20244月19

処方箋が期限切れになり(これについていろいろ文句を書きたいが、おいておく)、取りにいく暇も気持ちもなくてひと月ほど薬なしで過ごしていたら、数値が望ましくない状態に戻っていた。ちゃんと効いてるんだなあ。ちゃんと続けないと。

千葉雅也さんが、自分の不安に他人を巻き込まないようにすることがひととしての成長みたいなことを書いていた。自分などは、なぜ人々は臆面もなく自分の不安にひとを巻き込めるのか、という気持ちになることが多いので、視点が全然違って面白い命題だと思えた。

一方で、「不安」なのかどうかはともかく、ある種の個人的なことに他人を巻き込んでいくことの巨大さが、アーティストなり経営者なりの器量というものだとも思う。とすれば、巻き込むことの原因が不安であったとしても、なにもおかしなことはないのではないか。

個性が強いというのは、不安であれ何であれ、個人的なことへの魅力的な巻き込み力が高いということで、不安がもとだったとしても、たとえば面白い小説として昇華されてればなんの問題もないのは自明だろう。作品が介在してればいいということなのだろうか。

作品、というと日常離れしてしまう感じがするが、日常的な関係における「不安」にしても、ある種の面白さがあれば別に巻き込んだっていいのかもしれない。問題は、巻き込み方にアイロニーやヒューモアが欠けているということだろうという気もしてくる。

しかし、「不安」を持つ自己の確かさすら疑ってつっこむアイロニーや、そうした自意識を笑って受け流すようなヒューモアがあるなら、そこにはもはや「不安」なんてのは介在しようがない気もする。だとすれば「不安」がよくないのか。どうなんだろうなあ。

20234月19

やはり微妙に首こりと薄い頭痛が続く。今日は、天気予報だと晴れということだったが、ずっと曇っていた。そのせいもあるのだろうか。ストレッチを入念にしなければ。筋トレも再開するかなあ。

出社して、面接したり1on1したりミーティングしたりなど。また、今年度の目標設定が佳境に差し掛かっており、自分の目標や、メンバーの目標のレビューなど、その辺りのタスクも多い。ここでしっかりやることで 1年の成果にインパクトするのだから、粘ってやっていかないと。

帰宅しながら研究のことを考えていて、このところ練っていたアイディアをもう一方進めたら面白いものになりそうな感じがしてきた。ストーリーも見えつつある。ただ、実装面でやや不安がある。帰宅して、さっそくフィージビリティテストに取り組む。考慮するべきパターンによっては、難しい気もするなあ。どうしたものか。もうちょっと継続的に考えよう。

さらに目標関連のタスクをやっていく。ひととおり終わったので、SlackワークフローとGPTの組み合わせについて自分でもやってみようと、ワークフローを作ってみた。作るのが初めてで、ちょっとハマったりしたのだが、やりたいことはできた。

疲れてきたのでどうしようかなと思っていたのだが、昨日は無線仲間のN氏とも会ったことだし、久々にアマチュア無線。なかなかなめらかに話せるようにならないなあ。無線をやるのは、明瞭にスラスラ話すための練習という意味合いもある。

大学院の学生向けシステムが刷新されたというのでみにいったら、以前にも増して酷いものになっていて、驚く。どうやったらこんなUI、ナビゲーションを作れるのか不思議になるほど意味がわからない。わざと使いにくいものを作ろうとしても、この発想は出てこないという酷さ。どういう理由があるとこんなことになるのか、それ自体が研究テーマになりそうだ。

今日のブックマーク


#日記 #4月19日

20224月19

朝、ちょっと野暮用があり、早めに起きた。そこから仕事を始めて、夕方までノンストップで。最後は、CTO協会の定例ミーティング。ある程度基礎が整ってきたので、ここからもっと飛躍していかないとなあ。その中で、自分のプレゼンスも打ち出していければ一石二鳥である。そんなことを思っていたりもする。

その後、夜は衆議院議員氏を囲む飲み会。先日に続いて2回目。すごく久々の「いまここ」さん。店主さんとも久々に挨拶できてよかった。相変わらず旨い。氏もずいぶんと楽しそうにしていらっしゃって何よりである。また、多様な話題についてディスカッションしたり、意思共有したりして、面白い会であるなあと思う。しかし、なんかねえ、そういう場所でもうちょっとプレゼンス出せるようになりたいなとも思うのであった。

昨日からあらためてヤバいなーと感心しているプロダクトについて、自分達でもそういう方向性でカッコいいものを提示していこうというプロジェクトについて議論。基本的にやっていく方向。Web1.0の頃から、ネットカルチャーのエッジみたいなのは定期的に出てきて、それらがカッコよさの水準を上げてきたのであるが、そういうのの現代版みたいなのがいままさに来つつあるという思いがある。

研究を進めたいところなのだが、今週は3日連続で飲み会があり、全然進められない。しかし、テンションは高まっているので、乗り切ったあとはどんどんやっていけそう。

20214月19

昨夜は、日記を書いた後にYouTubeで海部陽介先生と松岡正剛さんの対談「ツッカム正剛 0025夜 「海部陽介①"3万年前の人類はどうやって海を渡ったのか?"」【松岡正剛の千夜千雑】」(この動画はシリーズの1本目)や2B Channelの「なぜプリントを買うのは楽しいのか?」を観ていた。海部先生は、ほんとすごいなあ。

