ぎない。だからこそ、歴史に基づいて自分の生き方を確立するというのが、本当の意味での自分として生きるということだと思っている。
日本橋高島屋でかなり気合の入った民藝展をやるようで、Kが行こうというので週末に身に行くことにした。『アウト・オブ・民藝』の著者らによる展示もあるということで、買ったままおいてあったその本を準備のために読み始める。また、民藝といえば、落合陽一さんがここ数年、民藝としてのメディアアートは可能かみたいな話を、ヴァナキュラーという言葉を用いてしているというところから、ざっと眺めただけだった「第16回芸術評論募集 【次席】ウールズィー・ジェレミー「インターネット民芸の盛衰史」」という論考を思い出し読み返したりした。
レフ・マノヴィッチを参照してインターネット上の活動における労働と余暇との区別の無化をいうならば、Instagramこそがそれにふさわしいだろう(『インスタグラムと現代視覚文化論』)。画像へのタグ付けによるデータの生産(=労働/余暇)はもとより、民藝的関心でいえば、Kinfolk的な写真のスタイルは、インターネットにおける民藝写真というにふさわしい。昨日からSNSを騒がしている万博ロゴによる盛り上がりのような大喜利もまた、そうしたもののひとつといえるのかもしれない。ただ、中心のある大喜利のようなものは、ミームとはまた異なるのかもしれないが、無銘の労働による美が現出することもあるかもしれない。
ただ、著者の見立てに違和感を感じるのは、柳の「法則」のいう「(三)続いて示される工藝の原理は、「美」と「多」との結合である」という契機が、ミームに基づく大喜利のようなものには欠けているという点だ。繰り返し同じようなものを無心に作り続けるという意味では、インスタの方がずっと近い。それだってプラットフォームの上で与えられた様式をなぞっているだけじゃないかという批判もあり得よう。しかし、インスタはともかくネット上での制作の実践においては、無銘の職人がただ作り続けるみたいな話はあふれている。ただ毎日ブログに日記を書くこと=未来の読者への投企もまた、用の美足り得るだろうとも思う。
そういったところから、イリイチ的なコンヴィヴィアリテの道具へと接続することもできよう。いま、人々の労働=余暇を支えている道具として、インターネットサービスは大きな一角を占めるのは間違いない。その道具もまたひとが作り出したものである。少しずつ形を変えながら、しかし、何かを生み出すための道具が常に様々な人々によって作られ続けることもまた、民藝的な事態なのかもしれない。
2019年8月26日
朝、歯医者。懸案がいろいろ片付いた。引き続き、細かい所のメンテナンス。
出社して、あれこれと最終調整した後、セキュリティ事業をやる子会社のホームページをリリースしたりなど。これからどんどんやっていかないとなあ。
帰宅して、仙禽を飲みながらグラタンを作る。オーブンの熱が足りなくてやや微妙なので、新しいのがほしい。Panasonicのビストロを買おうかと思っているところ。
『文化人類学の思考法』の続きを読む。
2018年8月26日
昨夜飲みすぎて、ひたすら寝まくってた。昼過ぎにようやく起き出して、吉里でうなぎ。しかし、二日酔いでお腹の調子が悪く、気分良く食べられなかったなあ。もったいない。
三崎坂をあがって谷中墓地から諏方神社へ。例大祭ですごい人集り。昔ながらのお祭りって感じで、出店もたくさんで、いい感じだなあ。
2017年8月26日
新丸子駅近くの多摩川河川敷で、会社のみんなでバーベキュー。例によって、川に入る。その後、渋谷に戻って「庄や」で飲みの続き。帰りに「俺流塩ラーメン」で〆。
2016年8月26日
いろいろあって、独身に戻った。もろもろ手続きなど。
2015年8月26日
布団を2枚かぶっているのに寒かった。まだ8月だよ。
朝のメディテーションは、集中強めで。しかし、念には念を入れて、の念ってsatiのことだよね、とか考えてしまってよくない。ただまあ、集中できている時はかなり気づき続けているので、もっとぐっといけるようにがんばろう。修練あるのみって感じだろう。まさにメンタル・トレーニングだ。
圧倒的成長、自分ができているかどうかはわからないけど、以前よりできるようになったことがしばらくすると普通になってきて、物足りなくなってくる。そうなると、自分の器量の小ささにがっくりくることが多くなるのだけど、できることを着実にやりつつ、大きくしていくしかないと思う。
終業後、某氏、hsbtさんと飲みに。宮益坂上の魚料理 吉成。悪くない感じ。いろいろ話をしていて、いいところもあればよくないところもあるって感じで、対照的な環境だなあと思ったり。隣の芝生は青く見える、という感じもするけど。
帰宅して、50年前のプロダクト・マネジャーについての本を読む。「何も変わらない、何も……」とつぶやきたくなるような、いま刊行したって細部を除けば通用しそうな内容で、その本が優れているというよりは、ほんとに何も変わってないんだろうな、つまり普遍的な問題なのだろうと思った。
歴史を知ることの醍醐味として、現状にとらわれずに普遍的な問題を知ることができるというのがあるだろうけど、経営史においてもそうしたことを感じられるのは面白い。