2024年4月19日
処方箋が期限切れになり(これについていろいろ文句を書きたいが、おいておく)、取りにいく暇も気持ちもなくてひと月ほど薬なしで過ごしていたら、数値が望ましくない状態に戻っていた。ちゃんと効いてるんだなあ。ちゃんと続けないと。
千葉雅也さんが、自分の不安に他人を巻き込まないようにすることがひととしての成長みたいなことを書いていた。自分などは、なぜ人々は臆面もなく自分の不安にひとを巻き込めるのか、という気持ちになることが多いので、視点が全然違って面白い命題だと思えた。
一方で、「不安」なのかどうかはともかく、ある種の個人的なことに他人を巻き込んでいくことの巨大さが、アーティストなり経営者なりの器量というものだとも思う。とすれば、巻き込むことの原因が不安であったとしても、なにもおかしなことはないのではないか。
個性が強いというのは、不安であれ何であれ、個人的なことへの魅力的な巻き込み力が高いということで、不安がもとだったとしても、たとえば面白い小説として昇華されてればなんの問題もないのは自明だろう。作品が介在してればいいということなのだろうか。
作品、というと日常離れしてしまう感じがするが、日常的な関係における「不安」にしても、ある種の面白さがあれば別に巻き込んだっていいのかもしれない。問題は、巻き込み方にアイロニーやヒューモアが欠けているということだろうという気もしてくる。
しかし、「不安」を持つ自己の確かさすら疑ってつっこむアイロニーや、そうした自意識を笑って受け流すようなヒューモアがあるなら、そこにはもはや「不安」なんてのは介在しようがない気もする。だとすれば「不安」がよくないのか。どうなんだろうなあ。