夕食前に『深層学習の原理に迫る: 数学の挑戦』が届いたのでさっと読む。深層学習において、なぜ(1)多層であることがうまくいくのか、(2)パラメタ数が膨大なのに過学習しにくいのか、(3)損失関数が非凸関数であるのにうまくパラメタ学習できるのかという3点について伝統的な数学的とは相反する結果が得られていることについて、わかりやく説明を試みる本。わかりやすさのためにあまり詳細に説明しているわけではないが、イメージはつかめる。

研究計画をうまく進めるためにはなんとか報告を出しておきたい研究会が今年も7月に開催されるということでアナウンスされたので、いよいよやっていかないとなあと思って、しばらく放っておいていたコードを取り出して、先日考えたアイディアの実装を試みる。まだできてはいないけど、やれそうな感じはする。しかし、これやって何が解決するんだろうかみたいな気持ちにはやっぱりなるなあ。そこんところをちゃんと考えないと。

20204月19

いよいよ食べるものが尽きかけてきたので、近所のパン屋さんまで出向いて買い物。買ってきたものを食べながら、NHKプラスで「日曜美術館」の疫病特集を觀る。その後、天気がめちゃめちゃよいので、「三密」を避けてしばしお散歩。坂本龍一の「美貌の青空」を思い出す。ウィルスの蔓延という死の予兆と対照的な、雲ひとつない青空。

シーシャを吸いに行けない日々が続いているので、VAPEをためしてみようと思ってとりあえず始めてみるのによさげなセットをみつくろって購入(デバイスは、dotAIO – dotmodretailを買った)。思いのほか煙(というか水蒸気なのだが)がもくもく出て、驚く。リキッドによってはシーシャより濃い感じだろうなあ。タバコの葉っぱを使わないのでニコチンもタールもなく、煙草とはやっぱ体験がだいぶ違う(もちろんそれがいいところなのだが)。しばらく使ってみよう。

ビールを飲みながら『教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門』の続き。

NHKプラスでNHKスペシャル「ヒグマと老漁師〜世界遺産・知床を生きる〜」を觀る。ヒグマと漁師たちが、距離を保ちながらもごく近くで共生している環境。あまりにも近くて驚く。また、魚があがってこない時期がありヒグマたちがみるみる痩せていって餓死したりして、やせ細ったヒグマの姿はかなりショッキング。こんなことあるんだな〜とめちゃ興味深く観入った。

先日、ビデオ会議における課題を書き出したものを、ブログのエントリにまとめる。いろいろ考えていることはあるのだが、まとまった形で描いたりすることがあまりないので、もうちょっとやっていこう。

Fiona Appleの新譜を聴く。デビューの頃以来か?最初、安定した大御所感を感じていたら、どんどんテクニカルな遊びが横溢してきて面白い。

Fetch The Bolt Cutters

Fetch The Bolt Cutters

  • フィオナ・アップル
  • オルタナティブ
  • ¥1630

20194月19

夜、The Winery Tokyoで買ったワインを飲む。旨い。

20184月19

終業後、若者と米心へ飲みに行く。

「ヒップホップ・エボリューション」の続き。ヒップホップって、直接の歴史としてはたかだか40年ほどしかないわけで、クール・ハークもアフリカ・バンバータもグランドマスター・フラッシュもピンピンしている。3人とも自分の親よりも年下だ。

ふたつ写真を作る。

20174月19

朝、早起き。相変わらず喉がなおらないので、風呂につかりながら『その他の外国語 エトセトラ (ちくま文庫)』を読み、読了。

終業後、ひとに呼ばれてうつわの話をする夕食。

20164月19

今日は朝から夕方まで、新卒採用説明会のリハーサル。なぜ説明会のリハーサルにそんなに時間がかかるのか。それは当日のお楽しみ。

少し前にTwitterで、確かRTで流れてきたと思うのだが、「英語ができないひとは、できないと認識するのではなく、英語が下手だと認識するほうがよい」という内容のものがあった。「できない」というと、対象との距離を図ることもなく、単に壁を作るだけのことになる。しかし、事実としては単に下手なだけなのだから、その事実を見なかったことにするのではなく、他者やあるべき状態との比較においてできるだけ正確に自己認識すべきだということだろう。

何事かについて、自分はそれをできないという認識を持つのは簡単だ。できないという認定をするだけなら何も考えなくてもできるし、人間を「できる側」と「できない側」とにわけると圧倒的に「できない側」の方が多いのだから、心理的にも安心だ。問題は、「できない側」においてどれだけできないのかということだろう。それがわからなければ、できるようになる解決策を考えることもろくにできないから、できるようになることもあまりないだろう。

そうはいってもまあ、なんでもかんでも「できる」ようになるというのも時間的に不可能なのであるから、人生において重要度が相対的に低いことについては「できない」というひとことで片付けてしまうのは、それはそれで効率的な生き方であり得るだろうとは思う。何ができなくてもよくて、何がどれだけ下手だからできるようになるにはどうしたらいいか、そういうことをテキパキ考えて、ちゃんと実行していかねばなあと思う。そう思いつつ、なかなかできないのも人間というものだ。